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天王寺七坂巡りスタンプラリー探訪記

2018年04月06日 00時00分10秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

 

 今月は給料が少なかったので無駄遣いしないようにしなければなりません。でも、天気の良い休みの日には家でくすぶっていないで遊びにも出かけたいです。そこで、余りお金を使わずに歩いても行ける近場の散策に出かける事にしました。私の住んでいる「あいりん地区」は確かに下町でゴミゴミしていますが、少し山の手の方に歩けば、閑静な文教地区や自然や歴史遺産の一杯ある風致地区にたどり着く事が出来ます。

 中央区の谷町9丁目から夕陽丘、天王寺にかけて広がる上町台地上の坂のある寺町もその一つ。北の方から順に真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂と、七つの坂があり、総称して「天王寺七坂」と呼ばれます。町おこしの一環として、七坂巡りのスタンプラリーが企画されています。私も昨日、それに参加して来ました。

(1)真言坂(しんごんざか)

 

 生国魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂と呼ばれた。(坂の案内板より)

 天王寺七坂巡りは、この谷町9丁目の生国魂(いくたま)神社から始まります。明治時代以前は神仏習合といって、神社の中にお寺があったり、お寺の中に神社があったりしたんですね。「神宮寺」というのは、そんな神社の中のお寺の事。「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」というのは、その「神仏習合」を無くす為に、明治初期に「神仏分離」の掛け声の下で行なわれた「お寺破壊騒動」の事です。明治政府は、「これからは神社の方が偉いんだ」と、率先して仏像を破壊しました。このような「文明開化」とは似ても似つかぬ蛮行が、明治維新のドサクサの中で行われた事も、きちんと覚えておかなくてはなりません。

(2)源聖寺坂(げんしょうじざか)

 

 

 この坂は、登り口に源聖寺があるので、その名をとっている。付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。齢延寺には、幕末に泊園(はくえん)書院を興して活躍した藤沢東畡(とうがい)、同南岳父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくる<お千代、半兵衛>の比翼塚が建てられている。(坂の案内板より)

 

 真言坂を抜け源聖寺坂に入ったところにある浄土宗のお寺の塀に掲げてあったポスター(左上)。「国豊かに民安くして兵戈(ひょうが=武器)用うること無し」。平和憲法の理想こそ日本古来の伝統。それをないがしろにする安倍政権は、伝統とは無縁の只の反日サイコパス(精神異常者)の徒でしかない。天王寺七坂を舞台にした伝奇短編集、有栖川有栖・著「幻坂(まぼろしざか)」(角川文庫)の宣伝ポスターも、その隣に貼ってありました(右上)。

 

 天王寺七坂には含まれていませんが、源聖寺坂から口縄坂に向かう間にも、「学園坂」という坂があります。この坂の右側には歩道の外側に自転車専用道も設けられています(左上)。

 その学園坂近くで見かけた世阿弥(せあみ)のお言葉(右上)。「風姿花伝」という本の中の言葉だそうです。「上手は下手の手本也」(初心者はベテランを見習え)というのは分かりますが、その逆の「下手は上手の手本也」というのはどういう事か?二通りの意味があって、「反面教師(悪い例、失敗作)として教訓にせよ」という意味と、「ベテランの地位に胡坐をかいていると知らぬ間に初心者に追い抜かれるぞ」と戒める、二つの意味があるとされています。

(3)口縄坂(くちなわざか)

 

 坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられたという。付近の浄春寺には暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。また、梅旧院には芭蕉の供養碑もみられる。(坂の案内板より)

(4)愛染坂(あいぜんざか)

 

 その名のとおり、坂の下り口にある愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)から名付けられた。愛染さんの夏祭り(六月三十日)は大阪夏祭りの先駆けとして知られ、境内の多宝塔は市内最古(文禄三年)の建造物で、重要文化財と指定されている。大江神社には「夕陽岡」の碑があり、このあたりからの夕焼けは今も美しい。(坂の案内板より)

 

 口縄坂よりも、むしろ次の愛染坂の石畳(左上)の方が「くちなわ(蛇)」の鱗(うろこ)に似ていると思います。愛染さん(右上)は縁結びの神様としても有名です。

 

 愛染さんの多宝塔(左上)と愛染かつらの木(右上)。

(5)清水坂(きよみずざか)

 

 新清水清光院に登る坂道をいう。高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で、さらに境内南側のがけから流れ出る玉出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金竜、亀井の清水は七名泉と呼ばれている。(坂の案内板より)

 この玉出の滝(右上)ですが、滝というには余りにも貧相で、上の三本の懸樋から水がしたたり落ちるのみでした。でも、ここも立派な修験道の行場なのだそうです。この近くには昔は浮瀬という料亭もあり、松尾芭蕉や与謝野蕪村も訪れたそうです。今は星光学園のグラウンドになっています。

(6)天神坂(てんじんざか)

 

 安居天神へ通じる坂道なので、このように呼ばれている。この神社境内は大坂夏の陣に真田幸村が戦死したところで、本殿わきに「真田幸村戦死跡之碑」がある。また、同境内すぐ下には七名泉の一つ、安居の清水があり、「かんしづめの井」(癇静め)とも呼ばれよく知られている。(坂の案内板より)

 

 赤備え六文銭の真田幸村の幟(左上)と、社務所でくつろぐ飼い猫(右上)。この飼い猫は大変人懐こく、私が触っても逃げませんでした。

 

 「かんしづめの井」は社務所裏のがけ下にありました。

(7)逢坂(おうさか)

 

 

 七坂の最後、逢坂は、大阪の地名発祥の地ですが、実際は車がびゅんびゅん行き交う国道25号線の坂であり、今までのような風情はありません。坂の表示や案内板もありませんでした。代わりに江戸時代の道標が残っていたので、それを写真に収めました。でも、逢坂の歩道橋から眺めた通天閣(左上)とあべのハルカス(右上)も、それはそれで風情がありました。その隣の一心寺は、先週も訪れましたが、先週は満開だった桜も、すっかり散って、ほとんど葉桜と化してしまっていました。しかし、境内のろうそくの灯は、先週同様に幻想的な雰囲気を醸し出していました。

 

 

 スタンプラリーで集めた坂のスタンプ。真言坂(左上)、源聖寺坂、口縄坂(右上)、愛染坂、清水坂(左下)、天神坂、逢坂(右下)。

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