今日の気温は低いながらも無風、チャリを転ばし上りのやまびこに釣られて上方へ。 (10:27)
とりあえず、自販機で温かい飲物をゲットして。
福島大学から東にハンドルを切り4号国道を交差し、阿武隈峡で一休み。
橋の下に降りると鮎滝渡船場跡、昔は伊達と信夫を結ぶ交通の要所で、往時の状態が残され文部省指定史跡。 手前の天然の岩が明治8年まで船着場として利用された。
上蓬莱橋の高さは60m、欄干には背の高い柵が施され、心霊スポットとしても有名?
吾妻山を遠くに望む立子山の御代手には、緻密な石垣と白壁の古民家が良く似合う。
どんよりした冬空を明るく彩る、生垣のマサキの紅い実とサザンカに心が和む。
安達太良山と吾妻山おろしの高台には、立子山名物凍豆腐の干し場が。
凍らした豆腐が藁で編まれ、寒風に3、4日さらされて風味豊かな凍み豆腐が出来上がる。
上御代手の峠を越えると、太平山天正寺の門前に朝河貫一博士の揺籃の地の看板が・・・ふむふむ
明治六年に生まれた朝河博士は、少年時代を立子山で過ごし現在の早稲田大学をへてアメリカに渡り、日本の独善的な外交と無謀な侵略戦争にたいして、アメリカの地から忠告非難をし、太平洋戦争を避けるように訴え続けた。・・・・・ 今、福島県では、国際化に対応した人材の育成を目的に、中学高校生を対象に国際交流論文、朝河貫一賞が野口英雄賞とともに表彰している。
現在、日本の政治は混乱を深め、外交の分野をとっても難問は山積している。世界的な視野に立って日本を見つめ、祖国日本のため最後まで情熱を持って行動した朝河博士をぜひ見習って欲しいと願います。
飯野町の狐郷周辺には先人の素朴な信仰を偲ぶ石仏があちこちに点在する。
目指す狐郷山の登り口にチャリをデポして。(中央の砂利道は旧川俣線の鉄道線路跡)
途中の杉の大木の下には機織大神、養蚕国大神、馬頭尊そして何と蛇霊神まで。
山頂付近にも数々の素朴な信仰心の石碑が立ち、震災で倒壊したものも。
子授かり地蔵尊も倒れていたが、老齢一人の力では起せず、ただ手を合わせるだけ。
239.6mの山頂には三等三角点がひっそりと、残念ながら雑木林で展望は得られない。
山頂の東側には大きな物見石が佇み、物見好きな小生を招く。
下山路の北側中腹には稲荷大明神が祀られ、その裏の岩には狐の洞穴もある。
麓の笠ノ内集落に下りると北には、飯野町のシンボル千貫森がその優美な姿を見せる。
旧川俣線の線路跡を戻る正面には、川俣町と飯館村にまたがる918mの花塚山が望める。
自転車のペタルを止めて逢瀬橋から見下ろす阿武隈川は、水力発電に水を奪われて流れは無い。
松川町の工業団地には原発事故で故郷を追われ、避難を余儀なくされた飯舘村の100世帯余りの応急仮設住宅が建ち、その一角には日用雑貨、果物野菜などの直売所とラーメン店もある。
コンビニの無い里山歩きで昼食を我慢していたが、感じの良い店で美味しいラーメンをいただく。
松川町金沢の黒沼神社に祭礼の幟が立ち、浅葱を仲良く収穫するご夫婦の姿も。
金沢の羽山ごもりは国の重要無形民俗文化財に指定されている。
夕暮れ前に無事帰宅、走行距離は37kmと少なめ。(15:50)