アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20171016小松基地爆音訴訟口頭弁論

2017年10月18日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
20171016小松基地爆音訴訟口頭弁論

 10月16日、小松基地爆音訴訟口頭弁論が開かれ、前回に続き、2人の原告本人尋問がおこなわれた。(文責は当会)

浜田町のIさん
 中学生のときから騒音の烈しい浜田町に住んでいる。途中、進学や結婚を契機に非騒音地域で生活したが、家庭の事情で浜田町に戻ってきた。(反対訊問では、「危険への接近」を論証すべく、「うるさいとわかっていながら、なぜ戻って来たのか」としつこく質問したが、誰にだってさまざまな事情があるものだ。)

 騒音地域の高校に進学したが、現代国語の時間にF104J戦闘機がくり返し飛行し、授業にならない。途中で先生は授業をやめてしまい、F104Jが校舎の真上を飛ぶたびに、黒板にチョークで印をつけた。それが40回を超えていた。(50分授業だから1分に1回になる。筆者も同高校に通学したが、F104J配備直前のF86戦闘機だった)

 高血圧や糖尿病を発症した。46歳の時に聴力低下を診断され、今年6月の検査ではさらに悪化していた。戦闘機騒音のストレスからきていると思っている。生活上では、電話での会話ができず、いったん切って、騒音が去るのを待って、かけ直している。一部防音部屋があるが、いちいち「コンテナボックス」に入ってはいられない。

 昨年からアグレッサー部隊が追加配備され、北朝鮮情勢もあって、ランダムに飛ぶようになった。政府は北朝鮮のミサイル危機を煽っているが、真っ先に小松基地が狙われるのではないか。国は謙虚な対応をしてほしい。

 防音工事をめぐって、騒音地域と非騒音地域が分断されている。加害者側の国が努力すべきである。

安宅町のKさん
 静かな農村辰口町に生まれました。結婚後、夫の父が確保してくれた安宅町の住宅地に家を建てて暮らしはじめた。こんなにうるさいところとは知らなかった。夫もその兄弟も難聴です。息子の職場は夜勤があり、夜勤に入る前に仮眠したいが、騒音で休めない。

 わたしも介護職になり、夜勤が始まり、夜勤明けは騒音で眠れなくて、眠剤を服用していた。とても耐えられないので、2年ほどで夜勤のないディケアに移動させてもらった。新聞や本も落ち着いて読めないし、テレビの音が掻き消されるし、会話や電話が中断を余儀なくされます。

 早朝にエンジン調整をおこなうと、家の窓がカタカタ音を立てます。とくに、航空祭の3週間ほど前から訓練が酷くなります。通常は1機か2機編隊で飛ぶのですが、この時は4機、5機、6機がいっぺんに飛び立って耐えられないです。航空祭当日は、あまりにもうるさいので、みんなで出かけるようにしています。近所の人も同じように言っています。

 2011年10月、家から150メートル先に、F15J戦闘機の燃料タンクが落下しました。孫を保育園に送っていって、帰って来たところ、友人が飛び込んできて、「大変なことになっとるぞ。工場で爆発でも起こったんじゃないか」と言われ、一緒に音がした方に走りました。途中で、長方形で、銀色の大きなブリキ板が落ちていました。もう少し行くと、長さが1メートル50センチほどの、電柱よりすこし細めの円柱状のものが地面に突き刺さっていました。こんな物が家の上や高速道路に落ちたら大惨事になっていたと思います。

 この事故のあと2カ月間ほど、自衛隊は飛行訓練を自粛していましたが、とても静かで、騒音に悩まされることもない、穏やかな生活で、とても幸せでした。

 しかし、昨年アグレッサー部隊が配備されてからは、飛行回数も飛行時間帯も拡大しました。午後8時台にも飛ぶようになり、夕食時間の団らんが中断されます。わたしの願いは、静かな空と静かな生活がほしい、空から物が降ってくる危険から解放してほしい、子や孫のために平和な空がほしいということです。
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