一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

猫は後片づけをしない(同じことを言う)

2009年04月10日 | Weblog
 私が最近反省しているのは、人と話していてある単語をきくと自動的にある考えが浮かんできて人に同じことを何回も言っていることです。「ごぼう」と聞くと「ごぼうには赤出しのみそ汁だよね。」みたいに自動的に考えがうかんで同じ事を何回も人に言っているのです。

 それってほとんどの人が別段何の疑問もなくしゃべっていますが、その言葉をかたちにすると顔のシミにあたるのではないかと思いつきました。

 顔の皮膚の細胞が紫外線等で壊されてすぐ新しい細胞に入れ替えられればシミにならなくてすむのに、壊されたままになっているからシミになってしまいます。

 ある単語から固定的な考えや思いが浮かんで同じことを何回も言うのは、細胞を壊れたままにしておくのと同じです。固定的な考えというのは過去の遺物です。もう本来は流れ去ってしまうべきものです。流れ去ってしまうべきものを留めようとしているからシミになってしまうのです。

 坐禅はシミをつくらない訓練をしているようなものです。坐禅をしている最中に何か思いや考えが浮かんできてもその思いを追っていかず、今からだ全体で感じることに集中します。

 猫のように後片づけをしなくてもよいためには、ある単語から自動的に浮かんできた同じ事を何回も何回も人に言っていたのではだめなようです。「ごぼう」と聞いて「ごぼうは赤出しのみそ汁だよね。」と口先まででてきてもぐっとこらえて、 今ここでからだ全体で感じることから出てくる思いを言葉にするほうが後片づけをしなくていいと私は思うのですが。

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