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[骨ばかりの朝鮮総連③]北送船に乗った70代 「歓迎の人波、寒い日にも裸足で…騙されたと思いました」

2016-03-24 16:12:38 | 北朝鮮の虚像

引き続き、朝鮮日報の「骨ばかりの朝鮮総連」シリーズ、最後の記事です。

 

 

 

北送船に乗った70代 「歓迎の人波、寒い日にも裸足で…騙されたと思いました」

 

 

鉛筆手紙書くと来るなという意味一部の人家族事前暗号を決

 

 

가와사키 에이코 사진



在日朝鮮人の川崎榮子さん(73歳)は17歳だった1960年、日本の新潟港で、清津行きの北送船に乗った。このように1959~1984年まで在日朝鮮人9万3440人が北送船に乗った。朝鮮総連に詳しい金賛汀(キム・チャンジョン、79)さんは「朝鮮総連の一番極悪な行為は在日朝鮮人に北朝鮮は地上の楽園と偽り、北朝鮮に送ったことと彼らを‘人質’にした北朝鮮向け送金」と述べた。

 

「最初は地上の楽園に行くと思いましたが、北朝鮮に行く途中から何か間違っていると思いました。清津港は寒かったんです。数千人の人が出迎えてくれましたが、靴下を履いている人は一人もいませんでした」。

 

 

1959년 일본 니가타항에서 재일동포 975명을 태운 북송선(北送船)이 출발하고 있다. 1959~1984년 재일동포 9만3000여명이 북송선을 타고 갔다 돌아오지 못하는 신세가 됐다.

1959年、在日朝鮮人975名を乗せた北送船が新潟港出発している。1959~1984年の間在日9万3千人余りが北送船で北朝鮮へ渡り、二度と戻ってこられない状況となっている



川崎さんは日本にいる両親に「北朝鮮に来てはいけない」ということをどのように伝えるか悩んだ。他の人は出発前にあらかじめ「鉛筆で手紙を書くと来てはいけないという意味、ペンで書くと来ても大丈夫という意味」と暗号を決めておいたという。川崎さんの家族は、そのような方法を考えもしなかった。ただ朝鮮総連を信じていた。回りくどい表現で書かれた手紙の内容をうまく理解した川崎さんの家族は北朝鮮に来なかった。

 

その後、数十年間に渡り川崎さんのように北朝鮮に向った在日朝鮮人は、日本在住の家族と乱数表のような手紙をやり取りした。北朝鮮で「30歳になった恵子に会いたい」という手紙が来ると、家族は「私たちの中には恵子はいないのに…」と悩んだ末、時計(とけい)の発音に似ているから‘恵子=時計’と推察して時計30個を買って送ることもあった。

 

川崎さんは2003年に脱北した。43年間、北朝鮮で生活する中でいつもこと2つを心に刻んでいた。「おしのように暮らす。自殺はしない」。自殺した人は、北朝鮮の体制に不満があるとみなされ、残された家族が、ひどい目にあった。北朝鮮で思想犯は主に午前2~3時に逮捕された。深夜にある家の前にトラックが止まるとその日、その家族はどこかに消えていた。一晩中、身が縮む思いをして、夜が明けるとようやく「今日も無事だった」と安心して眠りについた。

 

川崎さんは「朝鮮総連と戦うため」に日本行きを選んだ。川崎さんは、国連で自分の経験を証言しており、朝鮮総連に反対する内容の講演やデモを続けている。

 

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