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道(真理)の実践


「何もない機会」

2013-01-30 20:52:45 | 道・真理・道徳

「何もない機会」その時

強いエネルギーになれる時間をとってもらえれば、自力の底上げもできるし、リーダーとしての力もつきます。

こういうことは個人ではなかなか考えが及ばないものですが、今その大切な機会が与えられています。

それは「何もない機会」です。

「いかに犠牲を少なくするか」と言う変化の時期に最も配慮しなければならない道義です。

人類が16000年の暗黒の夢から覚めたときに、暴動をおこさず、敵を敵とせず、焦らず確実に一歩一歩、自分のことも周りの人たちのことも、丹念にいたわり、世界の調和も、そして壮大な宇宙の調和へと拡大してゆきます。

機会を与えられました。

人類の尊厳を回復し、宇宙の平和を実現する天の真義であり、人間個々の存在意義であります。

しかし、あまりにも長く周到な計画の中に閉じ込められていたため、いろいろな悪慣習を自然だと思い込み、すっかり染まってしまっています。

この機会を生かすにはどうしたらよいか、メッセージや社会の環境変化を通じてたくさんの励ましや、道理を示してくれています。

 それでも気がつかない人がたくさんいて、まだまだたくさんの目覚める機会が必要とされています。

 1987年から本格的に国の指導者を通じ、あるいはユーロ圏のようなプロジェクトを通じ、チャネリングや啓示など様々な方法でサポートを受けてきましたが、実際はほとんどが一時的なことに終わってさめてしまいました。

計画が遅れた原因を人類が自ら創り出してしまいました。

頑張ってきたのに、そこ知れない恐怖のため先に進めなくなってしまいました。

こういう状態で何かをしようとしても、表向きのことに終始して空回りしてしまいます。

周辺の変化や矛盾に気がつくよう、ディスクロージャーに重点が置かれていますが、これもマスコミの影響で真実を知らない人がほとんどです。

対立的方向付けはベストではなく、人間は内面の力量に重点を置き、見る目を養うために、物事の道理に明るくならなくてはいけません。

親を敬う心がなければ、天を敬う心を知りませんし、愛がわかりません。

暴力・麻薬・売春を一部でも肯定したり、加担したりすれば、自分を弁解する立場になってしまいます。

もちろん国と言う公の不正、あるいは人の命にかかわる戦争や医療における無関心は、自己の本位による逃避の積み重ねがそうさせました。

 この物質社会で物事を理解するには、ディスクロージャーに頼ることもひとつの手段です。

無気力になって、今の生活防衛と欲望を満たす徒労の繰り返しでしたが、しかし、人間には、良心とか真心・思いやりの心があります。 

池でおぼれかけている子供がいたら、誰もが自分の命の危険もかえりみず助けようとする心が動きます。

ここまで追い込まれても向きを変えようとしないのに、親が子を、兄弟が、友達がお互いに少しでもできることをして助け合おうとします。

最後の力を振り絞って、まるで絶望の淵で、真っ暗な闇の中で、爆発寸前の状態でも辛抱強くがんばっています。

自分を失った状態でも、何かを示そうとします。

自分が無力のときも、他によって継続的に進化できます。

キリストの賽血の意義はここにあります。

その犠牲は、天と人との間の失った関係を再び立てるためであり、絶対に栄誉を得るために命を売ったのではありませんでした。

人類は、聖なる存在であり、その存在から決して離れることができません。

 他人の過ちを求めず、人の罪を挙げず、むさぼりを離れれば、人は「何もない機会」を瞬く間に光に変えることができます。

 

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真理(10) 

2013-01-30 14:05:18 | 道・真理・道徳

アガルタと真理付嘱

仏教の主な流れは、釈迦成仏以来1千数百年間を華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華時の5つの時として、それぞれの時代の真髄が説かれてきました。 

今から1400年聖徳太子が法華経を日本伝えた紀元600年ごろ5時が完了しました。1400年前に日本に伝えられた法華経の中に、次の時代に引き継がれる重要な教義が遺されています。

人類が釈迦に導かれた運命とは、どこから来てどこへ行くのか、生命の尊厳をあらためて考えるための参考にしていただきたいと思います。時代は途切れなく流れています。

5つの時

 華 厳 時
 釈尊は、三十歳のとき、中インド・摩竭陀国の伽耶城に近い菩提樹のもとで成道(解脱)した後、海印三昧という禅定に入り、その境地のなかにおいて十方世界から来集した法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵の四大菩薩や、大乗根性の凡夫の機類に対して、二十一日間にわたり華厳経を説示しました。この時期を華厳時といいます。

 阿 含 時(鹿苑時)
 釈尊は、華厳の教えを説示された後、菩提樹のもとを起って波羅奈国の鹿野苑に赴いて、阿若憍陳如等の五比丘に対して法を説き、その後、十二年間にわたり広く十六大国に遊化しました。この間、釈尊は未熟な機根に対して「誘引」のために、もっとも初歩的な教えである阿含経を説かれました。したがって、この時期を阿含時といいます。

 方 等 時
 方等時とは、釈尊が阿含時の次に説法された十六年間(八年間説あり)をいい、ここでは楞伽経・阿弥陀経・無量寿経・観無量寿経・維摩経・首楞厳経等、数多くの大乗の教えが説かれています。

 般 若 時
 般若時とは、方等時の次に説法された十四年間(二十二年間説あり)をいい、霊鷲山や白露池で、摩訶般若・金剛般若等の般若波羅蜜経が説かれました。

 法 華・涅槃 時
 釈尊は、七十二歳より八年間にわたり、摩竭陀国の霊鷲山及び虚空会において法華経を説かれ、さらに涅槃の直前の一日一夜、沙羅林において涅槃経を説かれました。この時期を法華・涅槃時といいます。

(最初に説かれた華厳経は、法華経の後に来る時代、つまり次元上昇を続けるこれからの時代、2013年からの弥勒の世を説いているものです。)

最後に説かれた法華経で「法華経涌出品第15」の解釈に仏教の結末が説かれていますが、キリスト教の黙示録と同じように、特別な覚者・聖人でなければ理解しにくい時代背景がありました。しかしついに、この重大な真実を知る時が人類に訪れました。

5次元アガルタの覚者・聖人が地上に現れます。世界には南米ブラジルのマットグロッソ、北アメリカのシャスタ山、日本の富士山、チベットなどたくさんの接点となる聖地があります。

 解釈:

 地涌の菩薩とは、法華経涌出品第15で、釈尊が滅後弘通のために大地から呼び出した無数の菩薩をいいます。大地の割れ目の地の虚空から湧き出たので地涌の菩薩といいます。大地の虚空とは、真理の世界(5次元)に住していたことを意味します。

地涌の菩薩の数は六万恒河沙です。「恒河」とはインドのガンジス河のことで、その砂の数を一恒河沙といいます。その一恒河沙の六万倍の菩薩が出現し、しかも、それぞれが無数の眷属(弥勒眷属)を率いているのです。

経典には、釈尊を25歳の青年とすれば、この地涌の菩薩は、100歳の翁に譬えられるほど、仏以上の立派な姿をしていたことが説かれます。

地涌の菩薩は、”成仏のための根源の法”をすでに所持しており、菩薩の姿で末法(法が滅した)にこの真理を伝授していく使命を帯びているのです。

衆生は、地涌の菩薩と、文殊・普賢・弥勒・観音に率いられていきます。

そして法滅後の真理を付嘱されます。

付嘱とは、釈迦が摩訶迦葉に「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す」【粘華微笑・玄嚢鼻直】経典には書いていない「一指相伝の秘法」、すなわち真理です。

アガルタ人はもともとアトランティスの住民で大陸が海底に沈んだときに逃れ、高度な文明を持って5次元地球内部にシャンバラを創造していました。

人類が2500年間宗教で強化され、後に自覚・覚醒して人類の尊厳を回復し、自由と平和を取り戻すこの時期まで、彼らは待っていました。

 アガルタ人も天に従いこの道を求め、地上で人類とともに修道しながら、さらに進化を続けます。

今我々は、想像を絶する進化の最中にいます。

 

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真理(8)

2013-01-29 22:16:11 | 道・真理・道徳

真理(8)
「真理」は、人類に与えられた唯一の宝であり、厳しい修道をして何度も生まれ変わって、時期や場所の縁で始めて得られるものでした。

キリストや釈迦がどういう役割をしたかということにその結果が現れています。

人間が「自然の摂理」という芸術的な観点から受け入れている変化は皆、因縁・因果があります。

オバマ大統領が演説のあの短い文章の中には、新しい時代の目標が星のように散りばめられていました。

リンカーン大統領やケネディ大統領などのアメリカを支えてきた数々の歴史があります。キリストのようにアメリカの歴史も聖なる犠牲によって成り立ってきました。

そして、世界各地から移民した人種の集合には、聖なる白色同胞団の秘儀、バベルの塔以来分断され、五色の人種に分けられた地球人類の悲劇を収束させるため、人類の融合に必要な民主主義が創造された偉大な国の開拓史がありました。

古代からの伝承を守ってきた由緒ある大陸国家の神威を受け止め、なすべき役割を果たそうとする建国の気高い精神が胎動しています。

人々の強い良心は脈々を受け継がれてきました。

アメリカはまさに選ばれた現代の聖地として生まれ変わろうとしています。

世界の国々も様々に変貌しつつあります。本当に大切なことは神聖故に汚されないよう護られ、秘密のうちにこの時を待ってきたことです。

それは絶対で、人々は命をかけて従い求めなければなりませんでした。ソロモンの秘宝、契約の柩、聖杯伝説など様々な冒険物語を知っています。

エジプト、インド、中国、南アメリカ…隠された山ほどの秘話があります。

「真理」はまさにそのように時代を超えてきました。

十字架、卍、プロビデンスの目、ファトマの手と目、仏像之額の白毫、神道の丸チョンや鏡、(点)、第三の目、菊の紋、薔薇、などなど数多くの印証も残されています。

アメリカが担った新しい世界は、革命と言う言葉が当てはまりません。

人々の自覚・覚醒によるチェンジ、オバマ大統領が心に秘めたチェンジは、「真理」への扉を開く壮大な物語の始まりを意味します。




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女神の星の物語

2013-01-29 22:04:44 | Ray Nitchie Eldred

女神の星の物語
 
銀河系の端に青く輝く小さな星がありました。
この星は太陽に恋をしました。
星は妊娠しました。

そしてたくさんのStar Seedたちが誕生しました。
Star Seedは成長して輝く聖なる光になって
銀河のかなたに旅立ちました。

小さな星は地球と言う女神の星です。
地球にはさまざまな星からたくさんの生命が移り住んできました。
2013年、表面地球には70億人以上の人類が生命を育んでいます。

その中で一部の人間が地球の内部に招待されることになっています。
地球内部は5次元世界があって、北極と南極に内部に入る大きな入り口があります。
5次元地球を見ると、ちょうど子宮のようになっています。

まもなく内部からはアガルタ人が地上に現れ、人類は彼らから高度な叡智を授かります。
地上に生まれ肉体を得た宇宙の存在と、地の虚空から湧き出てきたアガルタ人が融合して
人々はみな聖なる存在に次元上昇してゆきます。

今、人々は「星の種」となることを赦されました。
人類のすべてがこれから1万年かけて、宇宙のかなたへ旅立ってゆきます。

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あの鐘の音がきこえたら

2013-01-29 20:39:58 | Ray Nitchie Eldred

あの鐘の音がきこえたら

1、あの鐘の音が聞こえたら、平和の歌を歌おう
  ジョン・レノンのように平和の歌を歌おう
    愛していると言ってくれた
  ジョン・レノンのように平和の歌を歌おう
  抱きしめよう愛する人を 
  愛する地球をこの胸に

2、あの鐘の音が聞こえたら、平和の歌を歌おう
  ジョン・レノンのように平和の歌を歌おう
    愛していると言ってくれた
  ジョン・レノンのように平和の歌を歌おう
  抱きしめよう愛する人を
  愛する星をこの胸に

3、あの鐘の音が聞こえたら、平和の歌を歌おう
  ジョン・レノンのように平和の歌を歌おう
    愛していると言ってくれた
  ジョン・レノンのように平和の歌を歌おう
  抱きしめよう子供たちを
  愛する女神をこの胸に

  光り輝く人よ、
  ジョン・レノンと共に平和の歌を歌おう
  光り輝く女神たちよ、
  ジョン・レノンと共に平和の歌を歌おう
 
  

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時と場所

2013-01-29 20:36:38 | 道・真理・道徳

時と場所
アレックス・コーリアが地球の古代史を次のように伝えた。

地球の古代史(全て紀元前BC)
899,701 シーカー(水素呼吸型)、元の星座は不明、北アメリカのNewMexicoとArizonaの堺に。

763,132 オリオン(水素)のリゲルとペテルギウスより、中国のEuromaniに。

741,237 カペラ人(ニビル・水素)、アーサー・メジャー(大熊座)とアーサー・マイナー(小熊座)から、チリの南ヨガン山

701,655 ベガ人(ライラ・リラ人)→菩薩になる、北アフリカのニジェールとリビアの堺に。エチオピアに未発掘の遺跡(遺物)有り。

604,003 カシオペア人(昆虫型:Insectoid)、アルジェリアに。

585,133 ブーテス人(二ビル・水素)、牛飼い座から、カイロ・エジプトに。巨人

317,000 アルファ・ドラコニアン(水素)火星隆盛の最後(1000,000以上前に10万人移植)

87,300 オリオン(水素)別チーム、オーストラリアのパースに

83,400 ライラ人戻る、スペイン・バスク地方に、言語残る。

73,414 集団コロニー:レムリア(ムー)を太平洋に設立。ライラ人・シリウスA・プレアデス(途中で退去)・ニビル

57,600 アトランティス設立。参加:二ビル人(水素)・アンタリア人・ヒアデス人・サジタリス人・アルデバラン人・アンドロメダ人

31,017 レムリア戦争破壊

27,603 アトランティス破壊

12,000 オリオン・グループ地球人類のDNA操作開始、小熊座から月を持ってくる、ムーンマトリックス操作開始

隠された多くの歴史的遺産はまもなく事実としてこれらを証明するが、宇宙と関連する地球の歴史はすなわち人類の歴史でもあり、旧約聖書の物語が宇宙と連動しているのは、ゼガリア・シッチンという学者の研究からも明らかだ。

一体といってもいいほどである。とすればここで見逃してはならない重要な点が浮かび上がる。それは神々と人類の記録に残された宇宙人と宇宙人にとっても絶対的な存在である『天地造物主』と神として崇める聖なる存在、その天命がメッセージの中で見え隠れしていることだ。

その『道』は愛の根源であり、絶対的世界のように思う。つまり人類の宇宙との関係も、我々の心の迷いや調和と不可分の関係があり、一体である。そうであれば、これから起こる壮大な進化やそれを塞ごうとする自らの葛藤から、まさに玄妙な奥義を感じ求めなければならない。

これは押しかける安易な情報とは程遠い聖なる世界・清浄な世界への誘いである。時は来た。しかし心構えはできているだろうか。相互扶助の根底に宇宙を含んだ荘厳な天地造物主の存在意義があり、その原点が宇宙で最も尊い人類の存在を明らかにさせる。『時と場所』は重要な意義をもたらす。

時と場所を極めるには、かつて人類が与えられた階級制度の弊害に隠されてしまった霊の発現にある。



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貧困生活

2013-01-29 20:30:56 | Ray Nitchie Eldred
貧困生活

日本で年収200万円以下は貧困生活になるかもしれない。

昔の貧困生活というのは、権力やお金の奪いあう社会とは縁が遠い、まさにその日暮しの生活だった。

少し前、ニートの人たちは人間関係や競争が嫌でマスコミ的に落伍者というレッテルを貼られたように思う。

世相の移り変わりはめまぐるしいが、いつの時代も変わらない一つの生き方がある。

それは欲を捨てる生き方である。

生活が豊かになると欲が湧いてきて、お金の使い道で頭が一杯になる。

家族で旅行することが家族サービスという概念を持たされ、必死にお金をため、交通渋滞に耐え、疲労困憊の連休を過ごす。

もちろん気がついている人は増えてきているが、青い鳥を見つける旅にはほど遠い。車・携帯電話・衣食住、ありとあらゆるものが豊富に出回って、欲しいという気持ちも萎えてしまうほどになった。

心の虚しさに気がついて、精神世界をさまよっても、宗教・哲学・道徳・スピリチュアル世界など情報は多いが、求めるべき師は不在である。

親も教師も評論家はもちろん誰であろうと真に無向き合う空間がない。学者、伝道師、その背景の歴史は為政者が偽造した架空の世界である。

欲を捨てることに価値を見出す人々は、貧困生活の合理性に光を見ている。宗教や思想哲学、経済、科学の時代は終焉を迎えている。

これらは人間の心の安らぎにはなんの関係もない世界だった。

長く苦しい時代が何千年も続いた。

我々は、静かに、自ら神々と対話し、宇宙や地球という豊かな自然に囲まれ、悠久の真理の道を歩んでゆきたい。
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真理(3)

2013-01-29 20:28:50 | 道・真理・道徳

真理(3)
「あとから来るもの」とは一体誰であろうか、復活した現代のメシア・イエスであろうか。

キリスト教の信仰者は当然そう考えるし、マイトレーヤー・あるいはミトラともとれる。仏教観では弥勒菩薩とも言えてしかり、弥勒菩薩をミトラ神、マイトレーヤーと原点を同じくする。 

「箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、殻は消えない火で焼き捨てるであろう」 一般には、悪人と善人をふるいにかけると解釈する。ここで麦の実と殻を、心そのものだとすれば「麦の実」は「聖霊」であり、ふるい分け消えない火で焼き捨てる「殻」は、知識・知恵・執着心、貪り、恨み、妬み、善悪の心、分別の心、あらゆる後天性の心を火によって消滅させることを言う。

多くの人を善人と悪人に振り分け悪人を火で焼くのではなく、一人一人の心の中を2元性から1元性に回帰することを言う。

この不可能なことをなす技 「箕」はまさに神の愛にほかならない。そして神の導きに従う心も自分自身の精霊である。

私たち人類の輪廻転生を含めた2千年余の長い人生における、自らの心である麦の実と殻は、どちらも同じ成長の結果であり、神の愛によって殻を捨て御国に入る時に到ったと解釈できる。

「父と子と聖霊」の三位一体論は、「父」と「子」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え、が、父というのは全知全能の造物主、子は父なる主と同じ全知全能の霊を持った人(神の子)を言うのであって、父と子は同じ聖霊からなり、父は大霊であり、子は父の分霊である。

そして「聖霊と火」によるバプテスマについて、麦の殻を焼く火というのは、後天性の心を焼く尽くす方法、つまりここでは愛という光による「心の浄化」をいう。

消えない火は業火や熱ではなく光を意味する。

あとからくるものによる「心の浄化」すなわちバプテスマは想像を超えた壮大な物語の始まりにつながる。

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初夢

2013-01-29 20:25:48 | Ray Nitchie Eldred
初夢
2013-01-02 01:45:59 | 日記とても強欲な金貸し商人がいて、お互いに競争をしている会社にダミー会社を使ってそれぞれに融資をした。

双方の会社の企業秘密を掌握した上で、情報を巧みにコントロールして、一方の会社が倒産するように仕掛け、もう一方の会社には倒産した会社を吸収合併するため追加資金し、その会社の代表人事権を握った。

こうしてすべてを手中にした。

この会社を一つの国家に例え、役員会を議会に例えると組織というのは借金をする相手が悪いと自由意思はなくひとたまりもない。借金でがんじ絡めになっている国家をどうしたら国民の手に戻せるのか。

今年の初夢は縁起のいい、小気味のいい夢だった。

ついに正義の味方が現れた。それは現代の英雄の貴方だった。

金貸し商人の機密保持違反の証拠をつかみ、また商人の工作員が行った賄賂の証拠をもとに裁判にかけ、賃借関係を無効にして、払った金利や損害を賠償させることになった。

多くの余罪をふくめ、その商人は懲役刑に処され、すべては解決した。一番重要なことは、この件を国民みんなが知ることになり、このようなことが二度と起こらないよう、金貸しを社会から無くし、議会もなくして、官僚も無くした。 

ついでに金で買収されこれらの問題を報道しなかったマスコミを排除して、情報一切をオープンにした。

そして政府を含め公的な期間はすべて国民が管理する権限が法律で保証されることになった。

国の膨大な借金は、違法なので当然すべて免除になり、国家に対し多額の賠償も支払われることになった。

個人の借入金も貸し付けた商人の違法行為となりすべて返済の必要がなくなり、返済した元利以上のものが賠償として返還された。

あっという間に国家に借財は無くなり、個人も借金が無くなり、さらに年金も海外で運用していた内容の違法性が問われ解体され、国民が管理・運営するあたらしい年金システムが発効した。

一人暮らしの老人が月最低30万円支給されることになった。

こうして、またたく間に経済は豊かになり、国民の意識が高まり、金貸しと同じ欲望の世界だった売春・麻薬・暴力は無くなった。 

一方、人々の英知はますます発揮され、教育や福祉・医療など全て無料になり、生活物資も無料になった。

2013年、夢はマトリックスの世界である。

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学問の道(3)

2013-01-29 20:23:40 | 道・真理・道徳

学問の道(3)

誰が生まれつき他人を教育しにきたのか?

人がある種の技能を学び、ある種の知識を得て、他人と切磋琢磨して交流する中で、人はまた如何にして伝達し、相手にも同じ技能や同じ知識を持たせるかを學習するのである。

今まで、一人の成功した教育家を見たことはないが、ただ用心して學習する教育家だけは見たことがある。

又今まで生まれつきの出来そこないは見たことはないが、ただ用心して教育を學習しない人が、出来そこないをつくるのは見たことがある。

一人の學習教育者は、絶え間ない自我の充実と自我の教育が必要である。

1、今の大学教育パターンは、改革が必要であるか、どのような点を改革する必要があるか

2、社会の教育の方式と、大學の教育の方式は、何が互いに参考し、補助しあえるか

3、教育者の不足や、教材の欠乏の問題改善、育成と提供、関係間の互助交流の強化

人類の学習は真似ることから始まっている。まるで幼児が成長するのと同じように、つまり真似ることからはじまるのである。

当然、大學の中にあるたくさんの活動やコミュニティの仕組みは、學生に適合することが出来、學生を啓発することが出来ることを願わないことはない。

しかし、一般社会上では、こんなにもたくさんの知性的な活動を行うのか

これは正に、人類の心霊の奥深くには、微かな一種の究極の実態を追求している事を意味している。

更には一部分の活動はかなり盛大にし、とても有意義であり、外に表している様式や形式は、まさしく人の需要や思いに符合している。

内に蘊蔵されている意義は、人の心霊と本質に合わせようとしている。

専業化を求めるのは、専業的枠に陥り易いので、大学では専業化を要求できないのは、それは形式の枠に陥る事を免れるためである。

社会の趨勢や脈動をよく参考にし、よく観察して、よく理解してそれを大學に運用する時には、慎重に選び、そして有意義に行う。

有る風潮をつくってもいけないし、またある観念を閉鎖してもいけない。智慧を持って考慮し、まず自己がどれだけ受用出来るかを検討する。

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真理(6)

2013-01-29 20:22:37 | 道・真理・道徳

真理(6)
ヨハネ 福音書14章6節 「我は道なり真理なり生命(いのち)なり…」で、我は、キリストであり十字架であり、すなわち道であり真理である。古来「十字」は顔面で切っていました。

弟子スプーティ問「解脱に至る道は、どのような道でしょうか。」釈迦曰「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一を得ることが、その一切である。解脱とは一味の境地である

眞の道は、口を以て伝え心に印し刻むもので、もし汝が実相を観、靈覺の境界へ到達したい念があれば、一切の諸法と文字を離れ、着想と執念を捨てて人心の真諦を直指しなければならない。しかる後に本性を観て成仏できるであろう。

達磨大師が神光(慧可―禅宗の開祖)に「神光よ、眞伝は文字をあさって得られるものではない。自らの心霊に明師の面授と指点を受ける必要がある。紙上に画いた餅は食べられないのと同じように紙上に書かれた法は因果から逃れ輪廻転生の路から解脱する事は出来ない。

釈迦が摩訶迦葉に「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す」【粘華微笑・玄嚢鼻直】経典には書いていない「一指相伝の秘法」を伝えました。

「道」すなわち「真理」を得たものは修道することにより、七次元へ遷移する縁と機会が与えられています。3.11で2万の人が五次元遷移しました。つまり三次元でいう「死」を伴う遷移ですが、まだそれを理解できる意識レベルにいたっていないため、それぞれにおいて選択の方法があったり、時期が明確でないことが説明されています。もう一点重要な機密は、「五次元は永遠ではない」と言うことです。五次元は、これから約1万年後までには消滅しますので、五次元に遷移してそこで本格的で高度な学びと修道をして「道」を得なければ七次元に遷移できません。五次元に入ったそのほかの者は、また選択して5百年以内に三次元に「道」を得るため戻ってこなくてはなりません。

古来、この世で多くの聖賢が難行苦行の末「道」を求めたのはそのためです。そして、命掛けで慧命を継承してきました。宇宙の存在、あるいは地底の存在(法華経の十五品で説かれているように五次元アガルタの聖なる者)が地上にあらわれ、人類と一緒に修道するのも、七次元に遷移することのできる「道」を得るためです。宇宙の多くの存在が人間として肉体を得てこの世に生を受け、今この大事な時期に自分の役目を果たし目的を達成しようとしています。

地球の人口が70億人にも膨らんでいるのは、宇宙の存在が大量に人間として生まれてきているためです。人間として肉体を得なければ「道」を得られないという物理的な機密があります。さらに重要なのは、古来聖仏・菩薩は、この世の「すべての人々を救う」という誓いをたて降世してきています。12月21日の変化に関係なく、この世において死ぬまで人々を救う使命があると思う者は、この世に残る選択をします。その者はそのように自ら望んで生を受けています。

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学問の道(2)

2013-01-29 20:21:32 | 道・真理・道徳

学問の道(2)

道の中には、天命・率性・修道・教化の四つのすべてが揃っていてどれも欠かせないものと言える。

天事から人事に到るまですべて心を用いて理解しなければならない。この意義はとても深いが、実践することは最も重要である。

過去に於いて世界は間違った方向の軌道上を歩んでいた。

しかし、現在は軌道のない時代に居て、人類がもし以前の軌道を歩めば、最終的な目標は滅亡へと導くことになる。

だから、我々は方向を変えなければならない。我々人類は錯誤の軌道を放棄しなければならない。

もしここで相変わらず、正確な軌道を見つけられず、正確な軌道を歩めなければ最後には又、同じように目暗撃ちで至るところに入ってしまい滅びてしまう。

まず先に、様々な骨組みやプロセスを捨てなければならず、まず実際的な目標を検討することが重点である。

唯、心の中に道があり、どのようにして道のある行いをし、なおかつ人々が何が道と言うのかを解ることである。

もし乱雑で秩序がない様子に見えるなら、これは道があると言えるだろうか。

自己の弊害を解除する時や、自己の誤った過去を破戒する時に、同時に未来の建設を開始させる。

もし進修の中で建設出来なければ、過去を破壊し尽くしたとしても意味がない。

この意味は、人類は元々錯誤の軌道であるところから、正確な軌道に入ろうとしている間、あなた達は既に錯誤の軌道から引っ張り出されて居る。

しかし未だ正確な軌道に入っていない。これは一つの転移の過渡期である。所以に現在は、軌道のない状態にある。

1.23


コメント

ありがとうございます

2013-01-29 20:19:18 | Ray Nitchie Eldred
ありがとうございます
思いつくまま、載せていますが、見てくれる方々にお詫びをいたします。私は文章が下手で、その上思い込みというか説明不足のまま納得して載せてしまっています。あとで、これでは言いたい意味が違うだろう、とか、勝手な人に思われているだろうと意気消沈します。

でも大切なことが早めにわかるような気がします。というか、そういう流れの中にいつもおかれています。言い訳のようですが懸命な方が、きっとこの中から何か一つでも拾いあげてくれるとだろうと思い、これからも勇気をもって載せていこうと思います。

ただ、一つ注意して欲しいのは、メッセージの場合、これは聖書などの経典もそうですが、時間と空間(場所)について、それが何時、どこで起こるのか、わかりにくいのです。というよりむしろ、何事もすぐ起きそうに思い、いいことは人情で期待してしまいます。
 
しかし何年たってもそうならないので、批判に回ったり、諦めてしまう人が多いんです。こういうことは、宗教の信仰について同じ傾向があります。聖書で取り上げた「聖霊と火によるバプテスマ」も実は、2000年後の今の事なのです。当時の人がどう解釈できたでしょう。

孔子の論語にも、山裾でキジが鳴くのを聴いて「時なるかな、時なるかな」といった時は、今のことなのです。その解釈が当時から分かれてしまうのは無理からぬことです。

信者や弟子が熱心のあまり解釈のできないことなど意に介しなかったのか、解釈以前に奇跡を見たり、聖人の言行一致の風格に圧倒されたりしたのか、それぞれ考えようですが、文字に囚われ、これは間違いだ、だからどう解釈してもいいのだ。これはイカサマだ。だからと言って自説を建て、分派してきた何千という宗派の正当性があるとは言えないと思います。

篤く信仰した方々は、もっと価値のある神の姿を見ていたのだと思います。宇宙の存在のメッセージは、経典と変わらない高尚なものです。仏教の経典も日常用語で解説するとよくわかります。難しい内容ではありません。宗教の教義に宇宙の存在が関わっていたのですから、今もまた多くの人に伝えている内容は、当時キリストが、あるいは釈迦が人身を得て天命をもって伝えたものと全く同じ意味があり、時代時代の節目には必ずこのような機会が与えられます。

ある聖人が命をかけて天に訴えました。「教えないで殺すのですか」、もし今から30年前多くの宇宙メッセージが下ろされなければ、このように地球人類の力が結集されなかったでしょう。現代の科学時代・経済最優先の世界では、聖なる経典に隠された真理の秘密を公開することは為政者の利益になりませんでした。、

縁がなく安易に援けを求める人は邪教に走り魂を売ってしまうことになります。1999年や2012年12月21日の地球最後の日は、もともとなかったと言えないと思います。事実歴史上人類が滅びたことは何度もあったのです。

NESARAがいつ実施されるかを宝くじが当たるような意味で期待するよりも、どうしてそのようなことが始まるのか、家族がギリギリの生活をしている実情の中で、なぜ一人当たり何億円という豊穣資金が配られるのか、真剣に理解を深める必要があります。アメリカでは2001年に配給される予定があって、それを阻止することが目的の一つで9.11が実行されたと言われています。

あれから12年が経過して、日本はいまだマスコミ情報が完全に封鎖されています。過去の歴史も勿論、現在の状況も全く知らされていません。知る権利があります。自分の命を活かす権利があります。メッセージの意味する「時と場所」は、自分自身の心にかかっています。

間違った情報、プロパガンダに閉じ込められた状態から脱すれば、そこに理想世界がすでに用意されています。間違っていたのは政治・経済・教育・医療・社会のすべての仕組みで、メッセージや天地造物主の許しを得た正統な宗教、そしてその原経典に書かれていることはすべて正しく、それは人類一人一人の能力が無限であることを証明しています。
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真理(9)

2013-01-29 19:57:16 | 道・真理・道徳

真理(9)
2013-01-24 22:24:49 | 生活と人生真理(9)

人類救済の秘法(真理)がどのように伝えられてきたか、各宗教の経典に伝承されているが時代が下る事にその解釈は有名無実となった。

老子には元始、孔子には項屣、釈迦には燃燈佛が法灯(キリスト教の『聖霊と火』によるバプテスマ)を伝授した。

老子は、道徳経、第一章の中で「道可道、非常道、名可名、非常名、無名、天地之始、有名、万物之母、故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其竅、此両者、同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門、」

道というは、常にいうその道ではない。その名でもない、名が無いが、「天地の始め」であって、その名をあえて、「万物の母」という。

つねに無欲で故にその妙を観る。「天地の始め」であり「万物の母」この両者は、同じ根源から出ているが、名を異にしている。

これを玄(玄関)という。玄の中の玄を、あらゆるものを生み出す神秘の中の神秘、それを衆妙の門という。

どの経典でも、これは名のつけようもなく、文字をあさっても解るものではない。

釈迦は、弟子スプーティに「解脱に至る道(真理)は、どのような道でしょうか。」と問われ、「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。

スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一(真理)を得ることが、その一切である。」と答えました。

また、摩訶迦葉に法灯を伝え「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す。」【粘華微笑、玄嚢鼻直】と説法し、正しい法が目の蔵(老子:谷神)にある。

それは涅槃(天国)への妙なる心のように、あるといえば無い、無いようである、微妙な法門である。

文字を立てず(文字 に表すことはない)、教えの外に別に伝える(誰にでも教えるものではないし、教えるというものでもない)、一人から一人に単伝独授するもので、これを摩訶迦葉に附嘱(一指相伝)した。

その機微を顕しました。そして鼻を捻って微笑し(粘華微笑)それは鼻の玄嚢の直すぐ上である、と記しました。

AS



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聖書は真理を伝承してきた

2013-01-29 12:35:56 | 道・真理・道徳

2013年4月14日

真理はイニシエーションやバプテスマと深い関係がある。キリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の原経(創造主の勅をそのまま聖人が伝えた内容)に真理の継承がある。なぜヒンズー教・ユダヤ教などがこれに含まれないかは、真理の授記が明確に伝承されていないため、後の解釈に大きな影響を与えるからである。

真理の伝承は聖人によって行われ、その外(時代によって伝えられない時期でシャーマンなど霊的指導者によって支えられる時期、あるいは伝えられても縁分により秘密が守られ、時期が来るまで待たなければならない)の霊的指導者によるものは、今日のように時代とともに金銭や人の奴隷化を目的とした集団になってゆく。しかし、いつの時代も極まれば泥水の蓮のように新たな光が見えてくるもので、そこに人類の物語の奥深いところがある。

聖書のバプテスマ:
マタイによる福音書 3章 11節 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。3章3節「…主の道を備えよ…」 ここでまず「道」の解釈をヨハネ 福音書14章6節 「我は道なり真理なり生命(いのち)なり…」となっており、我は、キリストであり十字架であり、すなわち道であり真理である、生命である。と解釈する。

主の道の備え、は、真理への備えになる。それは、水と火のバプテスマの解釈につながる。欲を隠したパリサイ人やサドカイ人をまむしの子といい、迫ってきた神の怒りからのがれられるとだれが教えたのか…、そして8節「だから悔い改めにふさわしい実を結べ。」 まむしの子というのは欲という毒がある、しかしその子のようなものである。最後の審判まで悔い改めにふさわしい実を結ぶように時が与えられている。

火のバプテスマは、全ての人に時(機会)を与え、最後の審判の時、真理を伝える 「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。聖霊と火のバプテスマによって。」もしその時に悔い改めが十分でなければ、前10節にあるように「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」 聖書全体に通じた究極的な解釈を示した。

さらに12節 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう。箕を手に持った者は、明らかに「このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになる」かたである。その方が天にかわって行う聖なる審判の意味である。

13節 そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。14節 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。15節 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

あとから来る方はイエスではなく、イエスは、すべての正しいことを成就するため、水によるバプテスマはわれわれがすべきことである、と言われた。
そして、マタイによる福音書 3章 17節 天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

悔い改めのための水のバプテスマ、最後の審判のための火のバプテスマ、ヨハネはキリストが「後からくるもの」と考えた。「聖霊と火とによってバプテスマを授ける者」はキリストではなく、時期は今ではないことをキリスト自身によってしめされた。そして「時」は今2013年、天の幕やは降りています。


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