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南海平野線の痕跡を探る

2022年11月16日 21時57分52秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

前回記事の中で南海平野線で使われていた架線柱がまだ健在である事に触れました。その架線柱の写真を撮って来ましたので、これもブログに載せる事にします。

阿倍野の交差点で上町線の架線柱から2本の電線が枝分かれして、阪神高速の下道(大阪市道津守阿倍野線)沿いに阪堺線の方に向かって伸びています。その電線を支える架線柱こそが旧南海平野線で使われていたものです。

この電線は今も南海電鉄玉出変電所から供給された電力を阪堺線経由で上町線の方に流しているので、昭和から平成に変わっても、古い鉄製の架線柱から新しいコンクリート製の架線柱に更新されています。架線柱の標識番号の隣に平成27年11月製の表示があるのがその何よりの証拠です。

やがて南海平野線当時の架線柱も現れます。この鉄製の架線柱は昭和32年製で、標識の左側には南海電鉄の旧社章である羽根と輪っかのマークや、上町線の饋電線(きでんせん:配電線)を意味する「上キ」の記号が記載されています。

この架線柱の標識には何と「昭和18年1月設置」との記載が。戦時中の大空襲下でも持ちこたえた昭和の産業遺産が、まだこういう形で残っているのです。

やがて電線は阪堺線今船駅横の踏切で阪堺線の架線柱に繋がります。

阪神高速の下道の隣は飛田新地で、この辺りには平野線の飛田駅がありました。この空地こそが、今も唯一残る平野線の遺構です。

最後に、南海平野線は何故廃止されなければならなかったのでしょうか?赤字だったからではありません。戦前でもラッシュアワー時には2両編成で運行しなければならないほど需要はありました。その上、戦後は沿線の宅地開発も進み、ますます急増する需要に路面電車では対応できなくなってしまったのです。

そこで都市政策審議会の答申に沿って、平野線の線路用地をつぶして、そこに地下鉄谷町線と阪神高速14号松原線を建設する事になりました。平野線の線路は阿倍野を出ると後は平野まで一直線に伸びていたので、そこに目を付けられたのです。一時は平野線を高速鉄道に作り替えて、天王寺から平野よりさらに先の八尾や柏原まで延長する計画もあったのに。(詳しくはウィキペディアの記述参照)

平野線運行最終日の1980年11月27日は、始発から終電まで終日無料で電車が運行され、チンチン電車との別れを惜しむ客でどの電車も満員だったそうです。その3日後に阪堺線・上町線も南海電鉄から阪堺電気軌道株式会社(今の阪堺電車)に分社化されてしまいました。儲かる黒字部分は親会社が独占してしまい、子会社には赤字部門だけが押し付けられる。今の新幹線と並行在来線の関係と余りにも良く似ています。

今の地下鉄や高速道路も、チンチン電車の犠牲の上に成り立っているのです。チンチン電車がなければ今の地下鉄や高速道路の繁栄はありませんでした。なのに、美味しい黒字部分だけ横取りし、赤字部分は子会社に押し付けておいて、やれ「コストがかかる」だの「輸送効率がどうの」と言って、赤字の責任を子会社や沿線住民だけに押し付けるのは、私は盗人猛々しいにも程があると思います。それでも「自己責任」と言うなら、良いとこ取りした親会社の南海電鉄や大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)、阪神高速道路公団(現在は株式会社に改組)にこそ、真っ先にその責任を果たさせるのが本来あるべき姿ではないでしょうか。


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