アジアと小松

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小松基地問題研究会

20051219「熱(ほとぼり)」公演(大沼さんの感性)

2021年07月03日 | 思い出の人
「熱(ほとぼり)」公演 (第二次公演:2005年12月19日、石川県立音楽堂)

 先月(2021年6月)、大沼栄さんが亡くなった。そんなに長く、深い付き合いではなかったが、不二越強制連行訴訟立ち上げ時期にご一緒した。私より15も若い人で、エネルギーに満ちていた。2005年12月19日に石川県立音楽堂で「熱り(ほとぼり)」が上演され、大沼さんは実行委員として働き、上演後下記の感想を寄せている。
<2007年9月19日 第2次不二越訴訟富山地裁判決に抗議する大沼さん>


金沢公演『熱り(ほとぼり)』と歴史 大沼栄
 1932年4月29日、天皇誕生日兼第一次上海事変終結記念の祝賀会において壇上に爆弾を投げつけ、日本軍の将軍を殺害した朝鮮独立運動家・義士尹奉吉(ユン・ボンギル)と彼をとりまく人々、そしてその時代を描いた演劇「熱り(ほとぼり)」が、韓国公演、東京公演をへて、尹奉吉処刑・暗葬の地金沢で尹奉吉殺害忌念日12月19日に表演されました。
 僕は金沢での平和運動をリードしている仲間からの紹介で「熱り」金沢公演実行委員会に参加させていただいたのですが、初めて会議に出席させていただいた時から「やった! これは儲けものだ」と感激しました。

 何より嬉しかったのは、在日コリアンの大先輩方たちのお話しが聞けた事でした。15年戦争に日本が突入していった頃の「石川県朝鮮人自由労働組合」、日本政府寄りの「共栄会」、そういったものの存在自体を知らなかった僕が、その活動を子供ながらに見てきた生き証人の言葉で説明されるのだからこたえられません。
 また、貴重な資料を配布されての上海事変前後の軍都金沢と九師団についての講演も目からうろこが落ちるくらいでした。当時の金沢市民の人口4分の1は、軍関係者。今に残る老舗のお店、料亭なども軍御用達だったものが多いそうです。現在の観光都市金沢からは想像がつきにくい事実でした。

 「熱り(ほとぼり)」は、日本人が日本語で演ずる“義士”としての尹奉吉と、それをとりまく人々の物語です。当時の軍国主義大日本人の視点では描かれていません。そして、悲しい事に現在の多くの日本人の視点でも無いでしょう。だからこそこの演劇には大きな意義があるともいえます。
 当然韓国公演は大変注目され、マスコミ取材は過熱し、劇場では満員の観衆が、(くりかえしになりますが)日本人が日本語で演ずる声奉吉に涙し、大歓声を送りました。この事だけでも不二越訴訟を支援している私たちとしては喜ばしいニュースではないでしょうか。

 舞台は第一次上海事変当時の中国上海、姿をくらましている大韓民国臨時政府国務委員主席・金九(キム・ク)を尋ねて彷徨する尹奉吉の姿を描きます。そして日本天皇に手榴弾を投げつける事になる李奉昌(イ・ボンチャン)の登場、暗躍する日本側のスパイ、尹奉吉と金九との出会い。爆弾を抱いて去り行く尹奉吉、逮捕され拷問の限りを尽くされ、大阪に連行された尹奉吉を奪還しようと奔走する大阪コリアン「反帝同盟」、舞台は金沢に移り「自由労組」と「共栄会」の友好と決別……上海、大阪、金沢での“熱き”物語を意外なぐらいに淡々と演じられます。

 さて、大寒波来襲中の金沢公演。心配された客足も上々。満員の客席からは万来の拍手のカーテンコール。高価な冷凍蔘鶏湯パックのお土産つきでお客様もさらに感激。成功裡に終了いたしました。これも多くのかたの、さまざまなかたの「熱り」の結実でした。
 ところで演劇「熱り(ほとぼり)」を深く理解するためには、万宝山事件、尹奉吉の義挙がカイロ宣言・ポツダム宣言に与えた影響、石川県朝鮮人自由労働組合などを研究する必要があるようです。歴史をひもとけば、尹奉吉がなぜ、朝鮮半島では義士とされ、今なお慕われているのか、また逆に日本ではテロリストとされ、今ではその名も知られていないのかが浮かび上がってくると思います。

 では、キャスト、スタッフ、お客様、色んなかたちでこの公演にかかわったすべてのかたがたに深く御礼をさしあげて締めくくりに致したいと思います。
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