アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

『中東民衆革命の真実-エジプト現地レポート』を読む

2011年09月27日 | 読書
『中東民衆革命の真実-エジプト現地レポート』(田原牧著 集英社新書)

 著者田原牧は1986年からシリア、中東、イスラーム圏を取材し、現在は東京新聞(中日新聞)特報部のジャーナリストである。著者は「エジプトで革命なんてあり得ない」と考えており、「エジプト1・25革命」「2・21ムバラク退陣」を予測できなかったという。

 著者はどのように予測していたのか。エジプトでは民衆の抵抗は連綿と続いてきた。ナポレオンの占領に対する抵抗、1910~20年代の反英独立運動、1952年駐留英軍に対する暴動、1977年食糧暴動など武装闘争はくりかえし戦われたが、民衆が為政者を打倒したケースはなかった。エジプト社会の構造や国民性、軍と政権の関係も、物価の高騰も失業率の高さぐらいでは、エジプト革命の可能性を考えさせなかった。

 著者は直接その目で確かめるために、革命の渦中にあるエジプトに飛んだ。タハリール広場で見たことは旧世代とは異質な、若者達によって形成された「タハリール共和国」と呼ぶべき非日常的な空間だった。「タハリール共和国」の若者は「自由を求めることに、キリスト教徒とムスリムの間に隔たりはない」と語る。「ムバラークが去るまでは、我々は去らない」「野党でも政党でもない。これは青年達の革命だ」という横断幕がなびく。

 SNSフェイスブックの役割は小さくないが、その役割は革命の端緒を切り開いた段階でほぼ終えていた。若い市民や労働者が広場に集まり、「新しいエジプト人」が広場を闊歩していた。「頭を上げろ、君はエジプト人だ!」というシュプレヒコールが叫ばれている。経済的な苦境はデモの素地にはなったが、「タハリール共和国」が形成されると、それは二次的な理由に後退し、「パンよりも尊厳!」という横断幕が現れた。

 ムスリム同胞団(イスラム原理主義団体)、エジプト共産党は裏方に徹していた。前面に出ないことで、政権側にデモ隊への弾圧の口実を与えず、政権打倒後には合法政党としての地位を獲得することを考えていた。

 政権側の砦であるエジプト軍が守ったのは民衆ではなく、自らの権益と政府の建物に過ぎなかったが、結果として青年達に加勢した。今回の革命で新自由主義的な経済政策は変わるとは考えられない。政府・資本と労働者の対立構造はそのままだ。今後、独立系労組や左派勢力が攻防の主役になる可能性がある。

 米国の中東政策はイスラエルの安全保障、原油の安定供給、イスラーム過激派の封じ込めの三本柱だが、米国の対応は混乱し、ムバラク独裁者を喪失し、ダメージは大きい。

 ムバラーク退陣後の2月23日、軍最高評議会は憲法の停止、立法権のない諮問評議会と人民会議の解散、現行の国際条約や協定の遵守、改憲の国民投票とそれに基づく大統領選挙、議会選挙の実施などを発表した。革命の第1幕は終わったが、権力関係や既存の支配体制は、革命後もまるまる温存された。

 本格的な労働運動の台頭は革命後に顕在化した。「民衆に銃口を向けない」と言っていた軍が4/8のデモ隊に発砲した。革命の推進のためには、権力の実体である軍との対峙が不可避であるという現実が、青年、市民、労働者達に突きつけられた。エジプトでは革命の第2幕が上がった。青年達の反逆の精神は未来に向かって輝いている。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小松市住宅地地価調査結果の分析 | トップ | 『中国朝鮮族を生きる 旧満... »
最新の画像もっと見る

読書」カテゴリの最新記事