先月の記事ですが、Globe より:
『イタリア「脱原発」 源流に25年前の経験』http://globe.asahi.com/movers_shakers/110703/01_01.html
(前略)
チェルノブイリ事故の起きた86年4月26日から数日後、放射能を含む雲が欧州など周辺国に到達、雨を降らせた。遠く離れた国で起きた原発事故で土壌や川、農産物が放射能で汚染される事態は、想定されていなかった。
各国の対応にはばらつきが出たが、イタリアは欧州のなかでも最も厳しい措置をとった。5月2日に、保健省が野菜の販売を差し止め、15日にわたって青果市場を閉鎖。さらに、10歳以下と妊婦には22日間、生乳の摂取を禁止した。
エネルギー自給率の低いイタリアは、63年に原発の運転を始めた。チェルノブイリ事故の前年には、「国家エネルギー計画」を改め、原子力の積極的な導入を打ち出したばかりだった。なぜ、政府は原発への不信感を高める可能性のある厳しい食品規制に踏み切ったのか。
その内幕を、当時の防災相ザンベルレッティが、研究機関のウェブサイトに載せた「回想録」で明らかにしている。
防災省がチェルノブイリの事故をつかんだのは4月28日の朝。ザンベルレッティはその日の閣議で事故の重大性を報告したが、閣僚の多くは国内で非常事態が生じるとは考えなかった。
翌日、主要国首脳会議に出席するため東京に飛び立つ前、首相のクラクシは、状況を監視するため必要な措置をとるよう指示したが、同時に「感情的な波には乗らないように」と、冷静な対応を求めた。
欧州各地で農産物から平常値を上回る放射能が検出され始める中、ザンベルレッティは5月1日の閣議で「十分に洗っていない果物や野菜を食べないよう国民に呼びかける」と提案した。
しかし、保健相のデガンは、それでは不十分だとして「青果市場の閉鎖を布告する」と主張。ザンベルレッティは「オーストリアや西ドイツなど、チェルノブイリにより近い国でもそんな予防措置はとっていない」と反論する。
しかし、デガンは「反対するなら、防災省が緊急事態を宣言し、全責任を負うべきだ」と譲らない。
(中略)
一方のデガンは、なぜ、そこまで食の安全にこだわったのか。
キリスト教民主党に属し、一貫して禁煙運動を進めてきた。宗教的な価値観から、命や健康に関わる問題には敏感だったといわれる。だが、88年に亡くなっており、本人の口から真意を確認することはできない。
デガンに規制を進言したのが、保健省の高等研究所だった。
いま研究所で「放射能の健康への影響調査部門」の責任者を務めるフランチェスコ・ボキキオ(52)は、こう説明する。
「どんなに低レベルの放射線でも、人体にまったく影響しないということはない。研究所が示したデータを大臣が真剣に受け止めてくれた。科学者と政治がうまく連携できた幸運な例だ」。
研究所では、野菜の摂取規制が甲状腺がんの発生を1000件ほど防いだと推定しているという。
イタリア有機農業協会会長のアンドレア・フェランテ(45)は、「伝統的な地産地消の食文化を持つイタリア人は、自分たちが口にするものに関心が高い。厳しい食品規制も当然だと受け止めた」と話す。
また、行政の仕組みも理由の一つだと指摘する。イタリアでは食の安全を所管するのは農業省ではなく保健省だ。「もし農業省が担当なら、生産者の利益や経済の混乱などに配慮して、速やかな規制はできなかったでしょう」
(後略)
デガン氏のような信念を持った人がいたこと、国民性、そして対照的に「被害はない」といい続けたフランスのように原発の利害関係者が少なかったことが、イタリアに幸いしたのでしょう。
記事後半のトルコの話は貼り付けませんが、これもも是非読んでみてください。