一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

先入観

2007年12月16日 | Weblog
 我が家には猫が2匹いるのですが、その一匹が今朝私の布団のなかに入ってきました。その後もう一匹の猫が私の布団に入ろうとしたのですが、もう先着が入ってたのであきらめてどこかに行ってしまいました。後に入ろうとした猫を見ていて感心しました。別に入れなくて先に入ってた猫を恨むでもなく、がっかりするでもなく、たんたんと事実を認めてどこかに行く感じでした。私だったら、喜んで入ろうと思って入ったら、先着がいたら怒るだろうなあと想像して、こうなるべきだ、こうしよう、とまず頭で予定をつくり、その通りにならないで、いつもいらいらしている自分に反省させられました。猫には、先入観がなく、瞬間瞬間身心からでる直感で行動しています。
 「正法眼蔵 授記の巻」には、「おまえは仏になるぞ、仏だぞ。」とささやかれるのは、瞬間瞬間身心からでる直感で行動するときだと言っています。
 
 「いはくの成仏は、かならず相継するなり、相継する小許を成仏するなり。これを授記の転次するなり、転次は転得転なり、転次は次得次なり。たとへば造次なり。造次は施為なり。・・・・」
 『ここにいう真理体得者たるの実は、常に〈瞬間瞬間において〉継続されるのである。・・・・真理の把握に関する保証が〈瞬間瞬間に〉引き続いて行われるというのである。・・・その瞬間とは、行為そのもののことである。』(注1)

 「歓喜なる及転次受決、かならず身と同参して偏参し、心と同参して偏参す。さらにまた、身はかならず心に偏ず、心はからなず身に偏ずるゆえに、身心偏といふ。」
 『喜びに満ちあふれた瞬間、瞬間における、真理の把握に関する保証の受領は、かならず体と同時現成の形で実現する。しかもさらに、体はかならず心と一体となり、心はかならず体と一体となっているのであるから、体も心もすみからすみまで一体であるというのである。』(注2)

 猫のように、思い通りにならない人や状況を恨むことなく、現実のなかに飛び込んでたんたんと日常を送れたらなあ、と思う毎日です。

注1:西嶋和夫「現代語訳正法眼蔵 第六巻 六版」金沢文庫 45頁~46頁
注2:同上 48頁~49頁
 

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