東海岸 - 音楽、食、犬の娘など

クラシック音楽、オペラ、食、ふわふわの犬の娘のこと、などをつれづれなるままに...

[2013-14] Jurowski & PHO - Bach, Strauss, Mahler ユロフスキ & フィラ管

2014-02-08 | 交響楽

今回フィラ管が出してくれた上の写真はもう一昔前、2005年のフィラ管デビュー時のもののよう。
以下もすべて当日のものではありません

 

デビュー以来毎シーズンの登場のペースだったのが、一シーズンの不在後、今回は二週に渡るフィリーでのユロフスキのコンサート第一弾。今シーズンは幸運なことに東海岸への登場が多くて喜ばしいのですが、どうも残念ながら来シーズンはこんなに頻繁には聴けないかもと思います。

イギリスや欧州では通常一演目一日の公演という都市もあるようですけれど、アメリカのオケの地元でのコンサートでは(木)金土(日)のコンサートに向けて月曜から多くても3日~3日半のリハーサルで本番初日を迎える、というのが大概のスケジュールだと思います。なので客演指揮者でオケがやりなれてない作品だと、大抵週末の方が完成度が上がるような気もします。
この週のフィラ管は、カーネギー・ホールの裏方さんたちのストでキャンセルになったシーズン開幕公演の後、リスケジュールされた公演もネぜ・セガンが鼻炎で欠席したので(MTTが代振り)、こちらも臨時で追加されたネぜ・セガン&フィラ管の今季初のカーネギー・ホールでの公演が、またもや大雪が降った月曜にありました(ラドルプーがピアノ、NYCのYNSファンはやっと!だったでしょう)。ということで、ユロフスキは普段より一日少ない火曜からのフィラ管とのリハーサルだったんだと思いますが、にもかかわらず、かなり充実した熱い晩でございました。



Vladimir Jurowski ヴラディーミル・ユロフスキ 指揮(及びチェンバロ)
The Philadelphia Orchestra フィラデルフィア管弦楽団

Jeffrey Khaner (fl) ジェフリー・ケイナー

Emanuel Ax (pf) エマニュエル・アックス


バッハ 管弦楽組曲 2番 BWV1067
シュトラウス ピアノと管弦楽のためのブルレスケ ニ短調

バッハ チェンバロ(ピアノ)協奏曲 1番 ニ短調 BWV1052
マーラー 葬礼

 

バッハと、シュトラウス及びマーラーの若い頃の交響詩的な作品をそれぞれカップリングにした二層のプログラム、アックスはシュトラウスとバッハの協奏曲で前半でも後半にも登場、なんて、ユロフスキらしい面白い演目。
バッハは音楽の父である、なんてこと、みんなが小学校の音楽の時間に教わることですからいまさら言うこともないでしょうよね。マーラーは本日の管弦楽組曲の編曲もあるし、バッハ好きだったんでしょう、ベートーヴェンを間に入れると余計にバッハの影響も分かりやすい気がしますが、バッハとシュトラウスもそういえばスムースにつながるわねぇ、なんていうのはわたしは全く初めて感じました。バッハの頃から曲の出だしは少々ショッキングだし、なんていうクラシック音楽の伝統のようなものも体感したような気になったコンサート、そんな機会は、特にいわゆるhistorically-informedというかピリオド楽器演奏専門の音楽家も多い今日は、さらにさほどめぐり合わない嬉しい機会だったような気もします。この前に聞いたのがピリオド専門オケによるバッハのライバルかもしれないヘンデルだったので、あの後味のせいで格別に面白さを感じたところもあったかもしれませんけれど、バッハは特にピリオドの人の専売特許じゃ勿体ない、もしやユロフスキはフィラ管団員だったらノン・ビブラートだって慣れてなくともできる筈と刺激的なチャレンジしてるんじゃないの?とも思ったけど、これを機会にフィラ管もピリオド専門家から学んだ良い点と自ら自身の魅力を生かした個性的なバッハ、どんどん意欲的にやってもらいたいです。

バッハの管弦楽組曲2番はフルート協奏曲と呼んでもさしつかえないかも。わたしはすっかりひいきの団員のケイナー氏のソロ、両翼にそれぞれジュリエット・カン、キンバリー・フィッシャーがリードする第1、2バイオリンが6人づつ、ヴィオラ、チェロと共に3、ジョセフ・コニアース一人のコントラバス、チェンバロ補佐が一人の構成。コニアースは主席補佐で、それまでにもいい感じに熱の入った演奏をしている様子が気になっていたので、パートが一人だけでの演奏が聴ける機会も嬉しいもの。
またこの楽団のコンマスのデイヴィッド・キムだとマーラーのソロ部分は繊細になりすぎやしないか、大丈夫だろうか、とも危惧してましたけれど、本日のコンマスがカンさんだったのを見た時には少し安心したような。
ケイナーのソロだけでも嬉しいのに、もしやユロフスキはチェンバロの弾き振りしてくれるんじゃないか、のほのかな事前の期待も楽器配置で確信に変わってましたし、大好きな音楽家二人が一緒に登場したときのワクワク感ったらありません。

ユロフスキはそれぞれのテーマの繰り返しの前まで指揮をしてからチェンバロ演奏を始める、というような段取り。素手での指揮はかなりいつもと違う、非常な意欲を感じさせる熱を込めた大振り。それはフィラ管はこの作品はオーマンディ時代の1961年以来やっていないそうなので、今の世代の団員はきっとやりなれてない作品だからか、またノン・ビブラートとの指示にかなり苦労してるんじゃないかと思えるような、わたしの目には最初はいつもより随分固い感じにも見えたオケのため、も大きかったかも。彼らへのこの作品の指示としてあの指揮ぶりはかなり納得いくものです。鍵盤を弾き始めてからも視線だけじゃなく上半身特に首を大きくぐるんと振って指示をしていて、あんなのは客観的に見たら少々crazy scientist的に感じる人もいるかもしれないですけれど、やりなれてない作品で楽譜にもかなり集中している奏者たちには、目の縁に動きが入りやすいああいう指示だとありがたかったのでは。
それにしてももしかしたらアメリカでは直接自ら楽器演奏をして音楽作りに参加するのは初めてかもしれないユロフスキの楽しそうな笑顔のせいか、そしてユロフスキの演奏・指揮ぶりの熱心さで楽員たちも温まっていったせいか、この楽しい作品、観客としてもだんだんなんだかこの素敵なアンサンブルの演奏を聴いているのが凄く楽しくなってきます。コニアース氏もちょうどいい深みが出る微妙なベースの色を添えていて良かったし(ユロフスキにもよくやったと立たされてご本人もいい笑顔だったのもこちらも嬉しかった)、ポロネーズ中間なんかは、弦はチェロ一本で、ケイナーの美しいフルートを補佐チェンバロの人が入らずにユロフスキ一人のチェンバロでかわいらしくも味わい深く聴かせてもらえたりして格別に面白かった。ユロフスキはチェンバロでもやはりアーティキュレーションの感じがユロフスキらしいかも。
指揮者のみなさまはなかなか人前で弾かない人も多いかもしれないですけれど、ピアノを本格的にやっていた人も多いし、サヴァリッシュなんて非常に素晴らしいピアニストだったと思いますけれど、たとえ演奏家として人前で披露するほど優れていなくとも、まともなオペラ指揮者ならオケ譜を見ながらその場でトランスクリプション演奏ができるのも普通なんじゃないかと思います。逆に指揮者のピアノ演奏はピアノでそういう表現も変ですがオーケストレーションに味があって指揮者としての作品解釈が直接感じ取れてわたしにとっては大変興味深いものです。カラヤンのブランデンブルクの場合なんかはカラヤンのチェンバロは消音されてたという説もあるみたいですけれど(参考クリップ)、ユロフスキのチェンバロは逆に補佐の奏者のチェンバロより少し大きめな音で聴こえてましたし、再び今度はまたもっとじっくり、そしてもう少し慣れた仲間とで聴く機会があればいいのにな、チェンバロじゃなくて今度はもう少し音色・音量のダイナミクスの表情が出せるフォルテピアノとかあるいはさらに表情豊かなピアノで聴かせてもらえる機会があるとわたしとしてはとても嬉しいんだけどな、と思います。


フィラ管のエリザベス・ヘイネン、ダニエル・マツカワ、ジェフリー・ケイナー
彼らが演奏することを念頭に、それぞれタン・ダム、デイヴィッド・ルドウィック、ベーザッド・ランジバランにコンチェルトを書き下ろしてもらった作品を去年10月に特集したの時のもの


次のシュトラウス、これも協奏曲のような舞曲的交響詩のような感じで流れがいいし、バッハでもう随分楽しくなっていたのですが、大抵心の背筋を正して一字一句感心して神妙に聴いてしまうユロフスキのコンサートでこんな楽しかったのは今だかつてなかったかも!、と思うようなもの。この日はバッハ以外は指揮棒を使っていましたが、またもやこれもちょっと見たことのないような指揮振りが多くあって(もしかして少々実験的なところもあった?)、例えば出だしでまるで忍者の呪文サイン?のようなうねうねと縦の曲線を大きく描くようなのもあったりして、普段のようなビシッビシッとした鋭さと違う妖しい柔軟性のあるような音がちゃんと出てきたような気がしたのも面白い。そしてバーレスクは個人的にはダイナミックでパワフルなピアニストのヴァーチュオスティックな素晴らしさが中心にくるような作品だという印象があったんですけれど、その先入観はいかに愚かだったかを思い知らされました。渋い深みのある音色というか興味深い味わいや表情が豊かなマニ、ユロフスキの一音一音の音色・ニュアンス、各フレーズのアーティキュレーションにこだわったような、そして音量のダイナミクスも、不思議な推進力もかっこいいリードの元の素晴らしいフィラ管の音楽家たちだと、ピアノとオケ、ピアノとパートソロとのやりとりがとっても楽しい!、これはなんて面白い作品だったんだ!です。
多分楽しいのは音楽家たちも同じで、マニはソロ部分のニュアンスも素晴らしかったのですが、それに首を振りつつ酔うような表情のユロフスキ、ユロフスキとの音楽作りが楽しくてしょうがなさそうな嬉しそうな笑顔でユロフスキの指示を見上げるマニおじさまなのでした。マニはほんとオケとのやりとりを楽しんでいて、中でも特に掛け合いというか対話が面白かったティンパニーが、ピアノ部分がないところでドドドン!なんてやるところでは、ティンパニストに向かって両腕を大きく使って勢いよくドドドン!の応援のしぐさを出す、なんてことも二度ほどしてたかと。シュトラウスはやっぱりピアノも上手かったせいか、ほんとメロディ楽器的な打楽器使いがいいですね。

プログラム前半の二曲は一言で言えば、「素晴らしい音楽家たちの楽しいライブ・ジャムセッション」だったのだわ。音楽家たちがここまで作品への愛着をてらいなく出してきてダイナミックな生演奏の楽興の時の醍醐味を楽しんでいる、そしてお客さんにもその楽しみをまざまざと味わわせてくれる、なんてことになるとはちっとも予感していなかった分、すっごく楽しかったです。

シュトラウスのこの作品は、メンターのクラウス・フォン・ビューローがピアノ・ソロ譜をチラッと見ただけでこんなの弾けないね、と言ったし、シュトラウス自身も自分でピアノ演奏をしてオケと通して演奏してみた時に「(この作品は)全くのナンセンス」なんていう発言をしたなんてことが伝わってますけれど、実際にはこの作品、そのエピソードの4年ほど後、フォン・ビューローやシュトラウスよりもピアノの名手だったというオイゲン・ダルベールで、もちろんシュトラウスご本人の指揮で、「死と変容」と共に世界初演されています。「わたしは一流作家でなく、一流の二流作家だ」なんて自嘲的な発言もあるらしいシュトラウス、実際にはご本人もそこまで酷い作品とは思っていなかったのでは。少なくともわたしは金輪際「ナンセンス」発言なんて気にしないもん、やる音楽家によってはこんなに面白くなる作品なんだから、と思いました。
ちなみにフィラ管が最後にこの曲をやったのは、まぁこんなにフィラ管の名手たちの活躍が味わえる作品なのに勿体ない、1996年、サヴァリッシュの指揮、アックスのピアノだそうで、これは録音もあるようなので、いずれ聴いてみたいと思います(フィラ管のはパパ・ゼルキン&オーマンディの録音もあります)。


休憩後のバッハのオケは、先ほどのバッハの配置にコントラバスがもう一人加わった体勢。奇遇にもバーレスクもこの作品もフィラ管初演は両方とも1912年三月のカール・ポーリッヒ(ストコさんの前任で史上2代目監督)の指揮、バックハウスのピアノだったそう。これはしかしシュトラウスよりももっと演奏機会も少なかったし、オーマンディ時代の1950年の公演以降やってないということ。結構人気作品だと勝手に思っていたので意外な気もしますが、ここ60数年のゲスト・ピアニストがフィラ管とやる機会に選ぶ作品ではなかった、ということなのか。
こちらもかなりいい演奏だったです。だけど1・3楽章はもう少し硬質めの若々しいピアノの方が好みかなぁでしたし、後半のソロ部分では少々ビート感がおかしくなった感じがあって、あらまたマニのあれが出たわ、とはっとしました。ユロフスキは数年前の共演(LPO北米ツアー)で同様のことがあった時と違って、今回はオケも小ぶりで指揮棒も使っていないので、あの時よりもっと微妙に、小さい頷きで新たな1と2と・・・の拍をとって、さりげなく団員たちの次の準備にしてました。
オケ団員もつい忘れていつもの癖が出ちゃったのか一人でビブラート出しちゃった人もいたり、なんてこともありましたが、先に文句を並べたとはいえ、二作品を聴かせてもらって、全く意外ではないけれど、ユロフスキのバッハは、やっぱりかなりあちこち興味深いつくりで、とっても良かったです。ご本人もとりわけ愛情深げな様子だったし、ほんと今後も是非どんどんバッハを聴かせて欲しい。
それにしてもマニは温厚そうだし誰にでも優しいような感じですが、今晩はほんと楽しかったんじゃないでしょうか、楽屋に引っ込んだ瞬間にユロフスキの肩に腕を回してた。よい光景でありました。

 

マーラー、こちらのコメント欄でもどれほど凄かったかお喋りしていましたが、あの凄さはCさまに言い尽くして頂いたような気がします。もうほんとうに描写が素晴らしいので、勝手ながら引用させていただくと、「始め指揮台に身軽に飛び乗る時から何かしらきびきびした様子で、すぐに構えた様子は 恐ろしいほどでした。何か大上段に構えて何かを切るような感じ。第一音からちがいます。」「鋭い指揮が飛んで来るのでオケの連中は答えざるをえない、という感じなのです。」「一分のすきもありませんでした。」「全く圧倒されました。鋭い、厳しい,切れる, 劇的な反応を誘出する,美しい音を沸き上がらせる,なんと言ったらいいのでしょう。」

Cさまが仰るとおり、マーラーの時はいつものあのユロフスキの凄い気が体から発電しているようなモード、いきなりの「人斬り」振りの出だしから最後まで、衝撃的に圧倒されっぱなしでした。「葬礼」はOAE版が出ていますけれど、フィラ管でこの大人数の編成(マツカワさん、モラレス、ウッダムスも参加)だと、あれとは全く違う印象、意図するダイナミクスが恐ろしく鮮やか、そして色彩豊かな演奏。今回「葬礼」はフィラ管初演だそうですけれど、もちろん2番は相当やりなれているおかげもあるし、もうそろそろ10年近くの長い付き合いということもあるからか、あの非常に無駄がない、厳密で緻密で曖昧さのないユロフスキの指示への感応度がもう完璧と感じられるくらい。まさにユロフスキの端的な指示そのままに素晴らしい音楽が湧き上がってくる、んです。いつもながら鋭い洞察力を感じるユロフスキの読みもそうだし、耳や靴ぞこを通して感じる演奏自体の素晴らしさだけでも圧倒されるようなのに、やはり生ですからユロフスキの指示を視覚でもやはりそう意図しているのか、と確認できる喜びと、それを見事に体現しているオケの素晴らしさをここまで味あわせてもらって、驚嘆するばかり。凄い、凄いとしかいいようがない・・・
前にユロフスキ&LPOの一番のCDについてお喋りしていたときに、まるでグスタフ・マーラー氏の脳内の出来事を体験してるような面白さ、なんて言ってましたが、ユロフスキのマーラー、今回も非常に密度の濃い20分(ほど?)でしたが、聴くたびに凄くなってるような気がする。これはもうわたしは抜け出せそうにもないです。次の機会が待ち遠しい・・・

 

今回のおまけクリップはちょっと時期外れですが、ユロフスキのバッハつながりで唯一YTに残っていた2007年のドレスデン・フラウエン教会のアドヴェントコンサートから、クヴァストホフの「主よ、汝の御心のままにわれはあらん BWV73」。このコンサートは他にもクリップがあり、そのプレイリストはこちら

Quasthoff, Jurowski & Staatskapelle Dresden - J.S.Bach: Herr so Du willst (Kantate BWV73), Dresden 2007

 

★★★★☆



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2 コメント

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さらにしつこく (Kinox)
2014-03-26 10:41:13
VJネタで、ラジオ放送のお知らせ
このコンサート、今週日曜午後1時(現地、日本時間月曜朝2時)にラジオ放送があります
http://wrti.org/post/ax-plays-bach-jurowski-conducts-philadelphians-concert-wrti-march-30-1-pm

同じタイミングでこのコンサートについてのミニ・インタビューも出てました
http://wrti.org/post/performing-majestic-music-js-bach-modern-yet-historical-approach
バッハをバックボーンにしたプログラムの心とか、最近はピリオド専門家のものになっちゃって普通のシンフォニーコンサートではなかなか聴けない、なんてこととか、ある程度はこのプログラムでやろうとした意図、話を聞くまえにも推測できてましたけれど、メンデルスゾーンを介して教会音楽からクラシック音楽の流れに復活した話とか、重い解釈vsフランス的解釈などなど、さすがの説明でございます
それにしてもフィリーのラジオ局で、「ストコフスキらのようなメガロマニア的バッハ」なんて言い方するなんて、相変わらずユロフスキらしくておかしいです
今週再放送あります (Kinox)
2015-02-20 07:12:33
ほんとに充実した公演でした。
あの後、同じアックスが、ネルソンスとベルリンフィルとで同じブルレスケやったんですが、ネルソンスのがユロフスキよりも冷たくぎこちないと思えるつくり、そんなことが起こりうるとは想像だにしなかったです。ベルリンで、しかもカメラが入ってると、やっぱりある程度お行儀よくなってしまうものなのかもしれませんが。
まぁ比較はともかく、こちらのコンビの方はめっちゃくちゃ楽しくて熱いセッションでございました。

現地時間日曜午後1時から放送でございます(残念ながらオンディマンドではございません)
http://wrti.org/post/ax-plays-bach-jurowski-conducts-philadelphians-concert-wrti-feb-22-1-pm

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