C'est la vie.

人生ままならぬもの。成り行き任せか、C’est la vieか。電子のカオスの中で思いが遂げられたらと思う今日この頃。

100均扇子を修理した

2017-10-30 01:17:35 | Weblog

 夏の間、100円ショップの扇子はとても貴重です。閉じたとき、先の方が広がっているなど、本来の姿から見ると決して優雅なつくりではありませんが、若手デザイナーを使っているのか斬新なデザインも多数あり、猛暑を過ごすには欠かせない物になっています。ただし、大きな欠点はあります。それは耐久性の問題。強度が弱いために破れてしまうことも多く、デパートなどで売られている扇子などとは天と地ほどの違いがあります。特に根元で全体をまとめる「扇の要」の役割をする細い棒の部分は押さえの部分が取れやすく、バラバラになって終わりというケースも少なくありません。扇の部分は十分に使えるのに。

ネットで修理法発見

 そんなとき、ネット上で100均扇子の修理の仕方を見つけました。簡単に言うと、細い棒を抜いて、プラスチックの少し長い棒を差し込み、出口付近を熱くして溶かしてナット状にするということでした。代替の棒は古いボールペンの芯がちょうどいいらしい。もちろん、インクがない部分です。

代わりはボールペンの芯

 ちょうど、バラバラになりそうな扇子があり、古いボールペンを用意しました。先の部分を開き、芯を出してみると、インクがない部分が5センチほどあります。扇子の根元に当ててみると、必要なのは2センチほど。十分使えます。まず、芯をはさみで切ります。そして、ゆっくりと芯を通す穴に差し込んでいきます。一度に押し込もうとすると、うまくいきませんが、折れ目に合わせて1枚1枚差し込むようにすると、反対側に届きました。入口と出口の穴から2、3ミリはみ出しています。

ライターであぶってナット作り

 仕上げのナット作りです。ネットではアイロンを当てるとか書いてありましたが、そんなまどろっこしいことはしません。少々、乱暴ですがライターであぶるのです。5秒もすれば溶けて、すぐに同心円状に固まり、まるでナットのように見えます。
 次に扇子の根元をぎゅっと絞って、出口側の芯が最大限外にはみ出すようにします。再びライターであぶると入口と同じようにナットができました。これで完成です。扇子を開いたり閉じたりしてみても、特に問題は感じません。


固まるまで触っちゃダメ

 実は最初、失敗しているのです。溶けた後、固まる直前に形を整えようとしたのです。しかし、結果は逆でナットの形がゆがんでしまいました。何もせずに放置するのが一番です。火であぶると、扇子に燃え移るのではないかと気になりましたが、炎の先端部分を数秒当てるだけなので何の問題もありませんでした。
 破れたり、バラバラになったりして、毎夏、扇子3、4個を買っていました。この修理ができれば無駄にすることもなさそう。といっても、5つ買っても税込み540円。デパートなどで買えば、1つで最低でも2000~3000円しますけどね。

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短期決戦は「レジェンド」が勝利の秘訣 筒香の力

2017-10-26 01:26:25 | Weblog

 広島カープの屈辱的敗退で終わった今年のセ・リーグのクライマックスシリーズ。「打てない」「監督の采配ミス」など意見はいろいろあるだろうが、私には結局、横浜DeNAに筒香というレジェンドともいえるバッターに負けたような気がしてならない。単なるタイトルホルダーだけでなく全日本の4番を打つ存在。あの種の存在は1発で試合の流れを変えるだけでなく、その打力を恐れるあまり、前後の打者に対する投手の集中力が下げることで、思わぬ得点を生む。前後を打つロペスと宮崎はその恩恵にあずかりセリーグ最強のクリーンアップになった。広島は横浜球場での3連続逆転負けのきっかけとなるホームランを筒香に打たれていたが、CSでの広島投手陣は蛇ににらまれた蛙のごとく好球を投げていた。バックネットにまっすぐ当たるファウルなど、タイミングばっちりなのに、タイミングを外す球は投げず、ストライクゾーンにさして威力もないストレート。そりゃ打たれるわ。

レジェンドがいなかった広島

 昨年の日本シリーズでも同じことを感じた。日本ハムの場合は、レジェンドはもちろん大谷。投手としての大谷は打ち崩しても、打者大谷は怖がっていた。日ハムには中田翔もいる。つまり短期決戦の場合、好不調はともかくその存在自体が大きな選手は、相手に計り知れないストレスを与えてしまうものなのだ。振り返ってみればV9時代の王、長島。広島だって同じことで、1975年の初優勝の時、阪急に2分け4敗という屈辱的敗退だったが、阪急の山田、山口高という投手2人の前になすすべもなかった。そして江夏の21球で伝説となった1979、80年の連続日本一は江夏がいた。
 今のカープにはその手の選手はいない。タナキクマル(田中、菊池、丸)は確かに良い選手だが、まだ首位打者などのタイトルをとれるレベルには達していない。菊池の守備はレジェンド級だが、それだけで勝つというわけにはいかない。鈴木誠也も同じレベル。けがから回復して首位打者がとれるにレベルに達し、30本塁打、30盗塁のトリプルスリー(首位打者の同時獲得はソフトバンク柳田だけ)が記録できるぐらいにならないと、レジェンドにはなれないだろう。


リーグ優勝にはチームの厚み必要

 もちろん、レジェンドと呼べる選手はそういるわけではない。イチロー、マー君、ダルビッシュ。多くが大リーグに行っており、現役でいえば巨人の菅野、ソフトバンクの内川、柳田、サファテ、なりかけてきた西武の菊池雄星、そして筒香。
 もっとも、こうした本物の周囲に良い選手が積み上がっていかない限り、短期決戦は勝ててもシーズン優勝は無理だろう。
 そういう意味で横浜はホントに運が良かったというほかない。首位広島から14・5ゲームも引き離され、とても日本シリーズに行けるような実力はなかったのに、筒香というレジェンドが機能し、短期決戦を勝ち抜いた。

負けに意味がない不思議な仕組み

 それにしてもと思うのだが、今年の横浜のようなチームが進んでしまうクライマックスシリーズとは何だろう。誰しも思うリーグ戦優勝の意味。全力で戦いシーズンを終えて不調になった優勝チームに、ちんたらシーズンを過ごし最後だけ好調になったチームが勝ってしまう。昨年もこのおかしさを指摘したが、今年はもっとその意を強くした。大リーグのプレーオフとはまったく意味の異なる不公平な仕組み。消化試合をなくすためだというが、勝ち負けを争っているのに、負けても関係ないという世界に例を見ない不思議な仕組み。ハッキリ言って、やめるべきだ。1勝のハンディを2勝のハンディに?世界で理解されない仕組みはやっぱりダメだ。

「1位と3位が同じ」という不思議な頭の中

 横浜は昨年のCSで広島に負けた際、涙を流して悔しがったという。彼らが悔し涙を流すときは、広島がリーグ優勝を決めたことであって、頑張るべきはリーグ戦のはず。リーグ3位のチームが勝ち上がることの不可解さに何も感じず目の前の勝ち負けしか興味なかった連中だ。おそらく彼らの頭の中は3位まで入ってしまえば、リーグ優勝と結果は同じ。昨年のエピソードをそんなことを感じさせる。考えてみれば、横浜市民にさえほとんど相手にされていない根無し草チーム。「結果オーライだよ」という刹那的なハマっこ気質がCS制覇のもう一つの原動力かもしれない。しっかし、そんなチームなすすべもなく敗退した広島カープ。こちらはもっと情けない。

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格好いい30代のアラン・ドロン 1970年代映画ポスター

2017-10-21 22:18:30 | 映画

 先日、引退を表明したアラン・ドロンが本当に格好いいなあと思い始めたころの映画ポスターを持っています。1つは1972年の「高校教師」、もう一つは1973年の「暗黒街のふたり」です。出世作である1960年の「太陽がいっぱい」のころは単なるハンサムなにーちゃんにしか思えず、67年の「冒険者」70年の「ボルサリーノ」はそれぞれ、リノ・バンチュラ、ジャン・ポール・ベルモントというあくが強くて格好いい俳優に押されて、大したことないじゃんというイメージを持ってました。

影で美しさにすごみ

 ところが30代も半ばになったころに主演したこの2つの映画では、「何とハンサム」とすごく感じました。暗黒街のふたりはジャン・ギャバンが共演しますが、いわゆる対抗した役柄というわけでなく、ドロンの格好いい主役ぶりを中心に据えています。女性陣も地味目ですしね。
 高校教師ではドロップアウトしかけた不良教師を演じます。教え子との恋、すでに関係が壊れている妻との激しいベッドシーンがあった記憶があります。暗黒街のふたりも、出所した銀行強盗の首領というアウトローの役でした。どちらも悲劇的な結末で終わる暗い映画でもありましたが、ドロンってそういう影のある役の方が、美しさにすごみが出るような気がしています。



40代後半には出番少なく どこかもったいない

 1980年代に入ると、ドロン出演の映画はどんどん少なくなっていきます。1935年生まれだから、まだ40代後半ぐらいで出番が少なくなったみたいです。40代後半ぐらいだと今では女性でも若い役をバンバンこなしていますが、あの時代はそういうわけにもいかなかったようです。もしかしたら、ハンサムゆえに活躍の場がなかったのかもしれません。考えてみると、老いが見えてきたハンサム俳優って、出番が少なさそう。むしろ、特徴のないおじさんの方が出番が多い感じがします。
 美しく暗く輝いた30代半ばのドロン。映画のポスターもその部分をクローズアップにした作りになっていました。映画と言うより、個人のポスターみたいで、ドロンの顔をやたら大きく写しています。映画の中身同様、ちょっと暗いつくり。今見れば、魅力半減という感じがしないでもないですけどね。加えて、それだけで客が増えるほど、当時の日本にドロンファンがいたとは思えないけど。

 

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核戦争で死ぬのは日本人と朝鮮の人々だけ?東京ソウルで死者210万人の推定値

2017-10-13 01:13:16 | Weblog

 結局、核兵器で死ぬのは日本人と朝鮮人なのか。世界はこの2つの民族が消えてなくなれと思っているのか、なんだかそんな思いに駆られたのは「核攻撃なら死者210万人 米ジョンズ・ホプキンズ大推計、東京とソウル」との記事を読んだときだった。その分析によると、北朝鮮が東京とソウルに対し長崎原爆より少し大きい25キロトンの原爆で攻撃した場合、推定値で死者合計210万人、負傷者770万に達するというのだ。死傷者1000万人といえば太平洋戦争の被害者にも匹敵する。加えて、放射性降下物などで生み出されるおびただしい数の被爆者。アメリカのバカ大統領と北朝鮮の狂った指導者、そしてそんな危機的状況を楽しむかのようもてあそぶ中国、ロシア、欧州諸国。早くこのばかげた状態から抜け出さなければいけないのだ。

朝鮮人の被爆者は日本人の10分の1

 広島と長崎の被爆者は日本人が大半だ。その数は広島で42万人、長崎で27万人の合わせて70万人。しかし、朝鮮人被爆者の数も多い。韓国側5万人(死者3万人)、北朝鮮側2万人(1万人)と日本人の10分の1もいた。たった2発の爆弾で戦闘員の非戦闘員の区別もなく、女、子供、老人を虐殺した。加えて生き残った人間は放射線、放射能による後障害に何十年も苦しみ。多くの人間ががんで死んでいく。そんな非人道的な兵器は、事実上、日本人と朝鮮人だけに使われた。アメリカは敵国日本の広島、長崎には植民地支配で連れられてきた多数の朝鮮半島の人々がいることを知っていながら原爆を落としたのだ。

25発中80%爆発、水爆なら死者380万人

 先の記事によると、北朝鮮が15キロトンから水爆規模の250キロトンまでの核弾頭を25発配備、全25発を弾道ミサイルで人口密集地の東京とソウルに発射したと仮定し、被害規模を算出。米軍の迎撃システムをかいくぐって80%が爆発した場合、15キロトンでは死者170万人、水爆級の250キロトンだと380万人になるとした。
 死者行方不明者が2万人近い東日本大震災であれだけのインパクトがあった。一度にその100倍の死者。日本と韓国は国家として成り立たなくなるだろう。もちろん、そのときは北朝鮮は米軍の核攻撃で地図から消えているに違いない。死者は2000万ぐらいか。そして、到達まで時間がかかるアメリカ本土に向けられたミサイルは撃ち落とされ、まったく無傷という可能性も高い。アメリカと北朝鮮のいさかいで実際に被害が発生するのは朝鮮半島と日本なのだ。

核ミサイルの撃ち合いは絶対ダメ

 いかなる理由があろうと北朝鮮に核ミサイルを発射させてはいけないし、北朝鮮に核ミサイルを撃ち込んでもいけない。あの国がどんなにひどかろうと、結局、日本に類が及んでしまうだけ。防衛システムが優位だから、先制攻撃をかけてしまえというのは絶対ダメだ。1発でもすり抜けて爆発すれば悲劇的なことになるし、そもそも日本が巻き込まれる筋合いはない。
 折しも総選挙。北朝鮮問題を「国難」というのは簡単だが、立候補者や政党は何が起きる可能性があるのか、その事実をつまびらかにした上で、国としてどう対応するつもりなのかきちんと説明すべきだろう。日本人も朝鮮人も虫けらではない。

 

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なんだかRPGっぽい戦争映画 ダンケルクの撤退戦

2017-10-09 23:27:33 | Weblog

 なぜか戦争映画が好きだ。反戦映画も好戦的な映画も、どちらもだ。難しいこと抜きに銃弾が飛び交うシーンは面白い。ただし、血しぶきや肉片が飛ぶ本当の戦争は見たくもないけど。今の世の中でいえば、そうした戦いを中心においたゲームが人気なのと同じなのかもしれない。9月に公開された映画ダンケルクはそのどちらでもない。戦闘というべきものがほとんどない。ほとんど戦う武器も持たず、負けて撤退する軍隊を描いている。ふつうの戦争映画ならとても惨めに扱われる集団。後ろから撃たれ、なぶり殺しにされるシーンもよく登場する。さすがに「名誉の撤退」を映画だけに、そんなシーンは出てこなかった。

連合軍、反転攻勢の原動力

 「ダンケルク」は、マッカーサーが「アイシャルリターン」の言葉を残したフィリピン脱出と並び、ドイツと日本が攻勢に立ったことを示す第2次世界大戦前半の象徴的な撤退戦だった。さまざまな戦争映画で「ダンケルクを忘れるな」という言葉が出てきており、この撤退が連合軍にとっていかに悔しく、その後の反転攻勢の原動力となったかよく分かる。

3つのエピソード 時に時間さかのぼる

 映画はフランスのダンケルクからイギリスに向け脱出しようとするする若い兵士、撤退作戦を支援する英軍の戦闘機、撤退のため徴用されダンケルクに向かう民間の遊覧船の3つのエピソードが成り立っている。最初バラバラで展開した各エピソードは実は関係があり、そのためには時間も平気で戻しちゃうというなかなかすごいつくり。たとえば、英軍戦闘機がドイツ軍と空中戦を繰り広げるシーンが出てくるが、次のシーンでは遊覧船から見た空中戦のシーンが出てきて、後になって、これってさっき見た空中戦のシーンだったんだあ、と気づく。回想シーンとはまた別なので、ついて行けない人も結構、いそうな感じもする。

格好いい遊覧船の船長

 兵士を中心にしたエピソードに関していえば、簡単にいえばロールプレイングゲーム。救援船に潜り込んだから船が沈められるなど、あっちに行ってもこっちに行っても失敗。さらに次のルートを目指すの繰り返し。とりあえず主人公グループの誰も死なないところがとてもゲームっぽい。
 遊覧船のエピソードは、軍の徴用をよしとせず自らダンケルクに向かっていく船長が格好いい。「私たちの世代が始めた戦争なのに、若者を巻き込んでしまった」と語り危険を顧みずに救出へと向かっていく。
 戦闘機パイロットもなかなか格好いい。ドイツ軍の爆撃機や戦闘機を撃ち落とし、海上地上の友軍から拍手喝采を浴びる。

ワン・ダイレクションほかイケメンそろう

 ここからはネタバレ。戦争映画なら一番の売りは、ぐっと来ちゃうところだろう。感動というか、戦争のような極限状態だと、そうしたシーンをつくることはある意味、容易に思える。その1つは何万もの兵士が救出を待つダンケルクの海岸に徴用の民間船団が姿を現すこと。いずれも遊覧船や漁船だ。現実にそうした船が兵士を脱出に導いた。もう一つは燃料を失って滑空中の英軍戦闘機が、海岸の不時着に成功するシーン。墜落させるなよ、と思わず手に汗をかいてしまった。無事着陸して、パイロットは機体に火をつけ、ドイツ軍の捕虜となるのだが。
  出演者はどうもイギリスの若手イケメンを集めたらしいが、いつものようによく誰が誰だか分からなくなる。主人公のトミーはフィオン・ホワイトヘッド。同じく英軍兵士でどこかで見た顔がいるなと思ったらハリー・スタイルズといって、人気グループのワン・ダイレクションのメンバーだった。

撤退でも生きてる方がいいよね

 それから、ようやくイギリスに戻り、列車でロンドン(多分)に向かう兵士たちが、卑怯者呼ばわりされるのを恐れていたものの、実際には「よく頑張った」と歓待され、列車の窓越しにビールを渡されるシーン。誰でも若者が生きて帰ってきたことは、嬉しいに違いない。日本の旧軍の戦陣訓の「生きて虜囚の辱めは受けず」なんて、やっぱりむちゃくちゃだ。やっぱり生きてるっていいよね。そんな映画だった。

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お好み焼き、国際料理になっちゃった 千日前の福太郎

2017-10-08 00:14:34 | Weblog

「イエスプリーズ」「はい?」

 日がとっぷり暮れてもいらいらするような暑さが消えない8月下旬の平日の大阪・千日前。晩飯に知人から美味しいと聞いたお好み焼き屋「福太郎」を訪れました。店の前には7、8人分の椅子が置いてありますが、いずれも埋まっています。驚くことに聞こえてくる言葉は朝鮮語ばかり。やたら外国人が目立つ千日前のことだから、さもありなんと思いつつ、店の中に入って順番待ちリストに名前を書き込もうとしたら、店の人から言われた言葉が「イエスプリーズ」。生まれて初めて外国人と間違われました。

アンドレさん、キムさん、ワンさん

 それから待つこと30分。不思議な感覚に襲われました。何せ待っている客がやたら国際的なのです。朝鮮語ばかりと思ったら、中国語、英語、さらには欧州系の外国語。別の国にいるかのような感じさえします。店の人が待っている客に注文を取りに来るのですが、会話は片言の英語混じり。店の中から呼ばれる客の名前も「アンドレさん」「キムさん」「ワンさん」だったりするのです。お好み焼きなんてローカルな庶民の食べ物が、世界とつながっているのです。待っていると、若い女性が途方に暮れていたので、店の中のリストに名前を書くように教えました。聞いてみると、一人旅の韓国女性。レストランというより、あまりきれいに見えないどこにでもあるお好み焼き屋。海外で不安もあるだろうに、お好み焼きはそんな人でも吸い寄せてしまっているのです。

フワフワ食感、美味しいー

 やっとのことで店に入れます。店内は結構広くて、コの字型の鉄板が置かれており、30~40人は入れそうな雰囲気。内側では店の人が忙しく立ち働いています。商売繁盛、いいことです。待っている間に注文していたので、すぐに品が出ます。オーダーしたのは人気ナンバーワンと書かれていた豚玉のお好み焼きでした。

 箸で食べることを想像していたのですが、へらで直接、鉄板から食べるって大阪風では初の体験でした。ホットケーキのような厚く硬い食べ物を想像したのですが、一口食べてみると、卵を2、3個使っているのか、かなりフワフワな食感。鉄板も温度が工夫されているのか、焦げることなしに食べられました。ソースも美味しく、ボリュームもほどほどにあり、酒のつまみにしかならないというこちらのイメージとは別物でした。ビールとの相性もよく、とても美味しい食べ物でした。

広島にまけない、美味しい物は美味しいのね

 お好み焼きというのは、自分の出身地から広島の食べ物というイメージを持ってました。しかし、食べてみて考え方が一変。美味しい物は美味しいのだと思ってしまいました。ほかの店はどうか知りませんけどね。注意してほしいのは店内は禁煙ではないことです。隣の客がたばこに火をつけると、その向こうにいた女性の外人客が露骨に嫌な顔をしたのです。元喫煙者の私はまったく平気なのですが、これだけ国際的だとちょっと無理かなと感じましたそれと、平日のせいか9時近くになってくると、待ち時間がほとんどなく、すぐに入れるようになりました。ここからは日本のサラリーマン風ばかりでした。

世界進出のチェーンも

 美味しくてそれなりにボリュームがあり、すぐに食べられてコストも安い。お好み焼きはイタリアのピザのように、日本を代表する料理に、なーんてことには、なってほしくはないですけどね。ラーメンがそれ風になって外人客が殺到していると聞くけど、世界に本格的に進出するお好み焼きチェーンも登場するかもしれませんね。

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現実が進行する中で福島の不幸を描くのは 

2017-10-08 00:02:48 | Weblog

  「彼女の人生は間違いじゃない」という映画を見た。東日本大震災と東京電力福島原発事故により、家族と生活を失い仮設住宅で暮らす父娘の物語。娘は市役所の職員をする一方で週末には高速バスで東京に出かけデリヘル嬢。農業を営む父親は耕作地を事実上失い、補償金をパチンコで消費する毎日。なんとも救いのないストーリーだった。どうやっても明るい現実、明るいラストに導きようがないことを分かりながら、ドキュメンタリー風に淡々と話は進んでいく。

事実かも知れないけど、デリヘル嬢というのは

 しかしこの種の出口がない状況下での女性の描かれ方として、何かの隙間を埋めるべく風俗に走るというのは実際、どうなんだろう。何か安易過ぎはしないか。女性がデリヘル嬢になったり、男がパチンコに走るというのはたぶん、現実でも起きているかもしれない。しかし、福島の現実は過去ではなく、今、進行している最中。「ヒロシマ」の原爆被害のように「フクシマ」とカタカナ書きでと表現することさえ難しい今、そんな取り上げ方は福島の人々を傷つけることになってしまわないか、不幸の描き方はいくらでもあるのではないかと感じてしまう。

なんだかよく分からないシーン

 そうしたことと関係するのか分からないが、よく分からないシーンがある。ヒロインの金沢みゆき(瀧内公美)は客に呼ばれ性的なサービス(フェラチオ)をする際、服を着たままで、セックスを迫る客に暴力をふるわれそうになる。ところが、別の客を相手にした際は全裸となり、自ら男にまたがり、腰を振るシーンが出てくる。よがり声さえあげているように描かれている。次のシーンでは風呂に一人でつかり、おぼれようとするみたいに頭まで水没させてしまう。 
 これはどういう意味なのか。客の暴力を恐れ、いわゆる風俗嬢のならいとしてセックスをしたのか、それとも、自暴自棄となってセックスを楽しむようになってしまったのか。あるいは素股というセックスもどきの行為だったのか。中途半端なまま、ストーリーは進行していく。監督が書いた原作の小説を読めということなのか。

出口がない

 パチンコ漬けの父親はおそらく収穫しても商品にはならない畑に耕耘機をかけ始める。さらに柄本時生が演じる市の職員は、スナックに勤める女子大生に震災のことを聞かれても何も答えられない。広報広聴課という震災の状況を広める立場にありながら、いまだに何も語れずにいる。とにかく出口がない。

物質的にはとても豊か

 不思議なことに、彼らはいずれも物質的にはどこか豊かだ。きれいな仮設住宅。置かれている家電はみんな新品。出来合いか、作ったのか分からないが、毎回の食事のおかずはとても品数が多い。地方都市では当たり前だが、みんな車を持っている。それなのにどこか満たされていない毎日。何をどうしてほしいのか、という気持ちにもなった。冷たいようだけど。

ヒロインの瀧内公美

 ところで、瀧内久美という女優は、大胆なシーンも厭わないことが売りの女優さんのようだ。決して豊満とはいえないスレンダーなボディだが、今時の日本映画の中ではかなり露出が多いように見える。映画というのはテレビとは違う世界。いわゆるオーラをあまり感じないタイプだけに、こういう生き方もアリなんだろうなと思う。 

 

彼女の人生は間違いじゃない (河出文庫)
クリエーター情報なし
河出書房新社
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核兵器の訓練でダンゴムシのポース?

2017-10-07 00:04:58 | Weblog

 北朝鮮のミサイル発射が相次ぐ中、学校や地域でミサイルに備えた防災訓練が行われているニュースがよく流れている。正座した姿勢で上半身を前に倒し、両腕で頭を抱え込む「ダンゴムシのポーズ」を子供たちにさせている。地震の防災訓練であれば、それでもよかろう。しかし、北朝鮮のミサイル問題は核開発と密接に結びついており、もし危機があるとすれば、それは通常兵器ではなく核兵器に対する訓練でないとおかしい。とすれば、広島、長崎という人類で唯一の各被害を受けた日本人なのに、核兵器のことをあまりにも知らない、悲しい訓練に見えてしまう。

爆風は防いでも、放射線は飛んでくる

 イラクやシリア、アフガニスタンなど中東で連日のように伝えられる戦闘のように通常兵器(シリアでは化学兵器が使われたようだが)である限り、ダンゴムシのポーズは有効だろう。体表面積を小さくして、爆発によるさまざまな飛来物を避けることは意味があるといえる。しかし、核兵器はまったく別物だ。爆発や爆風は同じように避けられるかもしれない。だが、一緒に飛んでくる放射線はどう避けるのか。もちろん、避ける方法などはありはしない。全身を高エネルギーの中性子線やガンマ線が突き抜け、細胞のDNAをずたずたに切り裂いていく。また炭素や水素など体を形作る元素は放射線によって分裂し、人間の体そのものが放射能となってしまう。厚い壁の中にいて、放射線を避けられたとしても、核爆発で舞い上がった物質は、人間の体同様、放射化されており、いわゆるフォールアウトとなって、ありとあらゆる場所を汚染する。事故直後の福島原発の中に何の防備もせずに入るようなものだ。

被爆者の世話をするだけで新たな被爆者に

 広島、長崎の原爆被害は爆発直下にいる人が強烈な高温により一瞬にして消えたり、爆風と熱線によって大やけどをして亡くなったりなど、爆発の大きさを強調する物が目立つ。確かでそうであるけど、問題なのはその後なのだ。私の知り合いの家族は被爆当時、小学生から中学生ぐらいのきょうだいが7人ぐらいいたが、70歳を超えるぐらいまでに全員ががんで死んでしまった。中には被爆もしておらず、被爆直後の広島にも入ってない人もいた。しかし、その人は広島市郊外に運ばれてきたけが人の看護をしていた。先ほど書いたように、けが人そのものが放射線を出していた。それを浴びた仲間の何人かが、間もなく白血病のような症状を起こし死んでしまったという。

竹槍でB29と変わらない

 結局、ダンゴムシのポーズは核爆発の前には何の役にも立たないのだ。東西冷戦の頃、核兵器の被害を恐れた米国やロシアはシシェルターをつくり、モスクワなどの地下鉄は核シェルターも兼ねているので恐ろしい深さにある。そうした物を何も持たず、ダンゴムシのポーズで対応しようとする日本人。竹槍でB29と戦おうとしたころと何も変わっていないようだ。

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リプリーのちっちゃなパンツ 映画エイリアンの記憶

2017-10-05 00:31:21 | 映画

  帯状疱疹というつらいつらい病気にかかった。患部だけでなく、偏頭痛や節々の痛みでほとんど寝たきりになった。そんなとき、テレビ東京が昼間の映画番組でエイリアンとエイリアン2を2日続けて放映した。最近公開された6作目のエイリアン・コヴェナントの前触れということもあるのだろうが、40年ほど前の公開当時はよく分からなかった細部のストーリーが理解できて、ある意味、面白かった。でも、一番気になったのはヒロインのリプリー(シガニー・ウイーバー)の小さなパンツだった。

陰毛ぎりぎり、後ろは半けつ

 エイリアン第1作では、たった一人エイリアンの攻撃から生き残り、脱出用のシャトルに乗り込んだリプリーは、なぜかノーブラのTシャツとパンツ1枚になる。横の部分が紐状(紐パンではない)で前から見ると、陰毛の境目のギリギリ。後ろ姿ではお尻の割れ目が見えちゃう、いわゆる「半けつ」状態なのだ。エイリアンは決してセクシー映画でもないし、あえてそんな場面は必要はないように思える。それにシガニー・ウイーバー自身もセクシータイプの女優ではない。なのに、その格好でエイリアンと最後の戦いを繰り広げるのだ。


小さなパンツはステージ衣装

 公開の1979年当時、日本の女性はまだあんな小さなパンツをはく雰囲気はなかったように思う。おそらく紐パンもTバックもあったはずだが、ストリップのステージ衣装のようなもの。前年公開の日本映画「サード」で森下愛子がビキニのパンツ1枚の姿を見せるが、サイドの幅は3~4センチぐらいあった。アイドルが着たビキニの水着でも同じようにサイドが4~5センチ以上。それが当時のセクシーなパンツの限界だった。リプリーのパンツは女のパンツは、かくも小さくなるのかというインパクトがあった。おまけに生地が薄い。

7年後は少し大きく

 7年後のエイリアン2。なぜかリプリーは再び小さなパンツ姿を見せた。エイリアンと遭遇する前、宇宙船の睡眠装置から目覚めたリプリーはほかの女性兵同様、またまたノーブラTシャツに小さなパンツ姿だ。前作、同様、ラストに向けて脱出用シャトルに乗り込んだ後も、同じ姿になる。ところが、第1作と比べると、パンツが少し大きい。サイドは紐状ではないように見える。エイリアン2まで7年。年齢を重ねたウイーバーがいやがったのか、それとも、パンツの流行が少し変わったのか。

小さなパンツに男は釘付け

 そのころ、日本の女性のパンツは小さくなっていた。あまり正確な記憶ではないが、ベーシックな衣料品しか扱わなかった無印良品でさえも、紐状ではないがサイドが1センチほどしかなく、生地も薄いコットンのパンツを売っていた。 ふと気になり、ネットで「リプリー」「パンツ」というキーワードで調べてみると、当時、多くの男たちが、リプリーの小さなパンツに釘付けになっていることが分かる。中には「このシーンがあったから爆発的にヒットした」と指摘する方もいらっしゃるようで。
 ところで、寄生した人間の胸付近を突き破って出ててくるエイリアンの形って、よく見ればペニスそのもの。エロ漫画で亀頭の周囲に人間の顔を描くケースがありますが、まさにそんな感じ造形。リドリー・スコットという監督さん、かなり遊んでいたみたいですね。 

 

 

エイリアン/ディレクターズ・カット (字幕版)
クリエーター情報なし
メーカー情報なし
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