一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

部分と全体

2009年09月27日 | Weblog
 仏教を勉強していて目からウロコの論理があります。

 部分を合わせれば全体になると思うのが人間の少量の考え
 部分をこわしてこわして逆にいえば部分をこわさなければつかめないのが全体

 クラス会でよく話題になるのがお金とスポーツクラブです。老後にはお金と健康が必要だよね、と何の疑いもなくみんなその問題に邁進しています。私はそれは「部分」をみての行動パターンだと思うのです。お金というエレメントに対して貯金しとこうとか、健康というエレメントに対し、じゃスポーツクラブにいこうという「部分」に対する考えで行動しています。

 良さんはまったく真逆です。すべて手放してあとは坐禅にまかせます。部分的なお金とか健康とかいうエレメントはすべて切り捨てます。

 「部分」というのは部分だけきりとって周りの空気を無視して自分勝手に行動することです。

 老後健康であるためにどうすればいいのか、そうだスポーツクラブに行こうというのは今の瞬間の周りの空気を読まなくても行動できます。

 それより私の知っているお坊さんは本当にまめに動きます。目の前に水がこぼれていたり汚れがあるとぞうきんでさっさっと拭きます。朝早くから起きて夜寝るまで目の前のものをみてこまめによく動くし、人の話も手をぬかず誠実に対応してくれます。

 周りの空気を読んで行動することが、「お金」とか「健康」とかエレメントをうちたてなくても、結果的に全体をつくりあげるのではないかと思わされます。

 
 

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