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仮庵の祭の前に

昨日配信の(神)ブログメルマガでは、日月神示とは、本来の言葉も信仰も喪失した現代日本人(というかイスラエルの民)に向けて降ろされた、「現代の聖書預言」と捉えることができると記述しました。

神示には聖書の患難が「大峠」、携挙が「一旦引き上げ」、そして懺悔が「改心」と、それぞれに対応した違う言葉で書かれています。

ユダヤ暦によると、懺悔は「仮庵(かりいお)の祭」の前に済ますことになっています。西暦2020年の仮庵の祭は、本日の日没より始まります。

ここから先はもはや方法論ではありません。私を含め全ての人民が心を試されているのです。次の神示の引用を読んで、今日の日没までに何をしたら良いのか、ご自身の判断で行動して欲しいのです。

"改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ"

日月神示 磐戸の巻 第18帖


ちなみに、これは教会に所属しているから、聖書を読んでいるから許される、というような甘い話ではありません。むしろ、現役のクリスチャンに対してこそ、更なる悔い改めを求めていると取れるのです。

鳥居は釘付けの形であるぞ、
キリスト教の十字架も同様ぞ、
キリスト信者よ改心致されよ、
キリストを十字架に釘付けにしたのは、
そなたたちであるぞ、懺悔せよ

日月神示 雨の巻 第2帖


神の名を唱えお呼び出しする時は、こう唱えてください「聖なるイエス・キリスト」あるいは「天照皇大神(あまてらすすめらおおかみ)」。神示に「神に二つ名有り」、とあるように、これらは同一の神を別の名で呼称したものなのです。


* * *


IN QUO PEREGRINANTUR NON CONCURRENTIBUS VOBIS IN EANDEM LUXURIAE CONFUSIONEM BLASPHEMANTES
なぜなら、裁きが神の家から始まる時が来たからです。私たちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、どうなるでしょうか。
新共同訳聖書 ペトロの手紙一 第4章17節


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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