アジアと小松

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小松基地問題研究会

4/29尹奉吉殉国記念式(金沢)

2011年04月30日 | 尹奉吉義士
4/29尹奉吉殉国記念式

 79年前の4月29日は尹奉吉が上海で日本軍に爆弾を投げて日本軍幹部を多数打倒した日です。韓国では盛大な式典が行われましたが、尹奉吉が処刑された金沢でも記念式が開催されました。

 義挙80周年に向けて、全集の発行や処刑地の調査などさまざまな企画が進められていますが、私も、資料の発掘収集や処刑地を調査してきました。韓国からも来日して処刑地の現地調査をしていますが、多少見解の違いが見受けられます。

 たとえば、処刑地は中尾山川の上流であることには異論はありませんが、南北で一定のずれがあります。2008年のSBS放送の調査では警備道路の北側、東亜日報はその南側としています。軍や憲兵隊の公文書に添附された略図と1956年の等高線地図(1932年当時の地形を判断する最良の地図)を比較検討しても、今のところ正確な結論を下すことはできません。

 また、尹奉吉が処刑のために座らされた場所は中尾山川の東側崖下か西側崖下かで意見が分かれています。SBS放送は東側崖下、東亜日報は西側崖下としています(東亜日報インターネット上の写真「尹奉吉義士殉国地点」)。

 わたしはSBS論を支持しています。なぜならば、軍や憲兵隊の公文書には、処刑地は金沢-小原線の東側で、尹奉吉の背後に7mの崖があり、尹奉吉から西北方10mの地点に射撃手がいたと記されているからです。すなわち、尹奉吉は東側の崖を背にして座り、射撃手は西側の金沢-小原線を背にして伏せ撃ちしたと推測されます。東亜日報論では、射撃手と尹奉吉の位置が公文書と矛盾することになります。

(注:中尾山川上流は雨が降れば小川となる程度の細い沢です)
(写真説明:中尾山川と警備道路の交差点から南側を撮影、写真左が東、右が西。尹奉吉殉国地点は中尾山川の西側崖下になっています)

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