Mutual Aid Japan

道(真理)の実践


2918【05再】Ainu*Taiwan*North and South Indiansアイヌと台湾原住民、南北インディアンをつなぐ謎の点と線by Hiroshi Hayashi, Japan

2019-04-16 20:13:40 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

2918【05再】Ainu*Taiwan*North and South Indiansアイヌと台湾原住民、南北インディアンをつなぐ謎の点と線by Hiroshi Hayashi, Japan

コメント

1381+1323 縄文文明は世界第一の文明であった、証拠と証明Jomon Civilization is No 1 Civilization of the World

2019-04-13 14:34:08 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

Ray:地球の文明は、縄文文明一度ではなく、129,000年毎に多くの文明が何度も繰り返しています!この度の文明のあり方は縄文文明にヒントがあると言う意味です。

1381+1323 縄文文明は世界第一の文明であった、証拠と証明Jomon Civilization is No 1 Civilization of the World

コメント

プマプンク遺跡―失われたオーバーテクノロジー(南米チチカカ湖)

2019-03-13 13:39:03 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

奇妙な旧世界 >

PumapunkuEye000_min

驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク

神は積み木遊びをするか

pumapunku001b-min


南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。

16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。

ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
pumapunku002_min

高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。

ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ

まさに他の遺跡とは毛色が違った。

新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」

pumapunku003_min

プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。

そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。

地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。

では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。

アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。

様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。

1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。

あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない
pumapunku004_min


たしかに数学的であった。

石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。

プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。

ある論者は言う。

ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。

同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。

こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?

これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。

――約1万5千年前。

これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。

そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】
による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。

その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。

数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。

pumapunku0x5


pumapunku0x6


pumapunku0x7


pumapunku0x10


pumapunku0x8


pumapunku0x9


pumapunku0x11


pumapunku0x12


pumapunku0x13


とにかく、プマプンクは規格外だ。

ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。

そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。

誰もがそう思う。

そして一部の人はこんな風にも思う。

ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。

もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。

遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。

そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。

そう、古代宇宙飛行士説だ。

オーバー&ロストテクノロジー

ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。

プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。

そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

プマプンク地図

チチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍。富士山の山頂より高い高地に位置しているが、熱帯に属しているため雪に閉ざされてはいない。クリックで拡大。



ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。

混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。pumapunku0014


ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。

たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。

比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。

だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。

この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。

もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。

原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。

そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。

実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。

プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。

木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。

最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。

運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。

遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。

あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。

そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。

ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

Tsoukalos_mini

古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人


「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」

もうね、好き。

やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。

彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。

このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。

興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。

遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。

世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。

ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。

pumapunku0015a

創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。


このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。

宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。

せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。

実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。

なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!

もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。

大洪水。

もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?

なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。

プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。

そして現代へ。

一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。

だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。

古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。

世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。

では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載

コメント

【古代日本とシュメール】日本の神社や神域で発見される古代文字ペトログリフの謎

2019-01-18 20:42:20 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

【古代日本とシュメール】日本の神社や神域で発見される古代文字ペトログリフの謎

コメント

【衝撃】世界は日本から始まった。カタカムナ文献、竹内文書と古史古伝の世界 超古代史 1

2019-01-18 19:34:57 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

【衝撃】世界は日本から始まった。カタカムナ文献、竹内文書と古史古伝の世界 超古代史 1

コメント

【衝撃】カタカムナ文献、竹内文書での古代日本!日本の奇書に記された摩訶不思議世界! 2

2019-01-18 19:27:59 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

【衝撃】カタカムナ文献、竹内文書での古代日本!日本の奇書に記された摩訶不思議世界! 2

コメント

韓国人の祖先は縄文人だった!

2018-11-10 22:57:46 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民
 
2017-01-14 08:40:04
テーマ:

昨年十二月に発行された別冊宝島の「古代史15の新説」と言う本に衝撃な内容がたくさん書かれてあった。

私は医療の仕事をしていたので、この曖昧な「古代史」という「言ったもん勝ち」の世界が余り好きではない。
真実の歴史はどこにあるのか?など考えても答えを出してくれることは少ない。
最近、旅行会社のツアー「御陵めぐり」というのが流行っていて満席のようですが、これも理解できない、本当かどうか分からない古墳をめぐってもしゃーないやろ汗
まあ〜人好きずきなのでいいのですが、

しかし、その古代史にも最新の化学で、様々な真実が明らかになっている。
この本にも書かれたあったが、銅鏡、邪馬台国卑弥呼時代の魏から送られた百枚の鏡など、鉛の同位体比などで、日本製か?中国製か?なんてことが判明している。
古墳からも多く出土する鏡ですが、日本製がほとんど
真の卑弥呼の鏡は、九州北部を中心に出土する漢鏡であるという。

そして、いままで曖昧だった日本人と韓国人のDNAについても、分かりやすい言葉で記載されていた。少し抜粋します


縄文人は日本人と韓国人のルーツ

いままで、日本人は朝鮮半島(弥生人)起源とか
日本文化は朝鮮半島(弥生人)起源とか
韓国は日本人の祖先の国だとか

それに反論する手だてはないと思っていた
それがこれに対して
「開いた口がふだがらない」
と言い放ったのは、長浜浩明氏だった。


日本人と韓国人のY染色体は大きく異なる

Y染色体は男性の系統を表します。
日本人の大多数は、韓国からやって来たのなら、今の日本人と韓国人のY染色体構成は類似しているはずです。
縄文時代から、今の韓国人の祖先が半島に住んでいて、彼らが弥生時代に日本にやって来て、あるいは特異的に人口を増やして、私達の祖先になっていたなら、今の日本人のY染色体は韓国人に似ているべきです。
しかし、日本人と韓国人のY染色体構成は大きく異なっていて、今の韓国人は、私達日本人の祖先ではないということです。


韓国人女性のルーツを探る

DNAのmtDNAは、母親から娘に受け継がれるDNAで、女性の系統をたどることができます。
では、韓国人と日本人のmtDNAは、縄文時代から近い関係(縄文人)にあった。


チベットと日本人は同じDNAか?

もともと北東アジアに広く分布していたハプログループが、その後中国を中心とした地域で勢力を伸ばしたハプログループO系統(漢民族)によって、周辺に押しやられて閉まった結果、日本人やチベットは海や高い山によって隔てられていたので、このハプログループD系統が高頻度に残っていた?
それならば、日本人とチベット人のハプログループD系統が同じでなければならないが

ハプログループD系統は、二種類あり
日本人に特有のD1bとチベット人のD1aで、日本人に特有のD1bは、約3万5千年前に日本で誕生し日本中に拡散している。
なので、日本人とチベット人は違うと言うことです。


朝鮮半島には5千年の長きにわたって、誰も住んでいなかった。

1993年に韓国国立中央博物館発行の書籍によると
▶半島の歴史は旧石器時代から始まるとある
しかし、発見された遺跡数は50カ所程度にすぎない(この時代、日本からは1万もの遺跡が発見されている)

▶その後、紀元前1万年から5千年まで半島から遺跡が亡くなります。
つまり、考古学上では半島の人々は絶滅した、5千年の長きに渡って誰も住んでいなかったということになります。

▶再び人の痕跡が現れるのが紀元前5千年頃で、「新石器時代櫛文土器文化」となる。

▶では、朝鮮半島にどこから人がやって来たのか?
韓国の歴史では、「旧石器時代は韓民族の直接の先祖ではなく、直接の先祖は約4千年前の新石器時代から」とあり
では紀元前2千年頃、韓民族の祖先がどこから半島にやってきたのか?となる。

▶では、7千年前、すなわち紀元前5千年頃にやって来て「新石器時代櫛文土器文化」を築き、4千年前、すなわち紀元前2千年頃、先住民が住む半島に侵入し、やがて「韓国人の直接の祖先」になった人々はどこから来たのでしょう?


朝鮮半島の歴史は縄文時代から始まる

▶最近相次いで日本列島から縄文時代の人々が渡っていたことを示す痕跡が見つかっている。
東三洞貝塚では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。そこに出土する縄文土器は縄文人がやって来が確かな証拠品といえる。
東三洞貝塚は三層になっており、二期と三期層から日本の縄文時代の中・後期の土器が発見された。

▶韓国での考古学調査の結果は、
韓国人の遠い祖先は、日本の縄文文化をもって無人の朝鮮半島に移り住み3千年の間に北部にまで広がった縄文人だった。
つまり、朝鮮半島の文化は、日本から渡来した縄文人が伝えた縄文文化から始まった。

▶また、沖縄の祖先も縄文時代前期に九州から移り住んだ人々である

▶なのでこの時代のDNAは、縄文人と同じとなる。


古人骨は現韓国人に似ていなかった

人類学者の小片丘彦氏は
朝鮮半島南部の煙台島で発見された前4千年紀の古人骨、半島南部の勒島で見つかった弥生時代中期の古人骨、釜山市郊外の金海礼安里古墳群から発掘された4〜7世紀の古人骨の調査結果を発表し、
現韓国人と大きく異なっており、形態人類学の考え方に従えば、彼らは韓国人の祖先ではないとなり、この古人骨は多くの点で同時代の日本人すなわち縄文人に一致していた。
このことから最初に半島に住み始めた人々は日本からやって来た縄文人だったという考古学上の推論は形態人類学によっても裏付けされたことになる。


縄文人の消滅から混血民族への誕生

日本列島内の戦は、異民族の戦争ではないが
大陸の戦いは異民族の戦いであり、征服された民族の男は皆殺しも稀でなく、女性は、勝利者により凌辱された。
つまり、縄文人の男性はは皆殺し、縄文人の女性は勝利者により凌辱され、
日本人と近かったはずの男性Y染色体は、世代を重ねる毎に入れ替わり、現在の韓国人のY染色体のようになったと考えられる。
男性Y染色体は、北方民族に置換されていった。
つまり、現在の韓国人は「縄文人を母」「北方民族を父」にもつ、ごく最近に誕生した混血民族ということが最新の化学で明らかになった。

と締めくくられている。
私達日本人は、おとなしすぎて主張するのが苦手な民族であり、それが長くに渡って平和をもたらした縄文文化でもあったのだろう。

反対に主張しすぎる韓国人は、主張しすぎないと生き残れなかった民族であったのだろう。

恐ろしすぎる「北方民族」のDNAは、今も嘘を誠のように述べ、少民族をくい尽くそうとしている。油断していると、日本の領土も漢民族に買いあさられ、乗っ取られてしまう。

いつまでも神風が守ってくれると信じているのなら大きな間違いだ。
コメント (1)

プマプンク遺跡―失われたオーバーテクノロジー(南米チチカカ湖)

2018-10-28 17:11:56 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

奇妙な旧世界 >

PumapunkuEye000_min

驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク

神は積み木遊びをするか

pumapunku001b-min


南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。

16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。

ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
pumapunku002_min

高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。

ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ

まさに他の遺跡とは毛色が違った。

新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」

pumapunku003_min

プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。

そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。

地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。

では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。

アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。

様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。

1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。

あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない
pumapunku004_min


たしかに数学的であった。

石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。

プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。

ある論者は言う。

ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。

同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。

こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?

これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。

――約1万5千年前。

これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。

そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】
による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。

その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。

数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。

pumapunku0x5


pumapunku0x6


pumapunku0x7


pumapunku0x10


pumapunku0x8


pumapunku0x9


pumapunku0x11


pumapunku0x12


pumapunku0x13


とにかく、プマプンクは規格外だ。

ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。

そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。

誰もがそう思う。

そして一部の人はこんな風にも思う。

ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。

もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。

遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。

そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。

そう、古代宇宙飛行士説だ。

オーバー&ロストテクノロジー

ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。

プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。

そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

プマプンク地図

チチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍。富士山の山頂より高い高地に位置しているが、熱帯に属しているため雪に閉ざされてはいない。クリックで拡大。



ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。

混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。pumapunku0014


ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。

たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。

比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。

だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。

この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。

もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。

原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。

そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。

実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。

プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。

木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。

最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。

運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。

遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。

あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。

そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。

ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

Tsoukalos_mini

古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人


「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」

もうね、好き。

やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。

彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。

このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。

興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。

遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。

世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。

ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。

pumapunku0015a

創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。


このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。

宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。

せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。

実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。

なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!

もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。

大洪水。

もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?

なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。

プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。

そして現代へ。

一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。

だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。

古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。

世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。

では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載

コメント

超古代文明573B ツタンカーメン王の黄金マスクは日本製! 死因は?ピラミッド石棺の真実!トウヤは「洞爺湖」から…。 (竹取翁博物館・国際かぐや姫学会)2018.10.7

2018-10-12 22:06:00 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

超古代文明573B ツタンカーメン王の黄金マスクは日本製! 死因は?ピラミッド石棺の真実!トウヤは「洞爺湖」から…。 (竹取翁博物館・国際かぐや姫学会)2018.10.7

コメント

超古代文明572A ツタンカーメン王は、北海道 洞爺湖に居た(神武の子孫が全容を発表!?)今世紀最大の発見!? その証拠を公開! (竹取翁博物館・国際かぐや姫学会)2018.10.7

2018-10-12 16:28:36 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

超古代文明572A ツタンカーメン王は、北海道 洞爺湖に居た(神武の子孫が全容を発表!?)今世紀最大の発見!? その証拠を公開! (竹取翁博物館・国際かぐや姫学会)2018.10.7

コメント

「エデンの園」は日本の「常世の国」であった!

2018-09-14 21:13:18 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

「エデンの園」は日本の「常世の国」であった!

コメント

【古代日本とシュメール】日本の神社や神域で発見される古代文字ペトログリフの謎

2018-09-10 15:22:31 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

【古代日本とシュメール】日本の神社や神域で発見される古代文字ペトログリフの謎

コメント

ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋(バイカル湖)-1

2018-08-11 20:33:59 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

奇妙な旧世界 >

YakutiaEye2

広大な永久凍土の片隅。『死の谷』と呼ばれる禁足地。そこで学者は奇妙な構造物を発見した。
それは半分地面に埋もれ、地面から突出した部分だけを見れば巨大な鍋のように見えた。
様々な人たちが訪れ、他にも不可解な構造物が発見される。
様々な観察、様々な発見、だが、それらはさらなる謎を呼ぶだけだった。
誰が作ったのか。いつ作られたのか。
雪深い極北の地、封印は凍っているか。


ここは声の凍る国

YakutiaBanner

東シベリアの奥地に位置するヤクート地方、世界有数の『極寒の地』として知られる辺境。

この地では、囁き声も叫び声も、相手に届かないまま唇の先で凍るとされる。凍結したそれらは極寒期が終わるとゆっくりと溶けて、短い春の騒がしさを後押しするのだという。

1859年。そんな極北に1人の科学者があった。

博物学、地理学、そして人類学の専門家、リヒャルト・マーク(外部)教授だ。
当時ドルパート大学(現在のタルトゥ大学)で教鞭を執っていたマーク教授はロシア地理学会から、「ながらく未踏の地であったヤクート地方を調査して欲しい」との依頼を受け、ビリュイ川流域の学術的調査に赴いていた。

そうして何度も繰り返された遠征で得た調査結果を、『Vilyuysky District Yakut area』と題した三冊の書籍にまとめる流れになるのだが、その手記の中に、興味深い事が書かれている。

リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak) シベリア極東地域の研究で知られる。博物学、地理学、人類学者。 様々な発見に貢献し、マメ科の属名『Maackia』やスイカズラ科の種『Lonicera maackii』に献名されている。 Буква — Маак Ричард Карлович

リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak)
シベリア極東地域の研究で知られる。博物学、地理学、人類学者。
様々な発見に貢献し、マメ科の属名『Maackia』やスイカズラ科の種『Lonicera maackii』に献名されている。
画像出典:Буква—Маак Ричард Карлович

それはマーク教授がビリュイ川の上流の、ある地域に辿り着いた時のこと。
そこは周辺に住むヤクート諸族に『死の谷』と呼ばれていた場所で、竜王が眠っていると信じられていた場所だった。

もちろんそこは禁足地。

足を踏み入れれば竜王の怒りを買う聖域とされており、『ヒイシ(境界の地という意)』と呼ばれる入り口から先へは行ってはならぬとされていた。周辺住民でも立ち入るのは1年に4日だけ、竜王へささげる祭祀を行うため、一部のシャーマンだけが死の谷に入る事を許される。それも奥地まででなく『ヒイシ』までだ。
奥地である『マナラ(死霊の地)』まで侵入するなどとんでもない。

そんな信仰ゆえか、調査探検の大きな助けとなるはずの現地ガイドが高額の報酬を約束したにもかかわらず同行を断った。

なんだよ約束が違う! 言ったじゃん、行くって言ったじゃん!

とマーク教授は憤るが、現地ガイドは首を振るだけ。

数ヶ月前、40年ぶりに死の谷で竜王が火を噴いた。多感な時期かもしれんし、怒りを買いたくない。今はそっとしておこう、な?

などと受験ノイローゼの子供をかかえた親御さんのような事を言う。

もちろん、マーク教授は竜王の親御でも何でもないので、多感であろうがなかろうが、無視して死の谷へ足を踏み入れることにする。

そうしてトナカイの背を借りて雪に閉ざされた世界を進むこと数日。ようやく辿り着いたそこで――死の谷で、マーク教授は後世まで第三者による議論を呼ぶことになる体験をする。

ビリュイ川上流へ向かうこと2日、支流沿いに進むこと1日、『境界の地』をいくらか越えた地点でマーク教授は奇妙なモノを発見した。

発見したのは『大鍋』だった。

地面から斜めに突き出した大鍋型の構造物。 トナカイに乗っているのが少し羨ましい。 Долина Смерти (Якутия)

死の谷に眠っていた地面から斜めに突き出した大鍋型の構造物。『谷』という表現から渓谷をイメージしがちであるが、実際はなだらかな丘陵が続く森林地帯になっている。
トナカイに乗っているのが可愛い。すごく羨ましい。

画像出典:Долина Смерти (Якутия)

それは一見して平鍋――もちろんそれは通常目にするような鍋のサイズではない。ボルシチにして数百人分は仕込めそうな大きさだった。

地面から突き出している部位だけで、高さ3メートル、推定される全体の直径は7~8メートル。
表面のほとんどがコケなどの地衣類に覆われており、本体は胴に似た赤い金属でできていた。

これはなんだろうか。
古くからヤクート諸族はビュリュイ川の事を『アルギュイ・ティミルニト――大きな鍋の沈む川』と呼んでおり、この目の前の大鍋がその由来だろうか。

この『鍋』は一つではなく、付近の針葉樹林に同じようなモノを幾つも発見する事ができた。

そして、他にも奇妙なモノを見つける。

それは洞窟の入り口のような穴だ。
河原の斜面にポッカリと空いた大穴。

近づいて観察してみれば大穴は高さにして3メートル、幅にして2メートルほどの楕円形をしており、地下へ向かって急傾斜の通路が続いていた。

これは、決して自然の造形物ではない、なぜなら、その通路――壁面や床が赤い金属で構成されていたからだ。

――竜王の住処なのだろうか。
リヒャルト・マークがそう考えたかは定かではないが、少なくとも学者としての好奇心は刺激されたらしい。

マーク教授はタフなことに、その中に入ってみる事にした。
穴に入り、階段のような段差を降りて行くと、やがて広いホールにたどり着いた。

そこはドーム状の円形広場になっており、円の直径は20メートルほどだった。

マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。 マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。画像出典:極北に封印された「地底神」の謎より

マーク教授による奇妙な穴のスケッチ。
画像出典:極北に封印された「地底神」の謎より

そしてそこも先ほど発見した大鍋同様『赤い金属』で作られおり、不思議な事に内部は採光窓もないのに明るかったという。

タフボーイであるマーク教授は、やはりタフであるからして

ふむ。なんだかよくわからんが、これは風雨をしのげて丁度良い。さっそくテントを張って泊まり込むとしよう

これは無神経と紙一重のタフさである。

とにかく、マーク教授はこのドームを拠点に周囲を詳しく調査する事にした。

死の谷には、なんらかの未知の部族が存在し、その部族がこれらの奇妙な構造物を作ったのかも知れない。
だとすれば、調査依頼を受けた身として仔細に調べねばなるまい。

そうして翌日以降、周辺をくまなく調べてみれば、他にも奇妙な事が確認できた。
まず、音だ。

死の谷は声も凍るような静かな場所だが、耳をすませてみれば何かが聞こえる。
低い音――まるでクマバチの飛行音のような、唸るような、ブーンという音が何処からか断続的に聞こえる。

これは、ヤクート諸族にして『竜王の唸り声』と呼ばれるものか。
そして針葉樹林がまばらになった場所には『露骨なドーム』があった。

高さにして20メートル、半球体の直径は10メートル。
明らかに自然造形物でなく、何者かの手による構造物であったが、奇妙なことにそのドームには窓も入口もなかった。そして、やはり赤い金属で作られていた。

マーク教授が触れてみると、ドームは微かに震動しており、ほのかに暖かかった。
この赤みは銅だろうか、と金属のサンプルを採取するため大型のハンマーで叩いてみたが、頑丈すぎて傷一つ付けることができない。

見目には似ているが、これは銅ではない――。

結局、なんのサンプルも採取できず、マーク教授が持ち帰ったのは以上のような土産話だけだった。

凍土に埋もれた大鍋。
地に埋もれたドーム。
入り口のないドーム。
竜王の唸り声とされる異音。

これは何なのか。
未知のヤクート諸族の手による建築物だとしても、あまりにも不可解すぎた。

そして、1867年。
マーク教授は再度、ビリュイ川流域の調査探検に旅立ち、奇妙な構造物を見つけたポイントへと向かった。

だが、不思議な事にこの時は何も見つからなかった。
再訪した死の谷には、数年前に見つけた大鍋もドームもなく、ただ荒涼とした永久凍土が静かに広がっていた。
ただ、低い――異音だけを響かせて。

マーク教授はその後、2度とその『特異構造物群』に出会う事はなかったが、半世紀以上の時を経て、その調査報告を裏付ける『同じようなモノ』が目撃されている。その詳細を記した手記がサハ共和国の国立図書館に収められている。

砂金堀りだったミハイル・コレツキー(М.П.Корецкого 註:日本の書籍ではユーリ・ミハイロフスキと書かれているが、おそらく翻訳ミスとその孫引き。ミールヌイ在住の研究者ミハイロフスキーと混同したと思われる)による数回におよぶ目撃証言だ。

コレツキー親子は砂金を採取するため死の谷へ入っていた。
ただでさえ人の寄り付かないシベリアの奥地、さらに原住民ですら禁足地として近寄らない場所。これは、ほとんど命がけになる金採取旅行だった。だがもしかすると、手つかずの砂金が大量に存在するのではないか――コレツキーズはそう考えた。

最初は1933年、ミハイル・コレツキーが10歳だったころ父親と。
そして1939年。
そして最後は1949年。国立図書館所蔵の手記には、3度に及んだ死の谷トレイルでミハイル・コレツキーが目撃した『特異構造物』について言及されている。

死の谷に入って1週間ほどキャンプ生活をしていたコレツキー親子だったが、ある夜強烈な地鳴りによって目を覚ました。
テントから這い出して周囲を見回すと、森のあちこちに『銅鍋』のようなものが見えた。

明るくなると、さらに奇妙な構造物が出現しているのに気付く。
それは『光るキノコ』のような建物だった、前日まで何もない場所にそれはあった、と言う。

コレツキーズもマーク教授と同じくこの『特異構造物』の金属片を採取しようとハンマーで叩いたが、やはり傷一つつけることが出来なかった。

そうして、親子が死の谷から離れた頃、ちょうどその特異構造物があったあたりで『巨大な火の玉』が火柱のように天高く上がったという。

そして、目撃談はこれだけにとどまらず、『Загадки истории России(ロシア史のミステリー)』や雑誌『Юный техник(若き技術者)』に地元のハンターたちが体験した奇妙な出来事がいくつか掲載されている。

様々なスケッチ。ほとんどの場合、特異構造物の周辺の植生は異常な成長を見せていたという。 中央の天に昇る火の玉はが目撃した物。

様々なスケッチ。ほとんどの場合、特異構造物の周辺の植生は異常な成長を見せていたという。
中央の天に昇る火の玉はがミハイル・コレツキーが目撃した物とされている。
右上のイスラム風のドームはマーク教授が目撃した物で、とにかく、デカイ。よくみればドームの右下に小さな教授とトナカイが描かれている。かわいい。

人の寄りつかぬシベリアの奥地。伝説の息づく禁足地。
そこに、なにがあるのか。


シベリアは雹雨 あなた何処へやら

マーク教授の奇妙な体験から100年。人類は2度の大戦を経験し、歴史書は加速度的にページを増やした。

だが『死の谷』に関するページは決して多くない。

なにかがあるらしい、だがその『なにか』がなんなのかはわからない。

人類は1961年にロシア人によって宇宙飛行を達成した。
地球を外から見て、その青さを知ったにも関わらず、ヤクートの奥地の事がわからない。情けないったらない。

そんな思いがあったかは定かでないが、1986年、モスクワ大学のアレクサンドル・グテノフ教授が旧ソビエト連邦科学アカデミーの委託を受け、ビリュイ川の特異構造物に関する調査を行った。

以下は北周一郎氏による著作による情報になる。

グテノフ教授は調査開始から1年後にあたる1987年に第一次中間報告を出した。

それは、なんらかの古代遺跡が存在する可能性を示唆しながらも、岩盤によって発掘調査は困難であるというものだった。

さらに翌年に発表された第二次中間報告書では、ビリュイ地区を『特別保護区に指定し、一般人の立ち入りを厳重に禁止すべき』と意見を具申、さらに不可解なことに『エジプトのピラミッドを詳細に調査する必要性』を訴えた。

この報告以降、グテノフチームの調査は国家機密指定を受け、国民への情報は伏せられた。
そして、ソビエト連邦の崩潰とともに資料は散逸し、すべては闇に――。

ということだ。

すべては謎のまま――と言いたいところであるが、ソ連崩壊もなんのその、グテノフ教授の調査は続いていた。ロシアの学者はとにかくタフである。

グテノフ報告によれば、『特異構造物』つまり『大鍋』や『ドーム』は死の谷地区周辺15平方Kmの範囲において、21基確認された。

だが、資料を読み進めるとグテノフ・リポートはどんどん信じがたい方向へと向かってゆく。

・『大鍋』や『キノコ建造物』『ドーム』は岩盤をくり抜いて作られた穴に設置されており、普段は地下にあるが必要に応じて地上に露出する。

・この『穴』は少なくとも、100万年前に人工的に掘削されたものである。

・予断は禁物であるが『大鍋』などの建造年代は『穴』の掘削と同じく100万年前と推定。

・特異構造物を構成する赤色の金属は、不明な部分は多いが、少なくとも地球上には存在しない金属である。表面は三層のコーティングからなり、それが剛性、酸化防止、老朽化を防いでいる。

・地表を流れるエネルギーを別種のエネルギーに転化していることを確認。

・エネルギー変換はギザのピラミッドでも行われていた。ただ、三大ピラミッドは必要な部品が失われたため、機能を停止しているが、ヤクートのモノはまだ動作している。

・1年のうち4日間、すなわち春分、夏至、秋分、冬至にはエネルギーの方向性が変わるため機能を停止する。

これらの報告を読んで、諸兄は憤るのでしょうね。ここに書くのもはばかられるような下品な言葉で罵るのでしょうね。

たしかに、にわかには信じがたい話であるし、熟考しても信じがたい話である。100万年前……。

死の谷は聖地であり、なかなか詳細な調査はできなかった」とグデノフは言うが、変に細かく調査できてると思う。『地表を流れるエネルギーを別種のエネルギーに転化していることを確認』とあるが、どうやって確認したのか。

残念なのが、これほど詳細にレポートを出しているにも関わらず、『特異構造物』の写真の一枚もない。

そうして訝りながらこの『ヤクート死の谷奇譚』に関して、海外の資料を当たってみれば、結構な違いが見受けられる。

たとえば、アレキサンダー・グデノフなる人物は実際に死の谷を調査しているが、教授であること、機関の委託を受けたこと、などは一切書かれておらず、一般人の調査探検者である――とされている。(註:ちなみに、共に調査にあたったのが前述のユーリ・ミハイロフスキ。鍋調査40年のベテラン

国外の奇現象サイトではオカルト雑誌『Nexus Magazine vol.11, no.1』から4回に分けて連載されたヤクートの記事を参考に書かれたものが多く、そのNexusでは上記のようなグデノフの話はまったく触れられていない。

2000年

Nexus Magazine 2003/12-2004/1表紙。
この雑誌の中で『MYSTERIES OF SIBERIA’S “VALLEY OF DEATH”』と題してヤクートの一連の出来事が扱われている。
画像出典:nexusmagazine.com

このグデノフの話はかなり『盛られた』もの、あるいは捏造情報であると考えるべきだろう。なにがどうなってこういう情報になったのかわからないが、それはいい。

ちなみに、砂金取りのミハイル・コレツキー(М.П.Корецкого 註:日本の書籍ではユーリ・ミハイロフスキ。実にややこしい。もうどっちでもいい)に関して、日本の書籍では「ドームの中から黒い人が出てきた。びっくりして父と必死で逃げた」という異人遭遇譚まで書かれているが、これも他にソースを求めれば以下のようになる。
グデノフとミハイロフスキが「『死の谷の辺りにいる、黒い、鉄の服を着た単眼の痩せた人』の話を地元のハンターから聞いた

おそらく、この話が色々と拡大変形して遭遇譚にまで発展したのかも知れないが、オカクロとしては見なかったことにして触れない。
この際、グデノフ&ミハイロフスキ報告は忘れてしまおう。

もちろんグデノフ報告以外にソースは多く、実際に『死の谷には何かある』とみて調査や捜索が行われている。

実際にヤクート諸族の伝説には興味深いものがある。

死の谷の内部は人間でないモノが住んでおり、そこには竜王の口があり、竜王の唸り声も常に響き渡っている。
竜王の口は火の玉を吹き、その火柱は天を焦がす。そしてマナラに足を踏み入れた者たちは、竜王の怒りによって、その身を生きたまま腐らせる――と。

死の谷を実地調査したイワン・マッケールも言う。

古くから、この地に残る叙事詩を読むと、ニュルグンブートゥルとトンドゥーライという名の悪魔がかつて森には住んでいたこと。そして悪魔たちが壮大な戦いを繰り広げていたことが語られている。その戦いのさなかには地中から火の玉が打ち上げられていた。轟音が鳴り響いて森の木はなぎ倒されて岩も粉々になって、あたりは不毛の地と化したという。

全てが静まると、垂直にそびえ立つ構造物が出来ていたが、しばらくすると永久凍土に沈んでいった。死の谷の大地には不思議な物体が埋め込まれていると言われており、この物体は大昔から何世紀にもわたって作動していて地球に害を及ぼそうとやってくる飛行体を迎え撃つために火の玉を発射していたという。


こうなってくると、やはりリヒャルト・マーク教授が目撃した『大鍋やドーム』をそれらの火球伝説と繋げたくなるのが人情というもの。
短絡的に言うと「それらの特異構造物が火球を空に飛ばしたに違いない!」となる。

いつの時代に作られたモノか判らないロストテクノロジー的なモノ――と言われると、なんだかロマンをかき立てられる。

しかもそれが『火球を発射する旧世界の兵器』となると、もう何が何だかわからないままにガッツポーズだ。
しかも、まだ動作しているだなんて! 行こう! いますぐシベリア超特急に乗って!

と、テンションは上がるが、ここは冷静に様々な意見を確認してゆこう。

シベリア自体に神秘的な側面があるせいか、このヤクートの大鍋は様々な人々の様々な想像力を刺激した。

もちろん、諸兄の愛してやまない古代宇宙飛行士説の論者たちも例外ではない。
彼らは主張する。

この一連の特異構造物は、地対空迎撃システムである

地対空迎撃システム。必要に応じて地表にせり上がり、防衛する――。

このヤクートの鍋は『地球防衛システム』だったんだよ!

YakutiaDV007a雑な画像ではあるが、要旨とかっこよさは伝わったかと思う。

この『地球防衛システム説』はかなり人気のある説のようで、海外サイトでも男たちの熱い眼差しが向けられている。

ヴァレリー・ミハイロヴィッチ・ウヴァロフ博士が2003年2月上旬、アメリカ、ネバダ州ラフリンで開催された「第12回国際UFO会議コンベンション&映像フェスティバル」の席上で発表したのも影響しているのかも知れない。(このコンペが初出ではなく以前からウヴァロフはこの説を主張

月刊ムーの伝えるところによれば、ウヴァロフ博士はUFOマガジンの編集者グレアム・バザールにインタビューされたとき、次の三点を明言した。

調査に当たったロシア国家安全保障アカデミー(略称NSAR)はあくまでもれっきとした同国政府機関であること。
第2にウヴァロフの上には直属の上司が2人いるが、その上にはプーチン大統領しかいないこと。
第3に彼らの部署はUFOの実在を認め、それを前提として活動しているということ。

ウヴァロフ博士は言う。
ツングースカ大爆発も、この超古代地球防衛装置の作動により引き起こされた――と。

ツングースカ大爆発が一番有名ではあるが、ほかにも1984年2月26日のチュルイム川など、ロシアではたびたび火球の目撃が起こっている。最近で言えば2013年チェリャビンスク州の隕石落下が話題となった。
むりやりこじつければ、ディアトロフ峠周辺で目撃された光球【別項】もこの範疇に入るかも知れない。

これら、地表に壊滅的な破壊をもたらすであろうモノが周辺に飛来すると、ヤクートのシステムが起動し、撃墜するのだ! と。

地球防衛システム仮説はやはり、男のロマンをくすぐる案件であるせいか、この『大鍋』をさがして何度も調査隊が出向いている。調査目的とは言え、禁足地にドカドカ入り込んで良いのかわからないが、それはいい。

しかし、この繰り返される調査の甲斐もむなしく、残念ながらまだ鍋は発見されていない。

その事実に諸兄は憤るかも知れない。聞けば、オカクロの朗読をしてくれているニコ生主がおられるそうなので、今回は諸兄にも文学的に憤って欲しい。

諸兄は激怒した。必ず、かの蒙昧無知の商業主義を除かなければならぬと決意した。諸兄には日本映画がわからぬ。諸兄は、日本の会社員である。アニメを見て、いちいち作画監督をケナして暮して来た。けれども実写化に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明諸兄は村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此東京ビッグサイトにやって来た――

ヤクートと関係のない、あまりにも文学的な冗談はともかく、『鍋』の存在を信じる者は多く、ロシア人を中心に今日でも調査が続いている。
その情熱を支えるのは、『少なくない情報』だ。

ここで『鍋』が実在する信憑性を高める目撃証言と調査の歴史を簡単に振り返ってみよう。

1794年

最初の記録は『Походный журнал сержанта Якутской воинской команды Степана Попова』という行軍遠征記録に残っている。
1794年9月の記録で死の谷周辺の地理に触れており、「川の近くに不可解な建造物」があったとしている。これがおそらく最古の記録。

1853年~

前述のリヒャルト・マーク教授が現地住民から、地中に埋没しかけている不思議な物体の話と伝承を聞く。
そして実際に教授自身も大鍋を目撃。
一連の調査が終わった後、大鍋の記述を含む博物書『Вилюйский округ Якутской области (Vilyuysky District Yakut area) (1877–86)』を順次上梓した。

「ビリュイ川の支流沿いに大鍋のようなものがある。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん。

リヒャルト・マーク『Вилюйский округ Якутской области』
ビリュイ川流域およびヤクート地域の文化や植物、地形についての詳細な報告がまとめられている。
P37,38「ビリュイ川の支流、アルギュイ・ティミルニト(大きな鍋の沈む川)に大鍋のようなものがある。半分ほど埋もれており全貌は不明である。周囲の植物は異常な成長を見せている」うんぬん。

1933-1947年

砂金堀りコレツキー親子による三度にわたる目撃。
地元のガイドも一緒に目撃。火柱も上がった。

1936年ごろ


地元の老人ハンターと孫娘ジーナによる証言。「地元のハンターは昔は鍋に泊まったものさ」などとタフな事をいう。

1962-1963年

地質学者V.V.ポロシンが川北岸を探索すると、なんだか人が住んでいた。10人ほどの男女がおり、歓迎してくれた。
彼らが何者だったかは現在でも不明。脱走兵? 再調査が行われるも発見されず。

1970年

水力発電用貯水池の建設計画のために、ジョージ・コロディンをリーダーとするチームが編成され、一帯に分布する鉱物資源の調査が行われる。
無線技士がベースキャンプと通信しようとしたところ、付近から無線に干渉する電波が出ていた。位置の特定は出来なかったものの、妙な洞窟は見つける。中には部屋があったと報告。

1971年

前述のユーリ・ミハイロフスキ、およびアレキサンダー・グデノフによる調査が始まる。
このあたりから超古代文明説、UFO関係説、地底人説などがチラホラと囁かれ始める。というか、おそらくこの二人が囁いた。

1972年

死の谷、支流アラキト川上流で地質学者が死亡。

救難信号をキャッチして救援がヘリコプターで向かったところ、さびれたテントを発見する。2㎞ほど離れた地点で地質学者の遺体発見。暴力的な死の痕跡。靴を履かず、寝袋から逃げ出したように思えた。のちに『ディアトロフ峠事件【別項】■』との類似性が指摘される。が子細な調査は行われず。

1980年代~

有志によるいくつかの調査計画がもちあがるも頓挫。
噂が噂を呼び、夢が膨らむざわざわタイム。

死の谷について報じる新聞記事。

死の谷について報じる新聞記事。鍋やドームについて地元のハンターなどに取材している。特定は出来なかったが、掲載誌はおそらく『コムソモリスカヤ・プラウダ』(Комсомольская Правда)と思われる。ソ連の共産主義青年同盟中央機関紙として1925年に創刊。

1997年

前述のヴァレリー・ミハイロヴィッチ・ウヴァロフが『地球防衛システム説』を発表。一部のコアな紳士の熱い視線を浴びるも、科学界は歯牙にもかけず「B級フィクションよりしょぼい」と冷たい視線を向ける。シベリアでは珍説も凍る。

1999年

一部の新聞記事に取りあげられ、微妙な盛り上がりを見せたため、ジャーナリスト、ニコライ・バセゴヴァが死の谷を取材調査。
結局、2000年までネタを引っ張っぱり、一部のコアな紳士の中でおごそかな盛り上がりは見せたモノの――成果は上がらず。あきらめる。

2003年

レオニード・ラチェット率いる探検隊が死の谷に金属探知機を持ちこむ。頭良い。
2カ所の地中に大きな金属の反応を確認し、「すわ大鍋か」と発奮とするも、掘削機械は持ちこんでおらず発見には至らず。帰る。

2005年ごろ

探索の足がかりになっていた近くの村が放棄され、死の谷の秘境化が進む。「核実験のせいだ!」と研究家は憤る。

2006年

チェコの研究者。イワン・マッケールによる死の谷現地調査が行われる。
TV番組『古代の宇宙人』で調査探検の様子を見ることが出来る。

マッケールは言う。

これがただの伝説なのか、それとも実在するものかは全く判りませんでした。まずは何よりも大鍋の場所を見つけ出すことが先決でした。調査して、自分なりの見解を出したいと考えていたのです

YakutiaDVmap

マッケールたちはゴムボートで死の谷周辺まで向かい……。
空へ!

YakutiaDV011


死の谷周辺は、雪解けと共に凍土が泥濘化し、底なし沼のようになって歩行者の足を取る。
これもあって秘境と化していた一面もあるが、フワフワと空を行くパラモーターならば影響を受けない。これならば、短時間で広大な範囲をカバーできる。わくわくする。

かくして、マッケールたちが上空から探索を続けていると、やがて怪しい地形が発見された。

YakutiaDV012


なんだあれは!
露骨に怪しい!
鍋じゃないか! あれ、鍋じゃないか!
 
マッケールは地上班をつれて、早速現地へ急行した!

画像が増えてきたので次ページに続く。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載

コメント

プマプンク遺跡―失われたオーバーテクノロジー(南米チチカカ湖)

2018-08-11 20:30:10 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

奇妙な旧世界 >

PumapunkuEye000_min

驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク

神は積み木遊びをするか

pumapunku001b-min


南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。

16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。

ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
pumapunku002_min

高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。

ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ

まさに他の遺跡とは毛色が違った。

新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」

pumapunku003_min

プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。

そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。

地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。

では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。

アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。

様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。

1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。

あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない
pumapunku004_min


たしかに数学的であった。

石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。

プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。

ある論者は言う。

ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。

同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。

こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?

これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。

――約1万5千年前。

これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。

そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】
による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。

その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。

数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。

pumapunku0x5


pumapunku0x6


pumapunku0x7


pumapunku0x10


pumapunku0x8


pumapunku0x9


pumapunku0x11


pumapunku0x12


pumapunku0x13


とにかく、プマプンクは規格外だ。

ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。

そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。

誰もがそう思う。

そして一部の人はこんな風にも思う。

ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。

もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。

遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。

そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。

そう、古代宇宙飛行士説だ。

オーバー&ロストテクノロジー

ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。

プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。

そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

プマプンク地図

チチカカ湖の面積は琵琶湖の12倍。富士山の山頂より高い高地に位置しているが、熱帯に属しているため雪に閉ざされてはいない。クリックで拡大。



ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。

混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。pumapunku0014


ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。

たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。

比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。

アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。

だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。

この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。

もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。

原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。

そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。

実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。

プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。

木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。

最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。

運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。

遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。

あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。

そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。

ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

Tsoukalos_mini

古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人


「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」

もうね、好き。

やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。

彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。

このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。

興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。

遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。

世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。

ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。

pumapunku0015a

創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。


このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。

宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。

せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。

実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。

なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!

もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。

大洪水。

もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?

なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。

プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。

そして現代へ。

一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。

だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。

古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。

世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。

では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。

オカルト・クロニクル:http://okakuro.org/puma-punku/ より転載

コメント

日本列島は、”約束の地カナン”であり、”約束の場所”です。

2018-08-11 20:25:10 | 超古代・アトランティス・ムー・アイヌ・縄文・世界の先住民

シシの部屋~水瓶座時代の在り方~ より転載

約束の場所(永久保存版)

November 26 [Mon], 2012, 13:30
今日は、仕事の合間にしんみりとした壮大な事を書きます。
月に1度位は書きたく成る内容。
多分、大作です(笑)。

日本列島は、”約束の地カナン”であり、”約束の場所”です。

これはあらゆる歴史上の事実ですが、ほとんど一般には知られてません。
先史時代の話から話を戻して、書いて行きます。
時間軸を数百万年は戻しますね。

いまを去る600万年ほど前。
世界には3つの巨大な文明が勃興しました。

大西洋にはアトランティス大陸。
プラトンがその著作に記した伝説の文明。
エジプト西洋文明の源泉。

インド洋にはレムリア大陸。
仏教やチベット文明の源泉。

太平洋にはムー大陸。
日本人、日本文化の源泉。

この3つの文明はそれぞれ異なる星団星系が関与しています。

アトランティスはアンドロメダ系文明が奥にあり
レムリアはプレアデス星団が奥にあり
ムーはシリウス系が奥にあります。

この3つの世界ではそれぞれ異なった文明が発達してました。

アンドロメダ系は科学文明が。
レムリア系は呪術や密教のベースが。
ムー系はヒーリングや原始的な祈りが。

得意な要素がそれぞれ異なるので相互にかつて文明は作用し合います。

アトランティスが核エネルギーで自爆した時に
王族や神官、科学者の一団はエジプトに宇宙船で避難して”エジプト王国”を建国。

ムー大陸は”自然破壊”が進み、100メートルの大津波が最後にやってきて
神殿ごと海中に沈んでしまいました。
最後の方のムー大陸は”禿げ山大陸”の如くになっていて、それは無惨でした。
ムーの王族は、レムリアルートで地底王国テロスに避難。
王族の一部、神官は宇宙船に乗ってムー語で”高い山”を意味する”ヤマト”に避難します。
そう、このムー大陸の端に位置した沈み残りの場所、それが”日本列島”なんです。
沖縄の海底遺跡は、それを証明してますね。

レムリアは、最後まで沈みませんでしたが、生き残りのアトランティスとムーの人々を
かくまって、地底に続くルートを使わせました。
ですので、地底王国シャンバラには12の王国が存在しますが末裔は今でも生きています。
レムリア大陸も最後は沈んで王族や貴族以外の方々は、インド大陸に宇宙船で避難。
それが高度なインダス文明の元になります。

今回は、”ムー大陸”に焦点をあてます。
日本語で書いてますので、それが使命かと。

ムー最後の王家族は地底に亡命したのですが、
先代の王様と一族は天之鳥船でヤマトの聖地に避難。
場所的に言いますと、岐阜県の位山の近辺です。
ですので、ムー王のお墓が今でも存在します。
神社的に言いますと、岐阜一宮の”水無神社”ですね。
ひな人形、流しびなの発祥の地です。

ムーや三大文明はおよそ11000年前に滅亡しました。
創造主はそこから”一大プロジェクト”を開始します。

”ムーの末裔と古代日本人を完成された地球文明のひもろぎにするプロジェクト”

この計画は現代まで無言の内に我々日本人の遺伝子にコードとして書かれていて。
きちんと引き継がれています。ほとんど認識されてないので認識上に上げる事にします。

陸路で歩いて、古代日本人(ムー人)を大陸移動させます。
数千年かけて。
途中の道筋で、様々な文明を吸収させながらの民族大移動。
世界最初の民族大移動です。

ムー時代、今の中国はムーの”植民地”でした。(15万年前~11000年前)
ですが、独自の文化体系を持っていたのでそこでも文明を一団は吸収します。

チベットやインドにおいても独自な”レムリア文明”を吸収。
インド文化圏は密教や、呪術、現実的なエネルギーの運用に関しては
ずば抜けていたので、その文明も吸収します。

そして、中東近辺まで移動して、サウジアラビア半島に定着します。

そう、それが”ユダヤ人”です。
世界をさすらう、流浪の民。”究極のジプシー”。
元々、”古代日本人”なのです。
ただ、途中で交配を繰り返して混血してますから見た目良くわからないだけ。
沢山の遺伝子コードが混血してますから”超優秀”な民族に変異していたのは事実。

3850年前、ユダヤ族(当時はシュメールの民と呼ばれてました)の長である
”アブラハム”という名の若者に、神が降りました。
神は、アブラハムにこう、約束をします。

”汝に乳が流れ、蜜が溢れる土地を授けよう。約束の地カナンである。”

神はアブラハムに沢山の試練を授けます。
最後の試練は、山に息子のイサクを連れて行き、神の人質にする儀式でした。
息子のイサクには何も告げず山に連れて行き、目隠しをして縛り上げて
まさに刃物で刺して生け贄にしようとした瞬間、神の声が響きます。

”もういい。息子は殺してはならない。汝の私(神)に対する忠誠心を試したのである。”

約束の地、カナンにシュメールの民を導くのにアブラハムが長として相応しいか?
魂を試したのです。

シュメール人の長であったアブラハムは、ソドムとゴモラを滅ぼした”インドラの矢”の
逸話において、甥のロトを救出、いよいよ神の試練も完成を迎えます。
(余談ですが、ロトはソマリア人とアンモン人の祖先です)

神は、こういいます。

”お前の孫の代に約束の地を与えよう”

アブラハムの息子イサクは、妻リベカとの間にヤコブとエソウをもうけます。
ヤコブは、ある日、山で神と戦います。
”決闘”ですね。

神は、ヤコブに負けてしまいます。
そして言いました。

”お前は我(エル)に勝利(イスラ)したのだ。故に今後は”イスラエル”と名乗る様に”

ヤコブはカナンの地主神”エル”に勝利してその地にシューメルの民を入植。
新たなシュメールの民が移り住んだ地は”イスラエル”と呼ばれる様になります。
このイスラエルが”聖書の上では約束の地カナン”と呼ばれています。

ヤコブにはあまりにも沢山の息子と娘がいました。
息子だけでも12人。

特に、一番下の”ヨセフ”に対する溺愛は酷いくらいで。
そして他の兄弟から酷い嫉妬を受けて、なんとエジプトに密かに奴隷として
売られてしまうのです(ここら辺りがサディスティックかな)。

ヨセフには不思議な力があり、当時のエジプト国王は噂を聞いて宮殿に呼び出します。

”お前にはどんな力があるのだ?”国王はヨセフに聞きます。

ヨセフ曰く、”私は夢で未来を予知出来ます”。

”おお、ではこの国の未来を見てはくれないか?”

ヨセフの返答は
”大飢饉が来ますので、急いで食料を確保して下さい。国中の民が今から準備すれば
乗り切れます!どうか、私を信じて下さい!!”

国王は、素直にヨセフを信じ、食料の大量備蓄を始めます。
今から3750年ほど前のエジプト。アブラハムの時代からは100年ほど経過しています。

そして預言通り、大飢饉が来ます。ですが準備していたので誰も餓死する事無く
エジプト王国は無事に危機を乗り越えます。
その後、もう一度大飢饉の危機を乗り越えたヨセフは国王の絶対的な信頼を得て
王様の娘と結婚。エフライムとマナセという男の子2人を授かります。
そしてついに、王族の身分を得たヨセフは父親のヤコブ、追放した兄弟、イスラエルの民を
エジプトに招き、国王の許しを得てエジプトに住まわせてもらう事になります。

なぜなら、イスラエルは土地が痩せていて将来的に不安定な要素が多く
エジプトの圧倒的な豊かさの方が、魅力的だったのでしょう。
随所から、それは感じ取る事が出来ます。
”とても約束の地とは思えない”とヨセフは感じていたのが伺えるからです。

それから400年の間、ユダヤの民は長い長い”エジプト時代”を迎えます。
ヨセフとその息子達の時代までは王族待遇でしたが、時代を減る毎にユダヤ人は
奴隷扱いを受ける様に格下げされていきます。

その間にも、幾何学、天文学、数学、医学、科学などの高度な”アトランティスの置き土産”を
ユダヤ人達は苦心して学び続け、民族的レベルをアップさせて行くのです。
ここにも、創造主の”計らい”を感じずには居られません。

そして、3350年前、ある一人の若者の出現によりユダヤ人はエジプトを脱出します。
有名な旧約聖書の”出エジプト記”ですね。

その若者の名は”モーセ”と言います。

ユダヤ人の子供を皆殺しにするおふれが出た時に、ナイル川に流されたある赤ちゃんがいました。
水浴びをしていた王妃が、こっそり連れて帰り、自分の子供として育てます。
それがモーセだったんですね。

父親である王の命令に背き、兄にも背いて、ユダヤの奴隷を引き連れて立ち上がります。

神がある日、モーセに降りて、”啓示”を与え、力も与えました。
それから彼はとてつもない超能力を発揮して、
ユダヤ人に圧力をかけるエジプト政権に戒めを降ろし続けます。
この辺りの話が、のちにシナイ山での”十戒”に繋がるのでしょうか。

モーセは虹海をまっぷたつに割った伝説が残されてますが、
つい最近、海水につかり溺死した3300年前のミイラが沢山発見されて
当時の逸話がどうも本当ではないか?と言われ始めています。

エジプト軍の追撃をかわした40万人に及ぶユダヤの民は
40年の間!砂漠を放浪し続けます。
その数は10万人ほどにまで最後は減っていました。

モーセが杖をふるとマナ(種無しパン)が天から降って来て。
岩を杖でつつくと、水が出て来たそうです。
餓死者は出さなくとも、過酷な環境ですから、自然にどんどん早死にされて行くんですね。

モーセはシナイ山で有名な”十戒石板”を手に入れます。

一度だけ、神を信じない事が、モーセにはありました。
だからこそ、神はモーセを”カナンには入れない”とおっしゃられて。
カナンに辿り着く前に、モーセは亡くなられたと聖書にはあります。
カナン(イスラエル)には、後継者のヨシュアと10万の民が入植しました。
ようやく、”ユダヤの本国イスラエル”に帰還出来たのです。

そして、ダビデ、ソロモン、南北ユダヤの分裂、バビロニア捕囚時代、イエスの到来と
ユダヤの伝説は続きます。

旧約聖書では、”北ユダヤ王国の民は8世紀の滅亡時に消えてしまった。”と思われる
記述があります。ユダヤ王国は、”北イスラエル王国”に十の部族が。
”南ユダ王国”に二部族が。合計で十二の部族がおりました。
先述したヤコブの息子10人がそれぞれの部族の長になり。何故かヨセフの息子、
エフライムとマナセも二部族として繋がり、合計で十二人、十二部族。

この十部族ははるばる旅をして、”本当の帰還”を果たして居ます。
南ユダ王国の、残りの二部族も”預言者”に関しては、”本当の帰還”をしています。
歴代の旧約時代のユダヤの王や、預言者の多くは”本当の帰還”をしているのです。
アブラハム、イサク、エソウ、ヤコブ、ヨセフ、マナセ、エフライム、ダビデ、ソロモン、
サムエル、シバの女王(エチオピアの女王)、モーセ、ヨシュア、ヨエル、エリア、エリシャ、
ホセア、エキヤ、エレミア、ハバクク、ヨナ、出したら止まらないほど、沢山出て来ます(笑)。

ここで、最初の方に書きました。

”汝に乳が流れ、蜜が溢れる土地を授けよう。約束の地カナンである。”

この一節に戻ります。
イスラエルは、結果的に”約束の地”では無かったのではないか?
結果的に、そう導き出しました。

旅をして十部族が、預言者が、王が、最後に到達したかったのは
”本当の約束の地”なんですね。
それが、この”日本国”です。

元々、カナン人の先祖は”日本人”ですから、当然と言えば当然なのか。

ソロモンの秘宝が剣山にあるというのもGHQが血眼で探したのが事実ですし、
阿蘇の語源は”吾(あ)”が”祖先”であり、ユダヤ人が先祖を祭祀した遺跡が阿蘇の源流です。
京都府のある議員さんがサイトで十部族の族長の墓所の一つが京都にある旨を以前書かれていて
ぶったまげたのですが、日本各地に、十二部族の族長のお墓が存在します。
全部といっていいほど、神社になってますが。。。

あらゆる世界の文明の要素を流浪する事で吸収させて、最後は元に戻して融合。
縦糸(原初宇宙)と横糸(地球文化)の完全な融合を果たしたんです。
それがこの日本列島には詰まってます。

各地の神社は、ユダヤの文化そのままです。
鳥居、注連縄、賽銭箱、拝礼の方法。
各地域の方言も、ユダヤの言葉が結構食い込んでます。
伊勢地方なんかはとてつもなくユダヤ弁に近いですし(笑)。

宇宙情報では、陸路で4割、海路で6割。
アブラハムの時代からのトータルで40万人、ユダヤが日本に”帰還”しているそうです。

”ムーの末裔と古代日本人を完成された地球文明のひもろぎにするプロジェクト”

この創造主の計画は、現代において完全に成就しようとしています。
そう、それがアセンションと言われている今、2012年です。

”完全な完成と完全な崩壊はセットで来る”と、インスピレーションでは受けているんですが
まさに、これが現代の特徴そのもの、今の時代を現している気がします。

これだけの文化性、奥深さを日本文化が持っているのは
世界中の文化のエッセンスが詰まっているから。
宇宙の一番深い所に繋がってますから、インスピレーションも深い訳です。

均一に見えて、各地域毎に全く違う文化性、オリジナリティが国内でもありますから
それは各部族の特色とも重なっているんでしょうね。
ちなみに、なぜか、エジプト人や、ギリシャ人、中国、韓国系の人も古代に来日してますし
さらに奥深さがある要因になっております。

私が日本人なのにいつも外人に間違われるのは、完全にユダヤ系の人相だからだそうで(笑)。

今年から始まる新しい時代、楽しみで仕方ありません。



ひさ
コメント