明治初期、まだ江戸時代の名残を残す東北地方で、福島市から米沢市を結ぶ当時東洋一の870mのトンネルを含む延長50kmの大規模な道路工事が行われた。明治14年10月3日、開通式は東北ご巡幸中の明治天皇をお迎えして挙行され、万世大路と名付けられた。昭和41年5月29日現在の栗子国道(R13)が開通してその役目を終えた「万世大路」は現在では廃道となり、奥羽山脈の山中にひっそりと佇んでいる。
R13線の東栗子トンネル福島方に車をデポし、旧飯坂スキー場跡の林道を登ると万世大路へ合流する。
林道登り口では東北中央自動車道の換気用のトンネル工事をしている。
万世大路の位置図と道路地図も親切に立ててある
登山道から見る、換気用のトンネル工事現場
九十九折りの林道は新緑が萌えだし明るく快適だ。
春の妖精カタクリが恥かしそうに、うつむき加減で歓迎する?
キクザキイチゲも春を謳歌
薄紫のキクザキイチゲも
スミレサイシン?
30分ほど歩くと残雪が残る万世大路に合流する
古い道路境杭には意味不明の文字が
法面を強固な石組みに守られ、道路はほぼ原型をとどめている姿は、さすが元一級国道
出発して1時間、カーブを曲がると突然姿を現した二ツ小屋隧道、万世大路の建造物で一番美しいとの期待を裏切らない
隧道手前の石段の上に明治14年10月3日、明治天皇が休息した「鳳駕駐蹕之蹟」記念碑がひっそりと
畏れおおくも天皇の碑の上に山神様が鎮座、地形から察すると開通当時の道路脇にも見えるが
暗黒の二ツ小屋隧道の出口付近では、トンネルが崩壊し雪解けの沢水が滝になり流れ込んでいる
長さ354mの隧道を抜けると米沢口には大量の残雪が豪雪帯を物語る
烏川に架かる烏川橋は、欄干のコンクリートがボロボロに風化し錆びた鉄筋がむき出しに
橋のたもとには、清流を好むワサビがひっそりと可憐な白い花を咲かせていた
青い空に山ザクラが映える尾根道に出ると、残雪をまとった栗子の山々が望める
ほのかな香りを漂わせて、タムシバの白い花も新緑に映える
道には吹き溜まりの残雪が厚く残り、長靴で歩くのも涼しく快適だ
突然眺望がひらけると、吾妻の峰々が真近に迫る (左から、一切経山、家形山、兵子)
前方30m先を太い尾っぽを振って、キツネが悠々と歩いているのを発見したが撮れたのは足跡だけ
雑木林でガサゴソと物音が、音の主はお馴染みのカモシカ君
滑谷沢に下ってゆくと大平集落跡にでる、明治14年ごろ元米沢藩士20家族が入植したが、8年後残ったのは7家族だけという苛酷な豪雪地の生活環境を物語る
大平集落跡にはネコヤナギが春のやわらかな陽ざしを浴びて
道路の法面が浸食により崩壊し、道は一本橋の状態で歩くのがやっとの幅が残る
突然視界が開けコンクリートの路面が現れる、大平橋である
沢沿いの道はもはや荒地と化し、ブドウなどのツルが繁茂したヤブは容易には進めない
杭甲橋を渡ると、難関不落と思われる栗子隧道も到達可能距離に近づく
滑谷沢沿いの九十九折りには、見事なブナと崖下に名も無い滝が水音を響かせる
3時間半の攻略でついに現れた栗子隧道、大量の残雪に覆われ坑口は見えない
明治14年9月、4年10ヶ月の歳月をかけ当時の大プロジェクトにより栗子隧道が開通し、東西から掘削された当時としては日本最長の876mの隧道は少しもずれることなく測量設計技術の高さを証明した
大量の積雪の間から僅かに坑口を覗かす栗子隧道、途中で落盤しているため風の流れが無い
僅かな隙間から隧道内を見ると路面は膝下ぐらいまで水没している
目的の栗子隧道に到達し祝杯を捧げる。ちょうどこの地下深く第4世代の東北中央自動車道トンネルが貫通しているのだ
無我夢中の往路では眼に入らなかったニリンソウも帰り道で余裕のパチリ
白土岩が斜面を覆う道端には扇風機のようなエンレイソウが
再び漏水の水音だけが不気味に響く暗黒の二ツ小屋隧道に突入
福島口は雪解けの水面に新緑を映し出し幻想的雰囲気だ
隧道を出ると仲間と勘違いし、警戒心を解いたサルが水遊びをする姿をじっくり観察
車の音が聞こえる安全地帯まで下りると、清楚なヤマザクラがお帰りと出迎える
GWのR13号線は車の往来が激しく道路横断は決死の覚悟で
山形初代県令、三島通庸が拓いた当時の栗子隧道西口の絵。素掘りの坑口は現在も残っている。
現在、米沢方旧道分岐近くの刈安除雪ステーション内に「万世大路記念碑公園」が設置され、当時の山中にあった記念碑5基が移設され当時の面影を偲ばせている。
万世大路は貴重な遺産として、2012年に土木学会推奨土木遺産として登録された。
現在、第4世代の万世大路と呼ぶべきの東北中央自動車道路・福島~米沢間の工事が進み 、早期開通を目指している。約9kmの栗子トンネルは、旧栗子隧道の真下に建設されて、万世大路は正に進化し続けている。
万世大路の想いで
私が初めて旧万世大路を通ったのは、現在の新道が開通する1年前の昭和40年5月23日、自転車で福島~米沢間をちょうど3時間で走破した大記録があるが、カメラが持てない時代で証拠の写真がないのが残念である。
福島 5:00→中野第一トンネル 5:50→新沢橋 6:40→二ツ小屋隧道 6:50→栗子隧道 7:20→米沢 8:00
以上
この道路の思い出はないのですがあれほど近くの道路を行き来したのに一度も足を入れていませんでした。
行ってみたいですね。浪漫がありますね。
現在の道路は昭和43年ですから、それにしてもまだまだ遠い昔のことですから。
明治時代の素晴らしい遺跡ですね。
その他のブログも沢山拝見させて頂きました。素晴らしいです。
次回の記載を楽しみにしております。
当日、友人と未舗装のもうもうたる土煙の中をで走った思い出があります。
万世大路はそれまでは定期バスも通う一級国道でしが、
役目を終えて6年後栗子隧道は落盤で不通となりました。
現在工事中の、第4世代の東北中央自動車道栗子トンネル(8975m)もこの春貫通し、
安全で快適な万世大路として進化し続けているのですね。
明治の開通当時の記念碑など5碑が一堂に集められて
2012年土木学会選奨土木遺産として展示されていました
龍山で食べるイカ焼が待ちどうしいです
釣りで歩いて行ったのが懐かしいです。
と言ってもS、57~8年ごろのことでS、40年のチャリ越えとはケタがちがいますが・・・
当時でもあのトンネルは一人で通過するのがこわかったです。
その後二人の行方不明者が出るなどしましたが釣師達の”裏銀座”として記事も多かったですね。
(原発で一応摺上川系は釣り禁止になりましたが・・・)
但し、釣り師は上のトンネルまでは行かないので今回の
写真で改めてスゴイところだと認識しました。
記念物として何か保存措置を講じているのでしょうか?
釣りがOKになればもう一回行ってみたいですがね。
釣師にとっては摺上川系上流の烏川は、行方不明者を出すほどの渓流釣のメッカでしたね。
栗子隧道の崩落により、車の通行が途絶え二ツ小屋隧道から先は廃道が進み、
残雪期か晩秋にしか入れなので、今回挑戦してみました。それは想像通りのヤブとの戦いでした。
隧道には憑き物の心霊スポットがあり、ゾクゾクする体験も十分に味わいました。
来春は米沢側から挑戦し、栗子山登頂も果たしたいと思います。