粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

反原発組織の瓦解

2012-12-26 14:11:26 | プロ市民煽動家

一年九か月以上、ブログと講演など、現実にこの活動を続けてきましたが、いろんな意味で、活動の限界も大きくなっています。このままの状態では、活動自体の活性化も望めませんし、厳しいことが多いです。

例の過激な反原発派の木下黄太氏のブログ(26日)にはいつになく弱気な言葉が続く。それも外部からの孤立化と共に、内部間での反目、混乱が表面化してきているようだ。

いろんな問題を平気でおこす多くの人たちのある一定数が、この放射能防御という御旗にまとわりついているのも事実です。特に、自己顕示欲、自意識過剰なタイプの人間が、放射能防御を自己実現のために、悪用している話は、枚挙に暇がありません。

彼が立ち上げた組織を悪用する自己顕示欲が強い人間の動きが実際はどういうものか、外野の自分にはその実態がよくわからない。しかしこうした状況への木下黄太氏の危機感は想像以上であり、彼のこれまでの運動の存続にも関わる重大局面を迎えているようだ。

なにかまた、分かれ目にいるような気がします。そして、この分かれ目はとても大事と思います。本当にどう転ぶのかは見えませんが、年明け以降、自分の生き方を見直して、周りを再構築できるのか、トライすることになるのは、間違いない話と思います。

原発事故以来、その放射能汚染を過剰に煽り、福島どころか首都圏の人々に無意味としか思えない自主避難を呼びかけ続けた。少なからずの人々、特に幼児を持つ母親や未婚女性が恐怖に駆られて無駄な避難をして親族や故郷との絆をたってしまう。

彼が立ち上げた組織は、こうした自主避難者やこれから実行を考えたり逡巡したりしている「自主避難予備軍」の支持により拡大されてきた。おそらく彼が度々行う講演会での収益もこうした彼の共鳴者の参加、受講によって支えられてきたといえる。

しかしこうした「自主避難商法」というべきものもここへ来て限界が見えてきたようだ。先月まで頻繁に行われた彼の講演会も12月は2回、来月もまだ1回が予定されているだけでなかなか人が集まらない。彼が立ち上げた組織が余り機能せず中には造反の動きさえ目立ってきている。

要するに原発事故以来、こうした反原発の活動は分裂を繰り返し自然消滅の結果を辿っているのが実情だ。分裂した組織は決してまとまることはなく敵対を強めるだけだ。かつての大学紛争の末路を思い出す。

木下黄太氏は来年「再トライ」を目指すようだがとてもその道を厳しいだろう。もしかして自主避難した人々がその愚に気づいて、これを誘導した団体を告訴するということもないとはいえない。

3.11.以降、信頼のできる人間は極端に減少しました。もともと、友達は極端に少なかった僕は、しかし、信頼はしていた人は多かったのですが、それがほとんど消え去りました。まあ、そんなものです。

彼はブログの最後にそんな自嘲気味の言葉を吐いている。しかしこうした嘆息だけで物事が片付く性格ではないはずだ。過去の言動に対する厳しい審判が待ち構えていることだろう。