粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

田中正造と原発事故

2013-09-04 13:07:58 | 反原発反日メディア

今日(9月4日)の天声人語では没後100年を迎えた田中正造が話題にされている。公害の原点、足尾銅山鉱毒事件で民衆の先頭に立って闘い、天皇直訴にまで及んだ不屈の政治家だ。正造の偉業を讃えるのはいいが、そこは朝日、公害→原発事故へと関心がすぐ向かうのが玉に傷だ。

原発事故のあと正造が総理だったら、困っている人、弱い立場の人を、何をおいても助けるに違いない▼現実の総理は、早々と収束宣言を出し(民主)、経済のためには再稼働が必要と唱え(自民)、なお15万人にのぼる避難者は忘れられがちだ。事故処理より外国への原発セールスに熱心というのでは、ことの順番が違う

反原発が社是の朝日にとっては、事故以来の政府の対応は、原発再稼働に向けてひた走っているように映り、不満でならないようだ。つい「愚痴」の一つや二つが出てくる。挙げ句は「なお15万人にのぼる避難者が忘れがちだ」で「順番が違う」と被災民重視の朝日的論調で締めくくられる。

いかにも東電やそれに追随する政府は悪徳であり、この偉人の言葉を借りれば「虚偽虚飾」であり、「私慾(しよく)」「露骨的強盗」という存在になってしまう。

しかし、現在の原発問題を1世紀前の善悪二元論で単純に割り切るのには無理がある感じがする。避難者の賠償ひとつとってもその財源の確保が先決である。原発再稼働もその選択肢の一つに違いないのに、そんな視点は朝日にはないようだ。

さらに、賠償基準の線引きそのものが簡単ではない。被曝の基準をどこ置くか。年間被曝1ミリシーベルトでは、除染作業も10兆円以上の規模になり、15万人の避難者の早期帰還もなかなか進まない。

そもそも、放射能汚染の健康被害を必要以上に煽ったのは朝日新聞などの反原発メディアではなかったか。報道に過剰に反応して、無用な避難をして問題にさえなっている。また食品の検査基準が現在キロ100ベクレルも厳しすぎて被災地の生産者を苦しめている批判も消えない。

あるいは原発に代わる自然再生エネルギーの可能性に付いても、最近では疑問符が付いてきており、あまりにも課題が多過ぎる。

朝日新聞は何かにつけて、原発再稼働や原発輸出を非難して天声人語でもその話題に事欠かないが、現実離れした理想論に堕している感じが強い。過去の偉人の金言もよいが、現実社会の本音ももっと耳を傾けるべきではないか。