9月12日の礼拝の時、「栄えの冠を ささげまつらん かつてはいばらを かむりし主に」
を讃美しているとき、何気なく気になって、下の英語の歌詞に目をやりました。
すると、lipe fire という単語が見えて、意味がわからなくて、気になっていました。
ところが、今日、イザヤ書6章を読んで、イザヤ書のこのみことばから歌詞が書かれているのかと、思いました。
6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の【主】である王を、この目で見たのだから。」
6:6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
6:7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
燃えさかる炭とは、祭壇にささげられたいけにえが焼かれてできる「炭火」。身代わりとなる神の子羊であるキリストを啓示すると注解書にありました。
イザヤは主の座の上に「セラフィム」を見て、「聖なる、聖なる、聖なる」というセラフィムの讃美を聞くという特別に体験をして、主の前での自分の罪深さを認めたのでしょう。しかし、燃えさかる火がくちびるに触れたので、罪が贖われ赦されました。
1番
King of my life, I crown Thee now,
Thine shall the glory be;
Lest I forget Thy thorn-crowned brow,
Lead me to Calvary
Lest I forget Gethsemane;
Lest I forget Thine agony;
Lest I forget Thy love for me,
Lead me to Calvary
5番
Fill me, O Lord, with Thy desire
For all that know not Thee;
Then touch my lips with holy fire,
To speak of Calvary.
イザヤ6章8節では、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と、自ら進んで預言者としての働きへの再献身の意志を告げました。
人々に喜んで受け入れられるメッセージを語るのではなく、反対に、聞く人の心をさらに頑なにするメッセージを語ることになるので、預言者の働きは決して楽なものではない。しかし、神は人々に嫌われたり迫害されても、忠実に語り続ける預言者を求めていたのでした。
讃美の歌詞と、イザヤ書の通読から、私自身にも、チャレンジが与えられました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます