路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【訃報】:漫画家矢口高雄氏インタビュー 東北への思い/復刻

2020-11-25 14:58:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:漫画家矢口高雄氏インタビュー 東北への思い/復刻

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:漫画家矢口高雄氏インタビュー 東北への思い/復刻 

 漫画「釣りキチ三平」で知られる漫画家矢口高雄(やぐち・たかお、本名高橋高雄=たかはし・たかお)さんが20日午後5時46分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。81歳だった。

矢口高雄氏は「東北の心」をバックボーンにして、人間関係や自然の大切さを強調する(2003年4月撮影) 矢口高雄氏は「東北の心」をバックボーンにして、人間関係や自然の大切さを強調する(2003年4月撮影)

矢口高雄さん(03年4月撮影)矢口高雄さん(03年4月撮影)

 日刊スポーツ2003年5月2日の原稿で振り返る。

◇   ◇   ◇

 代表作「釣りキチ三平」で知られる漫画家矢口高雄氏(63)が醸し出す作風は、雪深い故郷、秋田県増田町の自然ではぐくまれた。幼少時代からの夢を貫き、30歳で銀行員から漫画家に転身。以来、自然と人間の関わりをテーマにした作品を次々と発表してきた。人間のあるべき姿を表現し続けている矢口氏に、故郷で身に着けた人生観や東北に対する思いを聞いた。

 釣りキチ三平が誕生してから今年で30年。主人公三平に投影された矢口氏自身の少年時代からは半世紀以上も経過したが、その天真らんまんな持ち味は変わっていない。奇想天外なキャラクターは当時のままの姿で生き続けている。

 矢口氏 子どものころは漫画をむさぼり読み、釣りや昆虫採集に忙しかった。釣りキチ三平には実体験に基づいたストーリーがいくつもあるが、山村で育った僕にしか表現できないところを描いてきた。三平のアイデアの源はさまざまだが、釣りは水の中の推理ゲーム。絶えず心配し、工夫が必要。ボヤンとしていたら釣りでなくたってうまくいかないよ。

 幼少期は紙も十分にない環境だった。貧しくても自然の豊かさの中で学んだ経験が生涯の財産になっている

 矢口氏 小学3年で手塚治虫氏の作品に触れ、戦後のうちひしがれた人々を立ち直らせる力に「何か」を感じた。以来一貫して漫画家になりたいと思い続けてきた。小学4年から3年間教わった先生にも影響を受けた。授業形式にとらわれず、秋晴れだったら教室を出てスケッチ。体育のマラソン中におしっこをした生徒がキノコが生えているのを見つけると、みんなでキノコ狩りもした。そのキノコを食べながら地方名と標準和名があることを学んだ。そうやって覚えたことは一生忘れないね。 

 高校卒業後は狭き門をパスして地元の銀行に入行。仕事の成績も優秀だったと自負している。深夜11時近くまで勤務した後に作品を描き続け、見事に入選を果たした。

 矢口氏 一昔前の価値観では、良い就職をするというのが、親に対する恩返しだった。まして僕のように貧しい家庭から銀行員になるのは奇跡に近かった時代。反対に漫画は「ポンチ絵」などといわれ、漫画家は貧乏の代表のような職業として認知されていなかった。でも、銀行員になってからも漫画は描きつづけ、最後の1年間で4作品も発表した。「眠るのは死んでからでもいい」というぐらいのつもりでペンを握っていた。

 12年間の銀行員生活を経て30歳の時に漫画家への転身を成功させた。思い悩み続けてきた脱サラの決断にあたり、忘れられない言葉があった。

 矢口氏 秋田県内3度目の転任先で、朝礼のスピーチの順番が回ってきた。僕は漫画を描いていることを自己PRし、初入選した作品を「良かったら読んでください」と当直室に置いた。すると、ある上司から「しょせんプロになれるわけがない」と言われた。とりわけ「漫画なんか」という一言がカチンときた。その反発で、それまでは「人間はそんな甘いもんじゃないぞ」と越えられなかった石橋を、たたきもせずに越えてしまった。憤慨したというか、短気というのか、本来の負けず嫌いの気持ちが働いたんだね。「銀行を辞めて漫画を選ぶ」といえば、100人に聞いたら100人が反対することは分かっていたが、妻だけには話した。当時は3歳と1歳に満たない乳飲み子を抱えていたが「今反対したら一生そのことで恨まれるから」と言ってくれた。今思えば確かにそうかな。僕の性格を理解してくれていたんだね。

 上京後は73年にスタートした釣りキチ三平が2500万部を超える大ヒットを記録。不動の地位を確立した。漫画を通じて表現したかったことは今でも変わらない。

 矢口氏 とにかく仕事として残せるものがほしかった。カタツムリぐらいの家を建てることも男子一生の仕事だろうが、さびしいと思った。作品として残せば、孫子の代まで読むことができる。僕にとって両親より信じられる存在だった手塚氏の一貫したテーマが「命の尊さ」であったように、1人の人間が持てるテーマというのは1つか2つ。僕は「人間と自然との関わり」にこだわってきたつもりだが「これだけのことをやったんだ」という自負はある。 

 今年で64歳。東京生活の方が長くなったが、今でも「秋田県人」と言い切り、自らをはぐくんでくれた東北の風土と気質を愛している。

 矢口氏 東北6県を1つにくくれるかはさておき、雪国型という性格はある。例えば九州出身の芸能人はやたらと多い。九州は台風型で一晩雨風を我慢すれば、あしたはあしたの風が吹くといった感覚が身についている。それだけに一発勝負にかけてみようという人材も出やすい。雪国で育った人間が持つ石橋をたたいても渡らない考え方は、僕にも当てはまる。だが漫画家になるしても、教習所に行って運転免許を取るようにはいかない。大切なのは初心を貫く信念。僕自身は自分の器に合った場所に生まれたと思っている。

 地方の高齢化や過疎化が進む中、その作品の中には東北に対するさまざまな思いも込められている。

 矢口氏 東北の人々に元気になってもらいたいという気持ちで作品を描いている。画一化されず、偉大なるカントリー(田舎)であってほしい。秋田弁丸出しの三平に、その象徴の意味も込めている。都会と違って、田舎は監視の目が多かったり、昔のイメージに縛られがち。でも「水清くして魚住まず」ともいうからね。交通や情報網が発達し、日本全体が画一化されつつある現在、地方の若者には「自分の生まれた地域に根ざせ」とは僕の口からは言えない。極論すれば、事件や事故の加害者以外なら何でも体験した方がいい。若い世代にはどんどん自分を試し、その経験を故郷に持ち帰ってくれればと思っている。

 ◆矢口高雄(やぐち・たかお)

 本名高橋高雄、1939年(昭14)10月28日、秋田県増田町生まれ。増田高から羽後銀行(現北都銀行)に入行。12年間勤務し、「鮎」でプロデビュー。73年から少年マガジンで連載された「釣りキチ三平」(全67巻)が2500万部を突破。01年から「平成版・釣りキチ三平」を書き下ろしで発表(現在4作品)。74年に「釣りキチ三平」「幻の怪蛇・バチヘビ」の2作品で出版文化賞(児童まんが部門)を受賞。76年発表の「マタギ」で日本漫画家協会大賞を受賞。代表作はほかに「蛍雪時代」「ふるさと」など。95年、故郷・増田町に漫画家生活25周年を記念した「まんが美術館」がオープン。

※年齢など当時のまま

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・訃報】  2020年11月25日  14:58:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。


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