城ファンの方は読まないでください。
【速報】NMB48城恵理子卒業
http://akb48matome.com/archives/51840385.html
驚きはしなかった。
興味がないわけでも、冷めているわけでもない。
もう限界だなと思っていたから。
笑顔が痛かった。(いつも城の笑顔が苦しいと言っていたのだ)
彼女の笑顔は、彼女の努力そのものだったが、同時に自分自身を騙すことのできない不器用な人の笑顔でもあった。
彼女自身が、その努力の意味を、努力の向かう先を理解できていなかったのだろう。
屈託のない笑顔には、いつも迷いが入り混じっていた。
私は、人の笑顔は木の年輪のようなものだと思っている。
笑顔には、その人の人生なり経験なりが出ると感じていて、笑顔に接すればその人がだいたいどんな人かがわかる気がする。
城の笑顔を見るにつけ、もう一回り成長しない限り、このまま続けるのは難しいと思っていた。
誰にでも、解決できない悩みや迷いといったものがあるものだ。
しかし、一つひとつを真剣に考えていたら前へ進めない。
解決できないのだから。
そんな時に使われるのが「問題の先送り」だ。
今解決できない問題を将来へつけ回す。
決して悪いことではない。
我々は、常日頃そうやって生きてる。
全ての問題を解かなければならないとしたら、どれだけ時間があっても足りなくなるし、そもそも人生には解けない問題ばかりある。
また、自分も状況も変わり続けるから、先送りしている間に、問題が解決される(問題が問題でなくなる)なんてこともよくある。
ただ、「問題の先送り」には一つ問題がある。
先送りしたものは、すべて「心の会計」にたまり続ける。
借金額は増え続けるのだ。
これと折り合いをつけなければならない。
知らないフリをするか、計画を立てて返済するか(今は払えないけど、将来的には完済できるとか)、etc...。
真面目すぎる人は借金をすることさえ嫌がったりもするが、ある種の器用さが必要だ。
中学生に大学生用の課題を与えたら、時として混乱するだろう。
馬鹿になれ(知らないフリをしろ)というのは容易いが、城にそう言うことが適切だとは思えない。
彼女には、彼女に合った学習の仕方というものがある。
それは、人それぞれにある。
その場にいれば、言えることはいろいろあるのだが、
どんな言葉も考えも、彼女の「学習の視座」から見える範囲内でしか意味を成さないのだ。
これは誰でもない彼女自身が責任を負っている彼女の人生についての決断として、今は場所を変えるべきだと考えたのなら、それを尊重すべきだとしかいえない。
高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/955b300923bbc4c6a1a256fab4a5c0df
それと、彼女が感じていたプレッシャーだが、私はNMB48という組織内にある淘汰圧力であろうと私は思う。
チームMのセンター、そしてNMB48選抜のチームM枠として城が選抜されると、その分、非選抜になる人がいる。
城恵理子が背負わされていたのは、「出れない人の分を代表している」という責任感であろう。
叱咤激励のつもりの言葉も、本人の力をはるかに超えた要求は口撃になる。
NMB48の中には、我こそはというメンバーがいるから余計にプレッシャーがかかる。
その場その場に相応しいメンバーでなければ、どんな施策も持続し得ないという意味での淘汰圧力は、組織としては歓迎すべきものかもしれない。
正直なところ、城が辞めてこれはチャンスだと考えているメンバーもいるだろう。
それは決して悪いことではない。
悪い均衡を是正して正しい均衡を目指す力は、運営の意思決定の誤りを正し、組織の新陳代謝を高めるためには、必要な圧力なのだ。
切ない力だが。
■追記
アイドルだけが人生じゃない。
小さい頃に「プロ野球選手になる」「日本代表としてワールドカップに出場する」「お嫁さんになる」といった夢を持った少年少女は大勢いることだろう。
その内、どのくらいの人が、本当にその夢に向かって進んだだろうか。
ほんの一握りではないのか。
多くの人は、知らず知らずのうちに今いる道へと進んできたのではないか。
夢なんてそんなもんだ。
そして、そんなもんだということを、我々はもっと知るべきだろう。
それを知った上で、教育とは何かということを考えたいのだ。
「夢を」とか「アイドルとして」とか「プロとして」なんて言葉を度々見かけるが、私から言わせれば、そんなものはあやしい。
彼女達は、AKB48グループに入るときに既に「自分の人生はこうだ」と決めておかなければならないのだろうか。
もしAKB48グループに教育機関としての役割を背負う覚悟があるのなら、そんなことは求めてはならない。
「教えを育む」という言葉の通り、教育とは、子供達が自分自身で人生について考えることに付き合うことだろう。
(与える側の思うとおりに、与えられる側が育つなんていえないわけだから。その理由が↓)
彼女達が、誰でもない自分自身の一生を、自分自身の責任で歩もうとするところまで付き合ってあげるのが、教育というものだ。
なぜなら、教育が持つ根本的なジレンマは、「それを知る前にはそのことについては知り得ない。」ということだからだ。
わからないから学ぶのである。
しかし、わからないのに、学んだ後のことがわかるわけがない。
学び終えてはじめて学んだことの意味がわかるのだ。
つまり、アイドルを目指す前に、アイドルになった後のことなど本質的にわかるわけがない。
だが、現代教育のせいなのか、ビジネス習慣のせいなのか、人は前もってそれをわかったものにしたがる。
知らないでいる状態が不安で仕方がないあまりに、不可知を可知に変えたがる。
知らないのに、知っているつもりにしたい。
だが、それは無理な相談というものだ。
だから、いいんだ。
城恵理子が卒業する。
「今の私には乗り越えられない壁があった。でもそれを学べたことが収穫です。」と言われたら、私は彼女に100点満点を上げたい。
何の意味もない100点だが、私は「これ以上ない、いい学びをしたね」と言ってあげたい気持ちでいっぱいだ。
高校球児たちによる甲子園での活躍に大人たちがあたたかい声援を送るのは、彼らがプロ野球選手の卵だからではなく、彼らの人生において彼らのその一生懸命さが、必ず有意義なものとなるという想いからであろう。
城自身の問題だったと思いますが、AKBに比べNMBは人気の上がり方が凄く早かったのが原因かなと思ってます。
菊地や鈴木しほりみたいに戻って来るのを期待してしまうくらい今回の卒業は受け入れがたいです。
でもそれと同時にとんでもない逸材が来てくれるのも期待してしまってます。
コメントありがとうございます。
選抜メンバー&期待されていただけにショックを受けた人は多いでしょうね。
(私は見てるのが辛かったのでちょっと安堵してますが・・すみません。HKTの方も心配です。)
>AKBに比べNMBは人気の上がり方が凄く早かったのが原因かな
準備期間が少なかったというのはその通りかもしれません。
年齢から考えても戻ってくる可能性はあるでしょうね。
たぶん、今後も根強い戻って来いコールは起きるものと思いますし。
ただ、NMB48はAKB48に比べて層が薄い分、狙ってる人も多いでしょうから、人がいなくなれば、次に出てくる人もいるでしょうね~。
しかし、これからも卒業は増えるでしょうね・・
その分、入るならいいのですが、今後総数が減ってくる時が訪れた時にどうするかですね。
さて、どうしたものか。
夢のような漠然としたものではなく目的や自我、信頼といった能動的で具体的ななものに照準を絞るべきといった解釈をすべきなのでしょうか?
夢はそういった具体的なものの根源的なエネルギーになるものと教えるのが普通ではないでしょうか。
あくまで私の意見ですが、管理人様は夢を否定的にとらえているのではなく、夢をあきらめることに肯定的なのだと思います。
夢はたしかに大きなエネルギーになります。しかし、夢は近づくとともに何か大きな荷物を同時に持つことになってしまうのです。それが自分に負えなくなったとき、夢をあきらめてもいいのじゃないかと思うのです。
外部の人間は夢に対して応援はできても責任は負えません。そういう部分を無視して、むやみに夢を称賛するのは教育の無責任ではないでしょうか?
去年、Nのセンターはみるきー。選挙は圏外。一位は山本。その後、みるきーを含む大量処分で体制は決まった。
去年、チーム4。センターはぱるる。選挙は圏外。一位は大場。その後、大場と森の処分で体制は決まった。
今年、Hのセンターは児玉。選挙は圏外。一位は宮脇。速報一位は江藤。握手人気の断トツ一位は菅本。大量処分で体制は決まった。
Aのセンターの前田敦子は卒業で圏外。一位は指原。処分で指原センターはなくなった。
こんなトッブをスキャンダルで追い落として体制を構築しまくる気持ち悪い組織が他にあるか?
官僚なみ。どこが顧客が参加して情報も発信してるオープンな組織なんだ?
この事実から類推できる事は、一番人気がセンターでないチームは中身がガタガタである。
センター候補や一番人気でないメンバーの多くも、彼氏がいたり、ファンと繋がっている。ただ処分されてないだけ。
Mの城は一番人気でないのは明白なので、村上、谷口、矢倉あたりに処分が出ると予想してたんだけど、まさかね。
乃木坂は危ないなぁと思ってるので、後を追わないで欲しい。
ちなみに、私は乃木坂のファンというほどでもないです。
一番奇跡だと思ってるのはNMBの一期生です。
AKBはあれだけ下積みをすれば、あのオーラは身につくだろうし、SKEも地方の女子校のダンス部の魅力と変わらない。乃木坂もソニーが集めればこのくらいは当然。
NMBの一期は最初から凄かった。何万人をオーディションしてもこういう風にはならない。だから奇跡的。
スター姫が2010年の九月開始、劇場デビューが翌一月、七月の黒髪が26万枚。
乃木どこが2011年十月開始、デビューが翌二月、八月の走れバイシクルは
26万枚を越えないぐらいの累計というのが妥当に順調だと思います。
NMBを越えられる理由がないので、AKBの仕組みから離れた方が良いと思う。
公演やっても順位ばかりが話題で、本当に呪いのようだ。
学生のうちは努力すれば結果もついてくる。AKBはまさにそう。
でも、社会は違う。総選挙に快楽があるのは、お金を使えば結果が出るという社会の不条理がない所だと思う。
でもAKBは社会人になっちゃったのに、学校だと偽ってる感じがする。
乃木坂は努力と関係なくソニーの力で売れたので、メンバーが誰に評価されるのを目指せばいいのか分からなくなってるのが気の毒だけど、私は「学校」ではなくていかにも「社会」だなぁと感じられる所が好きだったりします。そっち方向に何かAKBとは違う可能性あるような気がするんですけど、具体的には思いつきません。
不条理な業務だけど組織としては年功序列終身雇用的な雰囲気のグループがいいんじゃないかと思ったりします。
銀行的な見方をしますが、
モーニング娘はテレビに露出して売れて、LOVEマシーンがカラオケで大ヒットし、国民的アイドルに。
姉妹グループも全部売れて、あややに至っては次世代のスターと言われた。
ハロプロとして組織は大きくなり、新人もどんどんとり、ライブの評価は高かったが、誰もブレイクせず、三期ぐらいまでのメンバーが卒業するたびに人気を落とし、今に至る。
AKBは、劇場中心の活動では売れず、事務所にバラ売りしてテレビに露出して売れ始めて、ヘビロテがカラオケで大ヒットし、国民的アイドルに。
姉妹グループも全部売れて、その中には次世代のスターもいると言われてる。
新人もどんどん取り、組織は大きくなり、東京ドームも成功。
しかし、新人は誰もブレイクせず三期ぐらいまでのメンバーが卒業するたびに人気は落ちていく、
としか考えられないので、融資はできません。というのが、銀行の見方じゃないでしょうか。
このブログで論じられてる、AKBの特性を融資担当に見せたって説得できないと思います。
実際に公演を見たり、握手会に行ったり、選挙のスピーチを聞いたり、ぐぐたすを読めば、凄い事は分かると思いますが、それで売れたという根拠を示すのは難しい。
乃木坂もとりあえず素地は整ったので、あとはカラオケで大ヒットするような曲が出れば、国民的アイドルになるんじゃないでしょうか。AKBみたいな事はやらなくても。
カラオケは女性が多いので、乃木坂が一番可能性が高いと思います。適度にメジャーな感じだし、好感度も高い。
男性は気付きにくいですが、AKBと乃木坂を見た後にSKEを見るといい大人がみんな黒髪ですごく気持ち悪い。うわー、管理されてるんだ、アイドルやらされてるんだ、という印象を一般の女性は持つと思います。
これが乃木坂の運営の戦略なのか、天然ボケで全体のイメージをコントロールし損なってるのか。
後者っぽい気はします。
プリクラが流出して、写ってる男性が交際相手だと運営が発表するなんて普通はありえない。
本人は楽だろうし、女性の好感度は上がったと見ますが。
むしろ、もう少し教育というかガイドラインを出してあげたらどうかとすら思います。
出身地の関係もあるけど、五人ぐらいブログで原爆投下に触れてた気がします。
運営のアイドル観が本当に謎。
プロデューサーにはAKBと同じ人が何人も名を連ねているのに、なんでこんなに独特なのか。
単純に人手が足りなくて、二期のマネジメントも無理だし、決裁を上に回す余裕もなく、細かい事は現場とメンバーの判断に任せてるだけのような気もします。
スタッフを増やすより、この水準の売り上げを維持して、後はフリーハンドの分、できる範囲でいろんな面白い事をやって、ヒット曲が出るのを待てばいいんじゃないでしょうか。
理解だって間違ってる。
いろいろ例出して不祥事とかこつけて叩いてるようだけど、渡辺美優紀は不祥事関係なくトップのまま、島崎は大場が圏外の初年度の選挙ランカー、大場失脚だけで次期センター候補までのし上がったわけでもねーし、HKTは江藤菅本クビになる前から兒玉センター、宮脇選挙トップで体制確定してら。
何が「こんなトッブをスキャンダルで追い落として体制を構築しまくる気持ち悪い組織が他にあるか?
官僚なみ。どこが顧客が参加して情報も発信してるオープンな組織なんだ?」だ。
いつ指原失脚でAKB体制が決まったのか。
スキャンダルでいつ体制が決まったのか?
言ってること独善的で客観性が全くない。
事実誤認の無茶苦茶な論評は株だけにしていただいて、48を官僚相手みたいに叩く持論の展開は自分のHPでやっていただきたい。
この発言は少しずるいな、と思いますけど株トレーダーさんはソニーファンというのが正しいのでしょう。
それからハロプロは推してはいないと思いますよ。48グループが嫌いというより秋元康が嫌いなんでしょう。
しかし秋元康がいなければ乃木坂の存在はなかったと思うんですけどね。(ちなみに私は最近のソニーは大嫌いです)
コメントありがとうございます。
ムーさんがわかりやすい説明をしてくれたので、ちょっと違う話をします。
こめんどくさい話です。
(本文は忘れてしまって結構です。)
私は、「であること(be-ing)」と「すること(do-ing)」は分けて考えた方がよいと思うのです。
前者は「存在」、後者は「条件」を表しています。
その上で、「夢」というのは「存在」のことをいい、「自我」「目標」なりは「条件」をいうのだと思います。
多くの間違いは、「条件」を「夢」だと思うところから来ると考えています。
わかりやすいかわかりませんが、考えを述べますね。
「アイドル」という「職業」は、「条件」です。
これは「夢」に成り得ないと思います。
成り得ないというか、「私の夢はアイドルになることです。」などと言っている人は必ず失敗します。
(豊かな人生には成り得ない。)
たとえば「私の夢は料理人になることです。」と言ったとします。
たぶん、プロの料理人は笑うと思います。
「料理人?自称でいいなら誰でも料理人になれるよ。店を出すことだって誰でも出来るからね。」と。
料理人という職業が「条件」だからです。
職業免許などに由来するものは答えが明確でよいのかもしれませんが、この相対的な宇宙では、条件はいくらでも曖昧にできます。
絶対条件などというものが存在しないからです。
自称でも公称でも料理人になったとして、それでどうなるのでしょう?
料理人という資格を持っていることで人生は豊かになりますか?
なりませんよね。
「条件」を「夢」にするというのは、蜃気楼を追いかける人生を生きるようなものです。
一方、「アイドルである」ということは、「存在」です。
これは至福ですね。
前出の料理人で考えてみましょう。
資格とか関係なく「料理人として生きる。」
この発想なら、その人は料理人としての人生を真っ当できるかもしれません。
「道(TAO)」ですね。
ちょっと説明するのがめんどくさくなってきたので・・↓昔のエントリを・・
「努力は必ず報われる」 高橋みなみ道
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/63fc307f92313690d76a5205a2b94607
コメントありがとうございます。
補足ありがとうございます!
>夢を諦めることに肯定的
うまいこといいますね。
ちゃんと文脈を読んでもらえて嬉しい限りです。
他にも、夢というものを無条件に過信しないということもあるし、夢というものを履き違えてもいけないという気持ちもあるので、それは教育者さんへのコメントで書きました。