アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

今こそ脱原発も非核・脱安保も共に追求を

2011年08月14日 10時33分03秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
   
  
 すみません。ブログ更新がまたまた滞ってしまいました。夏バテとパソコン不調の他に、脱原発との関連での原水禁大会の資料収集に、思いの外時間がかかってしまいました。
 その原水禁大会ですが、今年は「脱原発」を巡って、広島と長崎で好対照を見せました。広島大会の「平和宣言」では、「脱原発を主張する人々もいる現状を真摯に受け止め」という、ある種腰の引けた表現に止まりました。それに対して、長崎大会の「平和宣言」の方では、出だしから福島原発事故について述べ、「ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか」と、原発推進政策の見直しを強く主張する形となっています。
 同じ事は運動団体の宣言文書についても言えます。原水禁(原水爆禁止日本国民会議)は、福島で広島・長崎に先立って世界大会を開催し、「脱原発」を強く打ち出すに至りました(注:参考資料1)。それに引き換え、原水協(原水爆禁止日本協議会)の方は、核兵器廃絶については原水禁よりも具体的に国際情勢とも絡めて強く打ち出す一方で、脱原発については既存の脱原発運動との「連帯」表明に留めるという、及び腰ともとれるものになりました(注:参考資料2)。

 日本の原水禁運動は、唯一の被爆国という事もあって、他国にはない大衆的広がりを持ち、その事で世界の反核運動にも強い影響を与えてきました。その一方で、当時の革新陣営内部の政党対立を反映して、原水禁(旧社会党系)と原水協(共産党系)の二派に別れ、世界大会も近年はずっと別個に開催してきました。(この他にも旧民社党系の核禁会議=核兵器禁止平和建設国民会議があるが、前二者と比べその勢力は小さく、活動にも見るべきものはないのでここでは割愛する)
 1954年のビキニ事件を機に一気に盛り上がった原水禁運動の統一体としてまず原水協が発足し、そこから1965年に原水禁が分裂しました。分裂に至る経過は複雑です。まず中ソの核武装を巡って、それを米国の核軍拡に対する防衛措置として、寧ろ擁護すべきだとする立場と、「中ソも含め、いかなる国の核武装・核実験にも反対すべきだ」とする、所謂「いかなる」問題を巡る対立がありました。今から見れば、中ソの核も防衛的とはとても言えず、この点では原水禁のほうに分があったのは確かです。しかし、運動面では寧ろその原水禁の方が、地上核実験のみ禁止し地下核実験については野放しで、核拡散阻止には何ら役立たなかった米ソ部分核停条約を手放しで礼賛し、それを原水禁運動に押し付ける愚を犯しました。(その後やがて原水協も中ソの核実験を非難するようになる)
 そういう意味では、セクト的に運動を引き回し、特定の立場を運動に押し付ける点については「どちらもどっち」であり、「どちらか一方がセクト的だった」という事は言えないのです。
 この対立に当時の中ソ対立も絡んで、1963年の原水禁世界大会は流会に追い込まれ、1965年には正式に原水協・原水禁の二派に原水禁運動が分裂する事になります。それ以降は、基本的に二派がそれぞれ別個に原水禁世界大会を開催してきました。途中で統一大会として開催された時期もありましたが(1977~85年)、それも長続きしませんでした。(より詳しくは、ウィキペディアの原水禁原水協の項目を参照)

 以上の経過の中で、原水禁が「脱原発」を強く打ち出す一方で、原水協も「核兵器の即時廃絶、軍事同盟からの離脱(非同盟)」を強く打ち出すに至ります。今から思えば両者は何ら矛盾するものではなく、寧ろ相互補完の関係にあると言えるのですが、現実にはなかなかそうはいきませんでした。原水協が「脱原発はまた別個の問題であり、それを核廃絶運動に持ち込むのは誤りだ」との立場を取れば、原水禁も原水禁で、核廃絶に言及はするものの、実際には安保・原発肯定の核禁会議と共同歩調をとるという矛盾した行動を取ってきました。その中で、私もかつては共産党系の市民生協職員として、原水協と同じ立場に立っていました。今思えばこれは間違いであったと反省しています。正しくは「脱原発」も「核の即廃絶、非同盟」もどちらも重要であり、その点から当時の原水禁・原水協を批判すべきでした。
 しかし、何故「脱原発」と「核の即廃絶、非同盟」が両立しなかったのか。原水禁が大会で早々と「脱原発」をアピールしたのに対して、原水協の大会アピール文書が何故今に至るも中央サイトで公開されないのか(私の資料収集がてこずった理由もそこにある)。この事をずっと考えてきました。なるほど運動団体レベルでは、「政府やその御用団体である核禁会議との腐れ縁」や、「その腐れ縁に対する機械的反発」という事もあるのでしょう。でもそれだけでなく、運動団体とは別に個人のレベルでも、「核廃絶を訴えるだけでも大変なのに、その上に更に脱原発もなんて手に余る」という思いがあったのではないでしょうか。実際、下記のブログ記事や新聞報道の中にも、その辺の微妙なニュアンスが感じられます。

>広島や長崎から親が「原発事故はたいしたことがない」として理解しないという訴えが届いています。自宅に孫と避難した娘に対して、「原爆でも大丈夫だから、大丈夫」と言われ続けて、困っていると言う話は、長崎からも広島からも聞いています。しかも原爆に反対していた団体が、原発の事はいえない様子が分かると、日本の原爆反対運動のある部分、しかし根幹のところで、何も考えていなかったし、若い世代の健康被害をきちんと考慮しないのに唖然とします。あなたたちがうけた放射線、特に兵器としての熱線の被害は大変ですが、目に見えない放射性物質による被害は長期化し、健康面に何世代にも被害を与え続けます。見えない分、長期的な被害は大きいのです。福島第一原発からふっている放射性物質は尋常な量ではありません。すでに原爆何十発分になっているという認識を持ってください。あなたたちの子孫はその脅威に生き続けているのです。―「長崎原爆投下の日に、首都圏(関東)放射性物質土壌調査の反響について僕が思うこと」(放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ)より
 http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/ff0015bf2fcbdb1ea732bfbdf481da07

>湯崎(広島県)知事は「式典は本来、被爆者や核兵器(廃絶)について考える時間」と強調。「核兵器廃絶と方向が違う『脱原発』が注目されるのはいかがなものか。注目が集まる場で支持率上昇を狙った発言と疑われても仕方がない」と述べた。―「知事が8・6首相発言を批判」(中国新聞)より
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201108100017.html

 でも、それは乗り越えなければならないし(勿論私も含めて)、乗り越える事は充分可能だと思います。福島原発事故を機に、政府・財界や読売・産経の世論操作にも関わらず、今や「脱原発」志向が世論の6~7割を占めるに至っています。「核の即時廃絶、非同盟」についても、核戦争になれば「福島原発事故」以上に悲惨な結果になるのは火を見るより明らかです。吉永小百合さんが今年の日本母親大会で訴えたように。原発を地方に押し付け下請け労働者の被曝の上に胡坐をかく論理は、安保のツケを沖縄や岩国に押し付けている論理と全く同じです。

>吉永さんは朗読前のあいさつで、「『原子力の平和利用』という言葉を、今まであいまいに受け止めてしまっていた。『もんじゅ』(福井県敦賀市の高速増殖原型炉)が恐ろしいことは聞き、廃炉に向けた運動はしていたが、普通の原子力についてもっともっと知っておくべきだった」と話した。そのうえで「世の中から核兵器がなくなってほしい。原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。―「吉永小百合さん「原発なくなって」 原爆詩朗読会で発言」(朝日新聞)より
 http://www.asahi.com/national/update/0731/OSK201107310058.html
コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 参考資料2:原水爆禁止2011... | トップ | ケントス大阪の争議支援ライ... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
新しい世界大会 (中島 健)
2011-08-14 14:20:22

広大生協労組書記長の中島です。
次のアピールは86ヒロシマ大行動での議論を経て私が提案したものです。私自身も被爆二世です。職場での闘いと反原発の闘いを一層結合することが大事だと考えています。職場は大合理化と低賃金、そのための一方的な就業規則改悪攻撃がかけられていますが、労働者代表として頑張っています。今年二月には、名ばかり店長問題で三年後しに労基署の勧告を勝ち取り勝利しています。
これをきっかけに生協労働者の労働問題で交流できると嬉しいです。

すべての核と原発をなくせ! 戦争をとめよう!

被爆66周年 8・6ヒロシマ大行動アピール
 
1) 福島原発事故を絶対に許さない!
 
福島第一原発事故発生から5か月近くがたちました。事態は「収束」どころか、ますます深刻化しています。すでに広島型原爆80発分以上といわれる「死の灰」が、海、山、地下、川、湖、農地、街、学校へとまき散らされ、チェルノブイリ事故をも超える人類史上最悪の事態となって進行しています。誇張ではなく、人類社会が、生命そのものが存続するための根本的な土台が、取り返しのつかない破壊に直面しています。
 
原発事故によってふるさとを奪われ、職場を奪われた労働者。廃業に追い込まれる畜産・酪農家。自殺に追い込まれる人も後を絶ちません。深刻なのは、猛暑の中、超高濃度の放射能で汚染された事故現場で作業を続ける労働者の被曝です。そして何よりも、子どもたちの命が危険にさらされ続けています。事故直後、政府・東電・保安院・御用学者らが、口をそろえて「たいしたことはない」「避難の必要もない」と言っていたまさにそのとき、メルトダウン→メルトスルーが進行し、ついに水素爆発によって福島県民、子どもたちは大量の被曝を強制されたのです。これは資本と国家による殺人行為です!
 
まさにフクシマは、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下、ビキニの水爆実験、チェルノブイリ原発事故、イラクの劣化ウラン弾被害に続く「核の戦場」にされています。フクシマで起きていることは「第三の原爆」です。自国の政府・資本によって、労働者、農民、漁民、子ども、市民にしかけられた「核戦争」です。
 
福島を「第二のヒロシマ・ナガサキ」にしてはなりません。どれだけの費用がかかろうと、事故を引き起こした国・東電資本の責任で放射能の封じ込め、除染活動を行わせなければなりません。現場で必死の作業を続ける原発労働者の命と健康を守るための一切の措置を取らせなければなりません。子どもたちの命を守るために、疎開を含めあらゆることをやりぬかなければなりません。仕事が成り立たなくなった労働者、農民、漁民の生活を100%保障しなければなりません。このことをやりぬくには、原発を推進してきた者たちの支配を打ち破り、労働者、農民、漁民、母親、子ども、市民が団結し、自分たち自身の権力を、「本当の民主主義」をたたかいとらなければなりません。
 
2)フクシマとヒロシマの怒りをひとつに
 
「福島を返せ!」「未来を返せ!」「子どもの命を守れ!」という福島の労働者、農民、漁民、母親たちの要求・叫びは、「にんげんをかえせ」と立ちあがった被爆者の叫びとつながっています。
 
そもそも核とは何か。それは労働者・市民を一つの都市丸ごと皆殺しにするという目的で、ただそのために、帝国主義戦争の下で開発されたものです。広島・長崎を一瞬にして地獄に変え、20万人以上の命を奪い、いまもなお被爆者の体をむしばみ続けている原爆=核の「平和利用」など断じてありえるはずがないのです。「核の平和利用」なるものは、核に対する被爆者の根源的な怒りを圧殺し、核をつくり続け、保有し続けるために、ヒロシマ・ナガサキを引き起こした張本人の帝国主義者によってでっち上げられたものです。日本で「核の平和利用」を大宣伝し、原発推進の先頭に立ってきたのが、一貫した改憲論者・核武装論者である中曽根だったことをみても、それは明らかです。
 
原発は、核兵器の材料であるプルトニウムを製造する工場そのものです。さらに労働者の被曝や、毎年何トンと生み出される「死の灰」・核廃棄物の問題等を一切考慮せず、いまのもうけだけを考えると、原発は資本家にとって「理想のエネルギー源」でした。「もうけがすべて、労働者の命など知ったことではない」-こうした考え方で、原発がどんどんつくられ、ついに行き着いたのがフクシマです。しかしフクシマは、これまでやりたい放題にやってきた資本家や権力者たちに大破産をつきつけました。「安全・クリーン・安上がり……」、すべてウソだったことが暴かれました。ヒロシマ・ナガサキをくり返すな、という被爆者の怒りと闘いを押さえつけ、核による支配を続けてきた者たちを今度こそ逃がしてはなりません。大反撃にたちあがり、今度こそ彼らをやっつけなければなりません。
 
福島は「悲劇の地」ではありません。怒りの地、核と原発を廃止する歴史的な闘いの始まりの地です。福島の怒りと闘いが、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の核に対する根源的な怒りを呼び覚ましています。ヒロシマの被爆者が戦後の反戦反核闘争の原動力になったように、フクシマとヒロシマ・ナガサキが共同して原発を日本から世界から一掃する原動力になろう。
 
3) 人間をカネと核の下にひれ伏させる新自由主義とのたたかい
 
電力資本、財界、政府、御用学者らは何の反省もしていません。原発再稼働のために「安全宣言」をでっち上げ、「やらせメール」までやっていた。しかも原子力安全・保安院自身が浜岡原発や伊方原発のプルサーマル計画説明会で「やらせ質問」を依頼していたことまで発覚。こういう連中を一人残らず追放しないかぎり、フクシマは必ずくり返されてしまいます。菅首相の「脱原発」は、「核なき世界」と言って核実験をくり返しているオバマ大統領とまったく同じです。「原発がなくなるのは遠い将来」であり、「ストレステスト」に「合格」した原発は動かし続けるというのです。「安全な核兵器」「安全な原発」「安全な放射能」――こんな考え方をもっている連中と私たちは絶対に相いれません。
 
財界やマスコミは「原発が止まると日本経済が崩壊し、雇用もなくなる」などと脅しています。ふざけるなというのです。フクシマを何度くり返そうとも、日本中、世界中が放射能に汚染されようとも、原発を動かすことが最優先だというのか。「命よりも原発」というのか。そもそも原発を動かせと叫んでいる資本家、政治家たちは、福島原発事故の前から、労働者の首切り、賃下げ、非正規化をどんどんすすめ、青年労働者から生きる希望を奪ってきた張本人ではありませんか!
 
すべての原発を止める、廃炉にするたたかいは、人類の存続と相いれない核や原発、そして基地や戦争なしには成り立たないような社会のあり方を変えるたたかいです。労働者や農民、漁民を犠牲にし、人間をカネの支配、核による支配にひれ伏せさせようとする新自由主義を打ち倒すたたかいです。それは都市と農村・地方の分断を打ち破り、国境をも越えて、労働者、農民、漁民、すべての民衆が団結し、人間的なつながりをとりもどしていく歴史的なたたかいです。今、この反原発のたたかいの先頭に立っているのは、新自由主義の矛盾と犠牲を一身に受けてきた青年労働者であり、学生です。「反原発・反失業」を掲げて立ちあがっている青年労働者、学生のたたかいは、エジプトをはじめ全世界で立ちあがっている青年のたたかいとつながっています。
 
4) 労働組合こそ反原発をたたかう団結の軸に
 
たたかいの団結の軸となるのは、生産と社会の本当の主人公である労働者です。原発を動かすのも止めるのも労働者です。労働者が団結を取り戻し、労働組合が「一人の労働者も被曝させるな」とたたかいに立ちあがったときに、すべての原発は止まるのです。
 
日本における原発建設のはじまりは、電産労働運動の解体と一体でした。そしてあの中曽根が強行した国鉄分割・民営化を前後する新自由主義攻撃によって労働者の団結が破壊され、労働組合が反戦反核、反原発の闘いから後退し、電力労組を先頭に原発推進の側に転落していく過程で原発建設は一気に加速していったのです。この労働組合を、原発推進の資本の手先となった腐った幹部の手から、労働者自身の手に取り戻さなければなりません。
 
かつてこの広島や山口、島根には、電産中国という電力労働者の労働組合がありました。電産中国は反原発を掲げ、地域住民と共に闘って山口の豊北原発建設を阻止しました。こうした闘う労働組合を今こそ甦らせましょう。日本における労働組合破壊と新自由主義の出発点となった国鉄分割・民営化に反対し、「政治和解」を拒否して1047名の解雇撤回を貫く国鉄闘争全国運動を発展させましょう。
 
福島では福島県教組が、子どもたちの命、県民の命を守れと立ちあがっています。被爆から10年後に白血病で死んだ佐々木禎子さんの話は、「サダコの物語」として全国、世界中の子どもに伝えられてきました。それなのに「直ちに影響はない」ということを平然とくり返す政府・文科省、御用学者たち。原発が安全というのはウソだったと教室で教えたら、ただちに弾圧してくる校長や教育委員会。だが、彼らの支配はがらがらと崩れ去っています。今こそ教育労働者は団結を取り戻し、反原発のたたかいに立とう。「日の丸・君が代」強制とたたかい、8・6ヒロシマのたたかいを守りぬいてきた広島の教育労働者こそその先頭に立ちましょう。
 
5) 国際連帯の力で勝利しよう
 
反核・反原発のたたかいは、全世界の労働者民衆の団結した力によってのみ、真に勝利させることができます。核兵器や原発や基地を必要とし、アフガニスタン、イラク、中東、朝鮮半島、世界中で侵略戦争を続け、準備し、労働者民衆に一切の犠牲を押しつけ続ける新自由主義とのたたかいは、全世界労働者の共通のたたかいです。
 
本日、被爆66周年の8月6日、ヒロシマ・ナガサキ、オキナワ、フクシマ、ビキニ被爆者の大石又七さん、アメリカのシンディ・シーハンさん、イラクのフサームさん、全国・全世界の闘う労働者、農民、漁民、市民が、反戦反核の原点の地・ヒロシマに一堂に会し、核と原発を廃絶する歴史的な大闘争の始まりを宣言しました。
 
原発再稼働へあがいてきた勢力は、次々とウソ、インチキ、やらせを暴かれ、いまや息も絶え絶えです。玄海、伊方、島根、上関、日本全国の原発の息の根を絶対に全部止めてやりましょう。「段階的に」とか、「期限を決めて」などと言っている場合ではありません。この夏こそ、全原発の即時停止・廃炉を決するときです。ドイツ、イタリア、全世界で原発廃止のうねりが巻き起こっています。トルコの労働組合からは反原発1000万署名運動を取り組むというメッセージが届けられています。
 
私たちの団結した力が、一切を可能とするのです。フクシマとヒロシマの怒りをひとつに、全世界の人々とともに全原発を停止・廃炉に追い込み、すべての核を廃絶しましょう。
 
ヒロシマ・ナガサキ、フクシマをくり返すな!
 
 
2011年8月6日
被爆66周年 8・6ヒロシマ大行動 参加者一同
 
共も社も協も禁も (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2011-08-14 14:45:33
「原子力の平和利用」という美辞麗句に幻惑された日本人って、吉永小百合さんにとどまらずかなり多かったみたいねすね。
福島事故発生後、オレが4トロ板で真っ先にこの眉唾スローガンをやり玉に挙げたのは、過去に共産党員や原水協幹部の人間とこの空文句に関連してやりあった経験をもっていたからなんですが、こういう眉唾スローガンが左翼や進歩派を自称する人たちの間でも永年通用していたのが20世紀だったんですね。
共産党や原水協が「原水爆禁止運動」という名称にしがみついて、当初「反核運動」という呼び方の採用に抵抗を示した理由もこのインチキスローガンや核兵器と原発の関係についての思考停止が広範に存在していたことの証しです。

ま、核問題でも被爆国日本の左翼はダメでしたね。共産も社民も協も禁も、福島が起きてから歴史を隠蔽改竄してはイケマセン!!!
「いかなる国」問題や部分核停条約をめぐる対応、究極廃絶論への転落・固執の歴史、兵器と発電をめぐる偽りの区別等々等々・・・
残念な20世紀でした。
そうそう (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2011-08-14 15:04:46
広島長崎の被爆者の中で、今回の福島原発事故によって再び被曝してしまった人が何人かいるようですね。戦後被爆地から福島に移住した方々だそうです。たしか、8人とか・・・

しかし、それにしても残念だったのは、テレビで放映されたそのうちの一人の方が、まことに歯切れの悪い発言をされていたこと。
親族の中に原発関連で働く人(ってこたぁ、その人って被曝三世か四世のこと?)がいるとかで、またもや放射線被害に遭われたのに何ら原発批判の言葉が出て来ない。原発は身内の暮らしの糧なのだそうです。

ま、この辺にも日本の反核運動や被爆者運動のお粗末さが反映しているんじゃないでしょうかね?
非常に残念です。
被爆者を自己解放の主体に (中島 健)
2011-08-15 00:47:10
被団協指導部の果たした役割は許せません
http://www2.odn.ne.jp/hibakusha-sd/110806.htm#2
しかし、被団協が結成宣言で核の平和利用を屈折した表現ではあれ認めたことは、指導部の日共の存在なくしてはあり得なかったと思います。最近、突然w、日共は期限を定めて原発廃止をというぽすたっを貼ってますが、根っからの原発推進論者です。人間の叡智が生み出したエネルギーがファシストを打倒したという意味のことをトリアッティがいってますが、そこから、アイゼンハワーのatoms for peace はそれ程遠くないですよね。
そして、実は被団協がそういう綱領的立場を持っているなんて、被爆者の大半は知りません。6-11ヒロシマでも大きな集会とデモをやりましたが、そこに参加していた著名などちらかというと日共に近い被爆者の方も、私がその事実を話すと驚いていました。今回ニュースにもなった被団協総会では綱領的な方針転換という議論にはなっていません。日共の方針でしょう。
だから、そういう官僚支配をどうひっくり返すかが課題です。しかし、、しれは生優しくありません。
広島は全国でも唯一、被団協が原水禁系と原水協系に割れたところです。だけど、日本被団協としては原水禁系の坪井理事長がまだ代表委員になっている。原水禁系だから良心的と思うかも知れませんが、原水禁が2005年から連合や核禁会議と一緒に平和集会をやり始めたように(長崎は2004年から)、こちらもダメです。
劣化ウラン問題が表面化した時、被団協に取り組むように申し入れしましたが、拒絶されました。ピカドンとは違うからというわけです。
オバマのプラハ演説の翼賛運動が始まって、被団協も連合や原水禁とそれに乗る(一番ひどかったのは日共の志位でしたよね。アメリカまでオバマ賛美に行ったでしょ)署名運動や、秋葉市長が音頭を取ってTシャツや歌まで作りました。どう見ても、被爆者運動や反核運動を帝国主義支配者の意向(暖かい思いやりに)依存させ、階級性を剥ぎ取ろうとする攻撃でした。私は被爆二世ですが、地域の被爆者団体の事務局長をやってましたが、被団協の方針に逆らうものと執拗な攻撃を受け、事実上解任されました。向うのエネルギーはこういう時は凄いですよ。口では、ほかにだれもやる人がいないからなどとぼやいて見せながら、路線的な方針変更を迫るものには潰しにかかります。
2008年に被爆二世実態調査が行われました。全国被爆二世協が「調査なければ保障なし」の言葉に脅されて、協力したものです。そして、案の定、親の被爆に起因する優位の遺伝的影響はないから、と二世への保障の道は閉ざされました。だから、日本帝国主義にとって二世問題は存在しないことをハッキリさせたわけです。そのくせ、ガン年齢に達するのはこれからだから、二世の調査は必要だということで20万人規模の調査が3ー11の少し前に発表されました。この許し難い調査発表に対して、坪井理事長は「遺伝の影響がないことがハッキリして良かった。みんなホッとしたんじゃないか」と平然と言ったのです。
2001年にはアメリカが対核テロ戦争への協力と称して、放射線影響研究所に協力を求めました。こういうことは地元協議会ではかるのですが、やっと開かれたその会議で坪井氏は被爆者医療に役立つなら?と言って賛成しました。
長くなるので、原発のこと簡単に言います。連合結成の後、中国電力の反原発で有名な電産中国が解散し、電力総連に吸収されます。その時から(新自由主義のピーク)、徐々に広島の原水禁の中で反原発が言いにくくなり出したそうです。同士の電力労働者を非難してはいけないという論理です。いつの原水禁大会だったか、その分科会で、槌田敦さんが東海村のリサイクル機器(FTなんとか)の稼働を見て、日本の原発の本当の狙いは日本の核武装という報告を行ったところ、非核三原則の日本が核武装することはないとして報告そのものが議事録から抹消されました。そして、さいしょに述べた原水禁、核禁会議、連合が合同で平和集会をやり始めるや、その大会では一切原発は語られなくなりました。
原発が猛烈に増えたのはやはり総評が潰された中曽根のー国家改造攻撃と同じ時期と見なければなりません。
長々となりましたが、被爆者運動一般が、あるいは原水禁運動一般が悪いと批判するところから、それを変えてゆく、指導部を奪取する、あるいは新しく作るということに我々は挑戦しています。
事情があって、何も手元になく記憶で書き殴ってますので、誤認識などもあるかと思いますが許してください。86ヒロシマ・アピールは、そういう歴史の清算をやり抜くせきにんを感じながらまとめたものです。
紹介したサイトは被爆者青年同盟のものですが、こちらみ合わせて読んでください。被爆者から闘いをうばったものと懸命に闘っています。
最後に、平和利用論で騙したやり口は絶対に許せないのですが、
先ほども述べたように、ヒロシマへの原爆投下は、実に帝国主義にとってもスターリン主義にとっても平和のためだったんですね。そして、アメリカ占領軍は解放軍だった、そこから戦後は出発しています。1960年を前にして漸く呪縛から解かれる。ビキニ被爆や核実験の全面化に対するいかりです。今回の福島原発事故も必ずそれ以上ん爆発的怒りと階級の行動を促すと思います。日本にもタハリール広場を!を合言葉にお互い頑張りましょう。
平和利用論の欺瞞と自己批判の欠落 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2011-08-15 10:10:10
福島事故以来、共産も社民も自党こそ「原発反対を貫いてきた党」だと誇大(デマ?)宣伝を続けているけど、靖国右翼だけじゃなく左派までもが歴史を粉飾・改竄するのは良くないよね。
社民党は、55年に原子力基本法を自・社両党により共同提案した旧・社会党時代以来、民主党政権参加時に至っても原発の存在を事実上容認してきたし、共産党もこの間新規の原発建設には反対しても既存施設を全面的に撤廃しろとまでは絶対に言わなかったものね。原水協や被団協が「反原発」方針を掲げることや「反原発」をも含み得る「反核」という包括的な規定を運動に導入することも反対したりした過去があるしね。

こういう事態の背景にアメリカ産の平和利用論ともまたちょっと違った日本流の「原子力平和利用」論があったことは否定できないと思いますよ。
共産党などは、今になってノーチラス潜水艦への軽水炉搭載などを例に上げた原発技術の軍事との関係を問題にしていますが、原発と軍事の関係は原子力潜水艦の登場を待つまでもなく、核爆弾の材料の製造施設としての原発が北朝鮮問題などでも議論の中心になっているのですからね。原発の存在は、昔も今も核兵器生産と切っても切り離せません。
原発と軍事(核兵器)に密接な関係がある以上、「平和利用」論の欺瞞性は明白ですよ。
今になって急遽「平和利用」論、それもアメリカ産のそれだけにやいばを向けても、自らの蒙昧や怠慢の弁護にはならないと思いますね。
ま、トリアッティあたりも左翼版平和利用論の普及に加担したらしいから、20世紀左翼は全体が重症だったみたいですけど・・・・
またまたついでに書いておくけど、、 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2011-08-15 14:21:50
共産党や原水協は、今でも「いかなる国」問題を正確に自己批判・総括してはいませんよ。
ということは、他人の核抑止力論は激しく攻撃する共産党・原水協ですが、実は自らも核抑止力論の尾っぽを引きずっているということ。

こういうことです。
つまり、「社会主義国」の核兵器をも等しく全廃すべきだという彼らの現在の立場は、かつてのソ連中国など「社会主義」国の核兵器が、その後の国境紛争や外国侵略の強行などによって「防衛的な性格」を失ったからに過ぎないからであって、核兵器の保有それ自体が不法だからでは必ずしもないかららしい。
故・宮顕も不破哲も志位も、平和主義に徹した社会主義国が「防衛的な核兵器」を保有することまでは否定出来ない、ということになる。少なくとも彼らの総括の論理にはそういう解釈を許す余地が残されている。
つまり、「核抑止力に守られた社会主義国」というかつてのマルクス主義の戯画は、21世紀になっても、実はまだ完全には清算されていないのです!!!
「純粋に防衛的な核兵器を保有する社会主義国」なるものが地球上に再度現れたら、「いかなる国」問題は、「核抑止力」論と共に、またまた蒸し返される可能性が大なのです。

この論理だか非論理だかって、常人に理解可能ですかね???wwwwwww

(なお、詳しくは、浅井基文氏のサイトを参照のこと)
日本流の平和利用論 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2011-08-17 08:03:02
自国の核保有や核政策の反人類性を誤魔化すために編み出されたアメリカ産の「原子力平和利用」論以外にも、「日本流の平和利用論」とでもいうべき謬論が誕生し日本で蔓延ったことが原発神話の蔓延の背景になっていたとオレは思うんだけど、その責任を問われるのは左翼や進歩派、それも、たぶん一知半解な古典解釈でマルクスの生産力論や科学技術論を歪めてしまった共産党や旧社会党左派、新左翼党派などの20世マルクス主義なんだろうね。

マルクス理論を教条化するあまり硬直した時代観しかもてなかった20世紀左翼は、憲法への非武装条項挿入をめぐって国会で吉田茂にバカにされてみたり、「いかなる国」問題で「社会主義」と「国家」と「核武装」という不可能な三項連結に拘泥して軍事力抑止主義を不可避視・永劫視したり、「価値的に中立な核技術」なるものがこの世に存在するかのような幻想に取り憑かれて原発への批判力が蝕まれたり等々と、蒙昧や思考停止を繰り返していましたからね。

ま、「鉄腕アトム」みたいな善意の平和利用論の蔓延の裏には、アメリカや電力資本の策謀と共に20世紀左翼の無能があると思いますよ。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

福島の犠牲の上に胡坐をかくな」カテゴリの最新記事