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●自公お維コミ国会議員や地方議員がまずはマイナカードを取得して見せては? …琉球新報【<社説>マイナカード返納 保険証廃止を撤回せよ】

2023年07月27日 00時00分54秒 | Weblog

[↑ 「マイナンバーカードなくても大丈夫 返納のすすめ 明石昇二郎」(週刊金曜日 2023年7月14日 1432号)]


// (2023年07月10日[月])
自公お維コミ議員がまずはマイナカードを取得して見せてほしいもの。
 琉球新報の【<社説>マイナカード返納 保険証廃止を撤回せよ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1742163.html)によると、《県内で4~6月にかけて107件のマイナンバーカード自主返納があったことが分かった。個人情報漏えいへの懸念が主な理由だ。マイナンバー制度は破綻しつつあり、信用を失っている》。

 マイナポイントで〝釣り〟、従来の保険証を廃止して、マイナンバーカードを強制する…。
 常々疑問に思っていたのですが、当然、自公お維コミの議員の皆さんはマイナンバーカードをお持ちなんですよね? かなりの数のはずですが、何の不具合も無いのかね? 自公お維コミの議員の皆さんのマイナカードに限って、一切不具合無し? まさか、そもそもお持ちではない? (← どうもこの予想は当たっていたようだ。) 《まずは政治家の政治資金の出入りを、政治家が大好きなマイナンバーカードにひもづけて透明性を高めたらいかがか》(政界地獄耳)。当然、時期が来れば、直ぐにマイナカードを銀行口座と紐づけするんですよね? 日本中の全ての自公お維コミの議員の皆さんや支持者の皆さんがマイナカードを取得され、銀行口座・運転免許証・保険証等々との紐づけをされたことが確認できたらば、ブログ主も、まぁ、カードの取得を考えても良いですよ。

   『●岸田文雄首相も河野太郎大臣も、錯乱していないか? 《マイナンバー
       カードに一本化》したりせず、《現行の健康保険証》のままで良い
   『●ズブズブ壺壺ヅボヅボでない自民党議員はほぼ居ないようだが、《「政治
        とカネ」の疑惑を抱える》議員も多数で、キシダメ首相自身も…
    【政界地獄耳/いまこそマイナカードの出番!?「政治とカネ」で問われる
     自民党の政権担当能力】…によると、《★次の更迭候補は
     「政治とカネ」の疑惑を抱える復興相・秋葉賢也といわれるが、
     ここにきて週刊文春が昨年の衆院選の選挙運動費用収支報告書に
     白紙の領収書94枚が添付されていると指摘。首相自身にも
     公職選挙法違反の疑いがもたれた

   『●(東京新聞)《学業や研究とは関係のないマイナカードの使用状況で、教育
     施設に与えるカネの多寡を決めるというのだ。道理が通る手法だろうか》
   『●「監視社会ならん!市民ネット沖縄」《…国民に不安と不信をもたらす
     マイナンバーの制度そのものを根本的に見直し廃止することを求めます》
   『●《政府の対応が批判されると、河野は「日本だけデジタル化に背を向ける
     ことはできない」と意味不明なことを言い出した。フルスロットルの…》
   『●自公お維コミの皆さん、《まずは政治家の政治資金の出入りを、政治家が
      大好きなマイナンバーカードにひもづけて透明性を高めたらいかがか》

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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1742163.html

<社説>マイナカード返納 保険証廃止を撤回せよ
2023年7月7日 05:00

 県内で4~6月にかけて107件のマイナンバーカード自主返納があったことが分かった。個人情報漏えいへの懸念が主な理由だ。マイナンバー制度は破綻しつつあり、信用を失っている。


 ミスも発覚した。久米島町でマイナカードの顔写真の取り違えがあった。保険証を一体化した「マイナ保険証」としても使用されるマイナカードが他人の情報と誤ってひも付けられれば、最悪の場合、医療事故などの問題も発生しかねない。

 政府は一連のトラブルについて国民に謝罪したが、来年秋のマイナカードとの一体化による保険証廃止の方針を崩していない。現実を直視し、方針を撤回すべきだ。

 政府は5日の衆院特別委員会の閉会中審査で、マイナンバーの総点検を進め、国民の不安を払拭すると強調した。しかし、証明書誤交付の再発など新たな問題も判明しており、点検を担う自治体からは「夏休み返上だ」と作業の膨大さを訴える声も出ている。

 マイナカードを自主返納する動きが全国で相次いでいるが、河野太郎デジタル相は閉会中審査で「自主返納することで、ひも付け誤り(誤登録)が解決するわけではない」と答弁した。開き直りではないか。国民の不安と膨大な業務に追われる自治体職員の苦悩と向き合うべきだ。

 新たな技術を導入する場合、初期の不具合はあり得るが、マイナカードは不具合の域を超えている。健康保険組合などが被保険者の健康保険証とマイナンバーをひも付ける際、同姓同名などの他人のマイナンバーを誤入力するなどの誤登録が2021年10月~22年11月末で約7300件にも上っている。根本的なシステム上の欠陥が疑われる。

 しかも、1年以上前からミスが多発しているのに、政府が公表したのは今年5月であった。ミスを隠したままテレビCMやポイント付与など普及策を講じた。不誠実な対応だと言わざるを得ない。

 機器の不具合で患者に医療費を全額負担させたり、マイナ保険証を持たない患者を「無保険」として医療機関側が診療報酬を受け取れなかったりする問題も指摘される。

 厚生労働省は保険加入が不明でも医療機関が適正な医療費を受け取れるような対策を実施する方針を示した。しかし、制度は複雑化し、国民の理解から一層遠のいた

 保険証廃止方針に対し、日本医師会は「既存の保険証や資格確認書の有効期限の延長も必要だ」と指摘し、政府の対応を求めた。当然の要求だ。そもそもマイナカードの取得は任意である。マイナ保険証を持たないからといって、被保険者が医療を受けられない事態に陥るのはおかしい。

 政府は制度の欠陥を認め、弾力的対応を図るべきだ。名称変更など小手先の打開策を打ち出すのではなく、制度の必要性と国民が被る不利益について真摯(しんし)に議論すべきだ。
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●<金口木舌>《沖縄の民意は戦場になることを拒んだ。日本政府が「数の暴力」でつぶそうとしても、沖縄から平和を求める声がやむことはない》

2022年07月28日 00時00分37秒 | Weblog

[↑ 命どぅ宝沖縄を再び戦場にするな! (2022年05月15日、朝日新聞)]


(2022年07月18日[日])
琉球新報のコラム【<金口木舌>平和の声はやまない】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1548678.html)。
日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/改憲最優先? おかしな話 国民は物価高や経済政策に期待】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202207140000135.html)。

 《▼内間さんは沖縄を捨て石にして戦争に突き進んだ国のリーダーらへの怒りを吐露した。繰り返したのは「怖いのは辺野古」という言葉。「基地あるゆえに戦争が来る。子どもたちをこんな目に遭わせたくない」と話した》。
 《またいずれの4党とも物価高や経済政策を訴え、国民はそこに期待したのではなかったか…投票に際して憲法改正を最も重視したとの回答は5・6%。改憲の是非を問う選挙だったとは到底言えない。国民は憲法改正を優先順位の上位には上げていない》。

 《物価高や経済政策》に期待? 結果として、壊憲して《戦争ができる国への道づくり》…それを直接的に支持する「1/4」と、選挙に行かないことで間接的に支持する「2/4」。
 《投票に際して憲法改正を最も重視したとの回答は5・6%改憲の是非を問う選挙だったとは到底言えない国民は憲法改正を優先順位の上位には上げていない》…確かにそうなんだけど、自公お維コミにはそんなことはどうでもいいこと。好き勝手にやるに決まっているのであり、あとの祭り。

 軍事費倍増約5兆円の血税、そのために何が削られるのか? 斎藤貴男さんは、火事場ドロボー1号どもが《台湾危機をあおりまくる岸田政権は軍拡と日米同盟の深化に躍起である。自民党が求める軍事費の倍増には莫大な財源が必要で、まず赤字国債の乱発、社会保障のさらなる削減、消費税のより一層の大増税──と相成るシナリオの存在が確実だ。…甘言に乗った自称投資家たちの中には、株価の起爆剤としての戦争に期待する人も現れてくるのだろう。それもまた政権の狙いだろうが、まあ、やめておいたほうがいい。まともな人間にとって、戦争とは破滅以外の何物でもないから。》…と。
 そして、小池晃さんも、《安倍晋三元首相は、国債発行と言っている。戦前の日本は戦時国債で歯止めなき軍拡に突き進んだこの教訓を踏まえ、財政法は建設国債を除く国債発行を原則禁止しているその歯止めを完全に外し、軍事費を捻出するために国債を発行するのは、戦前への先祖返りにほかならない》と。さらに、《この間の自民党や政府の安全保障に関する議論は軍事一色で、外交が欠落している。政治が果たすべき最大の責任は、戦争を未然に防ぐ徹底した外交努力だ》。

   『●「君はドアホノミクスを信奉するのか」、キシダメ君? 軍事費倍増
     =《赤字国債の乱発、社会保障のさらなる削減、消費税の大増税…》
   『●軍事費倍増5兆円のために何を削るつもりか? 《赤字国債の乱発、
     社会保障のさらなる削減、消費税の大増税…》…市民生活は劣化の一途
   『●あとの祭り…《故人の過大評価、美化・神格化…「安倍元首相の
     悲願は憲法改正」「憲法改正が安倍元首相の夢だった」》の垂れ流し…
   『●小池晃さん、軍事費が《現在の2倍の11兆円を超える規模となる。
     防衛省の予算額が事実上、中央省庁で2番目なんて軍事国家そのものだ》
   『●《消費税5%はほぼ10兆円…。同様の論理で『防衛費を5兆円
     上げると年金を1.5割カットしなければならなくなる』という話も成立》
   『●《彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争が
     できる国への道づくりだった》…それを支持する「1/4」と「2/4」

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1548678.html

<金口木舌>平和の声はやまない
2022年7月13日 05:00

 激しく競り合う選挙で辺野古新基地建設阻止などを掲げた無所属現職の伊波洋一氏が、国とのパイプで経済振興などを訴えた自民新人の古謝玄太氏を僅差で制した

▼伊波氏は「沖縄は日米政府の駒ではない沖縄を戦争に巻き込ませない」と述べた。筆者の脳裏に浮かんでいたのは、久米島町の戦争体験者、内間好子さん(92)の言葉だ

久米島では、米軍の捕虜となった島出身者が住民に投降を説得し助けたが、島の日本軍は米軍と接した住民を次々に殺害した。内間さんも恐怖におびえた

▼内間さんは沖縄を捨て石にして戦争に突き進んだ国のリーダーらへの怒りを吐露した。繰り返したのは「怖いのは辺野古」という言葉。「基地あるゆえに戦争が来る。子どもたちをこんな目に遭わせたくない」と話した

▼今参院選では防衛費増額や改憲を掲げる自民党が大勝し、憲法改正に必要な3分の2以上の議席を維持した。沖縄の民意は戦場になることを拒んだ日本政府が「数の暴力」でつぶそうとしても、沖縄から平和を求める声がやむことはない
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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202207140000135.html

コラム
政界地獄耳
2022年7月14日8時52分
改憲最優先? おかしな話 国民は物価高や経済政策に期待

★相変わらずおかしな話だ。改憲勢力は自公両党と維新、国民の4党に改憲に前向きな無所属を含むが、今回の参院選挙で82議席以上を得て、非改選を合わせて170超の議席を確保した。自民党を含む改憲政党で参院の3分の2を持ったこと。これで改憲発議が可能というわけだ。だが選挙で改憲を言い続けた政党はなく、保守系政党は改憲賛成というだけで、どの部分をいじるかなど統一性があるわけではない

★まず公明党はいつから改憲勢力の一角に収まったのか。議論も進んでいないのに公明党はそれでいいのか。またいずれの4党とも物価高や経済政策を訴え、国民はそこに期待したのではなかったか。投開票から一夜明けた11日、首相・岸田文雄は「臨時国会を本格的に開催することになったならば(改憲)議論をしっかり引き続き盛り上げたい」「3分の2の(賛成の)結集をしっかり図りたい」と前向きに語っている

首相は「安倍元総理の思いを受け継ぎ、特に情熱を傾けていた拉致問題、憲法改正など、自身の手で果たすことができなかった難題に取り組むとまで言うが、選挙結果とは関係がない。そもそもテレビ各社の開票特番もオープニングで改憲勢力3分の2を確保ということ自体がおかしい。安倍政権の時にも衆参いずれも3分の2を改憲勢力が持ったことがあるが、改憲発議はできなかった岸田の仕事は安倍が9年かけてできなかったことを引き継ぐことが最優先なのだろうか。選挙後に行われた共同通信の世論調査によると、投票に際して憲法改正を最も重視したとの回答は5・6%改憲の是非を問う選挙だったとは到底言えない国民は憲法改正を優先順位の上位には上げていない。(K)※敬称略
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●《中国の海洋進出への対抗策というが、住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるの》か?

2019年05月26日 00時00分47秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



東京新聞の社説【陸自離島配備 住民の理解なしでは】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019050602000186.html)。
沖縄タイムスの吉田央記者によるコラム【[大弦小弦]負担を沖縄に封じ込める構図は、脈々と続いている】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/417117)。
東京新聞の社説【沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019051302000145.html)。

 《南西諸島への陸上自衛隊配備を巡り、防衛省による不誠実な住民対応が目立つ。配備は中国の海洋進出への対抗策というが、住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるのだろうか。防衛省への住民の不信が噴出しているのが、沖縄県宮古島市だ》。
 《米国務省の元幹部が、1993年に在沖米海兵隊の本土移転を望んだが、日本政府がまったく耳を傾けなかったと本紙に証言…▼当時は社会党も参加した8党連立政権。今の自公政権、「最低でも県外」を掲げた民主党政権を含め、歴代政権がことごとく沖縄駐留に固執する。なぜか ▼…。最も核心的だと思った説明は「要するに、沖縄にいま海兵隊がいるからだ」》。
 《沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法のにある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ…憲法九条の碑。「日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…」。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている》。

   『●辺野古破壊という大愚を続行…民意無視、
     《地方自治や民主主義、県民の尊厳をどう考えるか…自身の見解を》
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…
      「国を相手にケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
          宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●虚偽説明…《宮古島では、島民の基地負担は
      ますます重くなっている。政府がやってるのはいじめそのもの》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て
                 宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●「沖縄は米国の植民地ではない。私たち沖縄県民は、
        米国民との友好は望むが、服従は望んでいない」――。
   『●《支持者と反対者が排他的に対立》…
     排他的に対立させているのは、与党自公や癒党お維の側ではないのか?
   『●辺野古破壊《移設方針は揺るがないとの政府の姿勢》…
        アベ様や最低の官房長官らの無為無策・無能ぶりの表れ

 地域を分断し、「標的の島」となることを押し付ける。
 辺野古破壊と壊憲…アベ様という独裁者が種々のクダラナイ理由を持ち出して壊憲を叫ぶ今ごろになって、《保守系の翁長雄志那覇市長》のこの言葉の意味を痛感させられる…「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」……『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経』。

 《漁師達が知らずに漁をしていた》…無茶苦茶である。沖縄では、《こんな風に、住民はあっけなく危険にさらされるのか》。 
 沖縄タイムスの記事【米空軍、被ばく恐れ沖縄の離島未調査 1995~96年鳥島での劣化ウラン弾誤射 2010年9月まで実施せず】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/417133)によると、《1995~96年に米軍機が鳥島射爆撃場(沖縄県久米島町)で劣化ウラン含有弾を誤射した事故の後、米空軍が兵士の被ばく懸念から少なくとも2010年9月まで鳥島での動植物の生息状況や水質などを調べる通常の環境調査を実施していなかったことが分かった》。
 《劣化ウラン含有弾を誤射》《兵士の被ばく懸念》…沖縄の市民の命は?

 東京新聞の記事【筆洗】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019050802000146.html)によると、《小林一茶の<痩蛙(やせがえる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)>…▼そのカエルの両生類は40%超が絶滅の危機にあるらしい。国連の科学者組織が六日に公表したショッキングな報告書である。これによると世界で百万種の動植物が絶滅の危機にひんしており、その速度は過去一千万年の平均と比較し数十倍から数百倍に上るそうだ▼百万種類の動植物を絶滅に追いやろうとする犯人はだれかといえば、もちろん、人間である。人間の活動が森を消し、陸地を変え、海に影響を与えた結果である。世界の陸地の75%が人間によって、改変された》…。
 《生物多様性の生きた教科書》や美ら海を破壊する愚かな国である。

 そして、森や海に加えて、《次代に残すのは「不戦」》でしょうに、この国は…。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
    「「対馬丸」…《あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ》、と。
     そして、沖縄県7ヵ所目、大宜味村内での「九条の碑」早期建立を
     呼び掛けておられます。《「戦争の前にまず教育がおかしくなる」と指摘し、
     教育の戦前回帰」を懸念する》、本当にそうです。ハタやウタを子供たちに
     強制し、教師の内心をかき乱す…。洗脳するが如く、幼児や幼子に
     「教育勅語」を暗唱させる…。
      壊憲「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」といった
     こを許していいのか? その先にある、緊急事態条項創設をも。
     《沖縄は全国の半数を占める。住民を巻き込んだ地上戦を経験し、
     平和憲法への思いは強い。「未来ある子孫への贈り物」。大宜味村の碑は、
     そう刻む予定だ。次代に残すのは「不戦。メッセージは明確だ》。
     《不戦を誇る国であれ》と願う」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019050602000186.html

【社説】
陸自離島配備 住民の理解なしでは
2019年5月6日

 南西諸島への陸上自衛隊配備を巡り、防衛省による不誠実な住民対応が目立つ。配備は中国の海洋進出への対抗策というが、住民の安心をないがしろにして、地域の平和を守るといえるのだろうか

 防衛省への住民の不信が噴出しているのが、沖縄県宮古島市だ。

 三月下旬、陸自駐屯地が開設され約三百八十人の警備隊が発足した。ところがないはずの弾薬庫が敷地内に造られ多目的誘導弾(ミサイル)迫撃砲が搬入されていたことが判明した。弾薬保管なしを条件に、反対から容認に転じた周辺住民にとっては「だまし討ち」だろう。

 四月、隊旗授与式に訪れた岩屋毅防衛相は「説明不十分だった」と謝罪。陸自は誘導弾などを島外に搬出した。駐屯地には来年以降ミサイル部隊も加わる。同部隊のミサイルなども含め、島内の別の地区に造る弾薬庫が完成次第集約する計画だが、その現地でも地区が弾薬庫整備に反対している。

 防衛省は住民軽視を猛省し抜本的に対応を見直さねばならない。

 沖縄県石垣市では、島の中央部に地対艦・地対空誘導弾部隊など五百~六百人の駐屯地を設けるための用地造成が三月に始まった。

 地元四地区が、軍事標的化や希少動植物の生態系への影響を懸念し反対する中での着工だ。住民側は、四月以降なら義務付けられる環境影響評価避けるため着工を急いだのではとも指摘している。

 事実上容認の姿勢だった中山義隆市長は三選後の昨年七月、受け入れを正式表明した。しかし、反発する住民は民意は定かではないとし、有権者の四割の署名を集めて住民投票を請求。投票実施のための条例案は今年二月の市議会で賛否同数の末、議長裁決で否決されるも、際どい結果に論争は収まらない。市側はもう一度慎重に住民の意思を見極める必要がある。

 政府は二〇一三年の防衛大綱で南西地域の防衛体制強化を打ち出し、沖縄本島のみの配備だった陸自を他の沖縄三島と鹿児島県奄美大島へ展開する方針を決めた。ただ、離島を結ぶ軍事拠点化が地域の安全保障に役立つのか

 沖縄では中国人観光客の増加が著しい。政治的にも日中関係は改善の兆しが見える。そんな一帯の融和感に水を差すことにならないか。冷戦終結で北方対処の任を終えた陸自が、組織維持のため南西地域に役割を求めたとも読める状況である。何より、狭い島内での自衛隊活動は住民の理解抜きに成り立たないと心得るべきだ。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/417117

[大弦小弦]負担を沖縄に封じ込める構図は、脈々と続いている
2019年5月8日 07:21

 負担を沖縄に封じ込める構図は、脈々と続いている。米国務省の元幹部が、1993年に在沖米海兵隊の本土移転を望んだが、日本政府がまったく耳を傾けなかったと本紙に証言した

▼当時は社会党も参加した8党連立政権。今の自公政権、「最低でも県外」を掲げた民主党政権を含め、歴代政権がことごとく沖縄駐留に固執する。なぜか

▼東京支社で外務省、防衛庁を担当した2005年から数年間、政治家や官僚に聞いて回った。最も核心的だと思った説明は「要するに、沖縄にいま海兵隊がいるからだ

▼本土に移転しようと思ったら地元の同意が必要だが、難しい。だから、いま海兵隊がいる沖縄に我慢してもらう-という趣旨だ。「海兵隊を受け入れてくれ」と言われ「それは結構なお話ですな」と言う首長などいない

▼沖縄では名護市の住民投票で政府職員を選挙運動に送り込んだり、知事の埋め立て承認を得るため3千億円台の予算を10年保証したり、ありとあらゆる手を使う。この熱意を、県外移転に傾注してはどうか

▼新基地建設は大浦湾側に軟弱地盤が見つかり、難航が必至だ。建設後も地盤沈下のおそれがある。施設の安定使用を望む米側、海兵隊の駐留を望む日本側、建設に反対する県民。だれの利益にもならない計画突き進んでいないだろうか。(吉田央)
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019051302000145.html

【社説】
沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として
2019年5月13日

 沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。

 沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。

 憲法九条の碑。「日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…」。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。


◆輝かしい命

 建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。

 五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解で日本国憲法の適用はないと宣言した。

 沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免-などが繰り返された。

 人々が、基本的人権の尊重国民主権平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた


◆戦争と隣り合わせ

 七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。

 返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない

 基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた

 日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。

 沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する

 その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。

 新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。

 「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。

 沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。


◆「自己決定権」を希求

 一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一~一六年の五年間に二割から三割超に急増した。自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。

 沖縄を真に憲法の下の仲間とする-。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。
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●「敗戦後」も戦争は続き、「唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった」

2017年08月24日 00時00分18秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



東京新聞の桐山桂一さんのコラム【【私説・論説室から】沖縄は「捨て石」か】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017080202000162.html)と、
マガジン9の記事【風塵だより 鈴木耕/沖縄熱風篇:大田さんへ、花を捧げに……】(http://maga9.jp/fujin170802/)。

 《「沖縄が『捨て石』なのは今も同じ」と嘆く大田 さんに当時、最も恐ろしく感じることは何かと尋ねてみたら、こんな答えだった。「新聞の論調が戦前と同じように、権力に迎合する風潮が強まっていることですね」 (桐山桂一)》。
 《26日の「大田昌秀沖縄県知事県民葬」に参列したいと思ったからだ…安倍首相…は「沖縄の基地負担軽減について、政府として引き続き全力を尽くします」などと読み上げたが…。ぼくの隣席の男性は「どの口が言うと不愉快そうにつぶやいていたし、安倍氏が読み終えたころ、会場から女性が》。

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
      響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
   『●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。
      戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」


 「敗戦後」も戦争は続き、《唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった》。《捨て石》状態も《新聞の論調》も今も変わらず。基地負担も、高江・辺野古をはじめとした沖縄破壊も、日米地位協定も、差別発言も、ヘイト番組も…「本土」の感覚は何も変わっていない。
 《戦争屋のアベ様》から、《沖縄の基地負担軽減について、政府として引き続き全力を尽くします》という弔辞…まさに《どの口が言う》だ。《安倍氏が読み終えたころ、会場から女性が「大田先生の遺言は基地を造らせてはダメ、沖縄がまた戦場になってしまう。基地はやめてください、お願いします」と声を上げた》が、当然、アベ様やあの木原稔氏のココロに響くことは無い。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017080202000162.html

【私説・論説室から】
沖縄は「捨て石」か
2017年8月2日

 七月二十六日に沖縄県民葬が営まれた元県知事の故大田昌秀さんに二度、インタビューしたことがある。

 一度目は一九九五年の米兵による少女暴行事件のときだ。二度目は戦後六十年の二〇〇五年で、戦中の記憶を語ってもらった。そこで教えてもらった歴史がある。

 一九四五年八月十五日。つまり終戦の日。平和が戻った日であると思い込んでいたが、沖縄師範学校の学生で「鉄血勤皇師範隊」に組み入れられていた大田さんらには平和など訪れては来なかったそうだ。

 その日、米軍の軍艦から花火が打ち上げられるのを見ただけである。「終戦」どころか、米軍の掃討戦は十月すぎまで続いたという宮古島や奄美諸島にいた陸海軍の将官が確かに、米軍の司令官との間で九月七日に降伏文書に署名している。

 それでも戦闘があったというのだ。大田さんも至近弾を受けた。南部の摩文仁の丘から出たのは十月二十三日である。唯一の地上戦があった沖縄はいわば捨て石同然だった占領下から現在も米軍基地は残る

 「沖縄が『捨て石』なのは今も同じ」と嘆く大田さんに当時、最も恐ろしく感じることは何かと尋ねてみたら、こんな答えだった。

 「新聞の論調が戦前と同じように、権力に迎合する風潮が強まっていることですね」 (桐山桂一
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http://maga9.jp/fujin170802/

風塵だより 鈴木耕
沖縄熱風篇:大田さんへ、花を捧げに……
By 鈴木耕 2017年8月2日

 7月23日~27日、ぼくは沖縄へ行ってきた。26日の「大田昌秀元沖縄県知事県民葬」に参列したいと思ったからだ。
 前にこのコラムの番外篇で書いたように、ぼくは大田さんにはずいぶんお世話になった。新書『沖縄、基地なき島への道標』(集英社新書=これはいま読んでもとても示唆に富んだ名著だと思う)の編集担当としてからだから、もう18年ほどのおつき合いになる。大田さんの事務所を訪れ、さまざまなお話を伺うことが、ぼくの沖縄行の目的のひとつだった。その大田さんはもういない。せめて献花だけはしてきたい。それが今回の旅の主目的だった。


レンタカーが「大渋滞」

 23日、那覇空港へは午後2時ごろ到着。だが、困った。なんと、レンタカー営業所が凄まじい混雑。待合室に、ぼくがざっと数えただけで200名近くの人が待っている。これじゃあ、いつぼくの番が回ってくるか? 恐れていた通り、やっと車を借りられたのは、ほぼ2時間後だった。
 その夜は、沖縄タイムス政経部長・宮城栄作さんとお会いする約束をしていた。宮城さんは、美しい奥さまとご一緒に現れた。そして、地元の人しか知らないようなちょっとディープな“沖縄風中華料理店”へ連れて行ってもらった。初日から、出だしはラッキー。でも、レンタカーの話をすると、宮城さんも「あれは沖縄でも問題になってるんです。せっかくの休暇が、最初の1日がほとんど使えなくなってしまうんですからねえ。観光にも打撃ですよ」と、現地ジャーナリストらしい感想。
 それはそれとして、美味しい一夜。奥さまが、また酒豪。「東京生まれなのだけれど、たった数カ月ですっかり沖縄に同化しちゃいました」と笑う。楽しい夜でした…。


大田さんの足跡をたどって…

 24日、朝早くから起き出したぼくは、まず、大田さんの足跡を訪ねることにした。
 最初に、大田さんが開設した「沖縄国際平和研究所」へ。ここは何度も訪れている。しかしこの日は、間近に迫った「県民葬」のことで、スタッフのみなさんも忙しそうだったのでお邪魔するのは遠慮して、研究所の前でしばらく感慨にふけってから退去。
 車は南下、本島最南端の摩文仁の丘へ。ここには、大田さんが心血を注いだ「平和の礎(いしじ)」がある。沖縄戦で死んだ人たちは、軍人、民間人の区別も、国籍の違いも、老若男女の別なく、すべてひとりの人間として同等に扱う、という世界でも例をみない慰霊の碑。それは延々と沖縄の夏空の下に続いていた。ぼくは、一つひとつの碑に頭を垂れながら歩いた。
 ふと気がつくと、なんと「秋田県」の碑もあった。ぼくの故郷。遥か南の彼方まで連れてこられて若い命を失った同郷人が、こんなにもたくさんいたんだ…と思うと、突然、目の奥が熱くなった。
 誰がきみを殺したのか、きみは誰のために死んだのか
 今のぼくよりは絶対に若かったはずの青年たちが、ここに祀られている。名もなき兵士が、ここでようやく名を回復してもらったのだ。
 ぼくは戦争を憎む戦争を起こした者や、これから起こそうとする者を憎む

     (摩文仁の丘からの眺め)
     (公園にある平和祈念堂)
     (「平和の礎」の秋田県人たち…)


戦争の過去と基地問題の現在

 戦跡を辿ろうと思った。
 引き返して、嘉数高台公園へ向かった。ここも何度か来た場所だ。激戦地。それを示す弾痕が、今も生々しく残っているし、日本兵が立て籠って絶望的な抵抗をしたとされるトーチカも、真夏の陽射しの下で焼け焦げたような姿をさらしている。
 この丘の上に展望台がある。それを上れば、あの普天間飛行場が一望のもとだ。政治家どもが沖縄へ来ると、必ずと言っていいほどここを訪れ「ほんとうに市街地のど真ん中、危険な基地ですねえ。何とか早く移転させなければ」などと、いい加減な感想を記者団に述べる、お決まりの場所だ。そんな感想が実現したためしは、ない。
 汗が目に入るほどの暑さ。公園のすぐ下に沖縄そば店があった。そばよりも、涼しさを求めてその店へ。汗が引いた体に、沖縄そばが美味だった。
 それからまた走る。
 次は、過去から現実へ。昨年、女性が暴行されて殺され、そして遺棄された現場へ。国道58号線を北上し、ゴルフ場へ曲がる交差点をうるま市石川のほうへ右折して間もなく。そこは、「えっ、こんな場所?」と驚くほど、2車線のりっぱな道路のすぐ脇だ。ぼくは買っておいた花を供えた。今もたくさんの花が供えられていて、小さな献花台もあった。数十万人もが死んだ戦争のあとの米軍基地問題は、現実としてここになお存在している…。

     (日本兵が立て籠ったトーチカ。せみしぐれが降っていた)
     (嘉数高台公園から普天間基地を見下ろす)


辺野古の浜で見たものは…

 25日。この日は、辺野古の浜で、大規模な「海上座り込み集会」があると聞いていた。「海上座り込み」って面白い言い方だが、多数のカヌーを出して、海上で基地反対を訴えるというものだ。そういえば、三上智恵監督に『海にすわる~辺野古600日間の闘い~』というドキュメンタリー作品があったことを思い出す。
 辺野古までは、那覇から1時間半ほどかかる。高速の沖縄道を宜野座で降りて329号線を北上。沖縄工業高専の架橋の下をくぐれば、間もなくキャンプシュワブのゲート前。まずそこへ。数十名の人たちが、酷暑の中、テントに座っていたが、聞いてみると多くの人たちは辺野古の浜辺へ降りて行っているとのこと。ぼくも浜辺へ。
 でも、残念ながら「今日の行動は午前中で終了しました。実は、午後も続ける予定でしたが、海上に落雷注意報が発令されたので、中止せざるを得なくなりました」と、カヌーのそばの女性が教えてくれた。

 浜場に、黒い連凧が舞っていた。頑丈なフェンスの向こう側を、若い米兵が2名、しきりにこちらを伺いなら行ったり来たりしている。そうとう気にしているようだ。

 午後1時から、浜での集会が始まった。次第に人が増え、最終的には250名ほどか。午前中に「海上座り込み」に参加したカヌーは71隻、抗議船は8隻で、計150名ほどが参加したという報告。

 

     (たくさんのカヌーが並んでいた)
     (辺野古の浜辺のフェンスには、たくさんのアピールが…)

 集会で、沖縄タイムスの阿部岳記者や、元自衛官で反戦活動をしている井筒高雄さんなどに会った。上空をドローンが飛んでいた。
 実はこの日、現場で山城博治さんにお会いできるかと思っていたのだが、ホテルを出がけに山城さんから「事情があって、この日は集会には参加できなくなりました。お会いしたかったのですが、すみません。また東京でお会いしましょう」と、とても丁寧な電話。この誠実さが人を引き付ける魅力のひとつなんだなあ。
 帰りがけ、浜辺のテントに立ち寄り、ささやかなカンパを出したら、きれいな絵ハガキをお礼に…って。

     (浜辺での集会)
     (黒い連凧が上がって)

 その後、時間があったので、ぼくはもっと北上。そこからまだ数十キロもある東村高江へ向かった。例の、米軍ヘリパッドが強行工事されたところだ。メインゲート前まで来たけれど、誰もいなかった。時間も時間だし、仕方ない。ここでぼくはようやくUターン。
 この夜は、三上智恵さん(最近作『標的の島 風かたか』は傑作です!)と食事する約束をしていたのだ。遅れちゃいけない。
 場所は、北谷(ちゃたん)。米軍基地が返還されて、今や若者の街としてすっかり観光地に変身した地区だ。でも、ぼくは若くない。静かなところにしましょうね、というわけで、三上さんお薦めの港が見える店へ。
 三上さんは、琉球新報報道局長の普久原均さんを紹介してくれた。3時間ほど、ビールとワイン(ぼくはワインは飲まないのでビールだけ)と、美味しい料理で歓談。沖縄の状況と本土の関心の温度差、沖縄のメディア状況、そして安倍政権の沖縄対策、沖縄側の反応…。いくら話しても、話は尽きなかった。
 それにしても、タイムスの宮城さんといい、新報の普久原さんといい、まさに本物のジャーナリスト本土の記者たちとは、どこが違うのだろう? ぼくは沖縄へ来るたびに、そう考え込んでしまうのだ。


大田さんの「県民葬」へ

 26日は、朝から異様な雰囲気だった。ぼくは道路事情がよく把握できないから、徒歩で「県民葬」会場のコンベンションセンターに行けるよう、会場近くのホテルに宿泊していた。ハイシーズンなので、かなり値段は高かったけれど、大田さんのためだもの、と言い訳して予約したホテルだった。
 朝からすごい数の私服警官(私服だが腕に「沖縄県警」の腕章をしていた)が、ホテルの中を見回っていた。最初は「県民葬に、なんでこんな警戒を?」と不思議に思ったのだが、安倍首相が参列することを思い出して、納得した。安倍首相が沖縄でどう思われているか、それを考えれば、警察としてナーバスになるのも理解できる。何が起こるか分からないというわけだ。まあ、もっとあけっぴろげに言ってしまえば、それだけ安倍首相が沖縄では嫌われている、という証拠でもある。
 式は午後2時から。ぼくは徒歩で会場へ、1時前には着いた。会場周辺も、ちょっと驚くくらいの警備体制。
 大田さんの長年の秘書を務めた桑高英彦さんとも、ぼくはずいぶん長いおつき合い。それもあって、ぼくは「招待者」の書状をもらっていたから、あまり待たずにすんなりと会場に入ることができた。
 大きな祭壇に、大田さんの少し笑みを浮かべた遺影がさびしい。

     (大田さんの優しいお顔が…)
     (ぼくがいただいた「招待者への案内状」)

 2時ギリギリに安倍首相が入場。そして、開会の辞の次に安倍首相が弔辞。彼は「沖縄の基地負担軽減について、政府として引き続き全力を尽くします」などと読み上げたが、会場からの拍手はまばら。ぼくの隣席の男性は「どの口が言うと不愉快そうにつぶやいていたし、安倍氏が読み終えたころ、会場から女性が「大田先生の遺言は基地を造らせてはダメ、沖縄がまた戦場になってしまう。基地はやめてください、お願いします」と声を上げたが、首相はもちろん、そちらを見ようともせずに足早に壇上から降りた。
 逆に、大田さんの友人代表としての比嘉幹郎さんが「大田さんの遺志を尊重し、今後とも県民に対するいかなる差別や犠牲への強要にも反対する」と述べたときには、安倍氏への拍手の数倍の共感の拍手が巻き起こった。それが沖縄の意志であろうと、ぼくは聞きながら思っていた……。
 安倍首相は、列席者の弔辞が済むと、そそくさと式場を後にした。そのすぐ後に「大田さんを偲ぶVTR」がスクリーンに流された。それは、大田さんがいかに政権と闘い、いかに米軍基地に反対し、いかに平和を希求し、いかに反戦を訴え、いかに県民を愛したか、を克明に辿るものだった
 「これを安倍さんに観てほしかったなあ」と、隣席の男性がしみじみと呟いていたが、ぼくも同感だった。あれを観て、安倍首相がどんな反応をするか、それを知りたかったよ…。

     (翌日の沖縄タイムス)


旅の終わりに…

 27日、ぼくは帰りの便を、那覇空港で待っていた。
 たった5日間の旅だったけれど、たくさんの人に会い、たくさんの場所を巡り、たくさんの美味を堪能した旅だった。
 念願だった大田さんへの「サヨナラ」も言えたし、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニーの終わり。
 帰りがけ、携帯電話が鳴った。大田さんのご子息・憲さんからだった。憲さんは残念ながら病床にあり、県民葬への列席はかなわなかった。それでもぼくに、参列のお礼を言いたいと、電話をくれたのだ。
 大田さんのお墓は、生まれ故郷の久米島にあるという。病が癒えたら憲さんはそこへ参りに行く、と言っていた。ぼくは、沖縄ではたくさんの島々を訪れているが、まだ久米島へは行ったことがない。
 次のぼくの沖縄行は、久米島に決めた。花を持って、大田さんの墓前に供えてくる、という目標もできたのだし……。


鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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●『DAYS JAPAN』(2012 DEC,Vol.9,No.13)についてのつぶやき

2012年11月25日 00時00分41秒 | Weblog


DAYS JAPAN』最新号について、最近のつぶやきから、AS@ActSludge

 いつもの写真とは違い、表紙は、株式会社環境総合研究所による「地形を考慮した若狭湾全原発(敦賀美浜大飯高浜)事故時のシミュレーション予測結果」。

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■『DAYS JAPAN』(2012 DEC,Vol.9,No.13) / 「衝撃の原発事故シミュレーション」。特集「信頼できる甲状腺医はどこにいる?/全国467人の専門医アンケート」。福島の子ども保養プロジェクトin久米島NPO法人「沖縄・球美の里」、DAYS被災児童支援募金

■『DAYS JAPAN』(2012 DEC,Vol.9,No.13)/「ToPICs東京都 怒りの4000人デモ 出ていけ、オスプレイ」。「ToPICs福島 福島第一原発、薄氷を踏む燃料棒取り出し」。鎌田慧さん「運動のゆくえは――脱原発は可能だ」、「原発事故はいまだ続いている」

■『DAYS JAPAN』(2012 DEC,Vol.9,No.13)/斎藤美奈子さん「OUTLOOK/草を踏んで花火を上げた石原都政の14年」、「ありていにいえば都民を愚弄した話である」、「橋下徹石原慎太郎の縮小再生版・・・」。宮田幸太郎氏「2.南京大虐殺生存者たちの証言」

■『DAYS JAPAN』(2012 DEC,Vol.9,No.13) / 安世鴻氏「私の取材機材(51)」。写真/ベップ・ボネット、文/大橋正明氏「貧者を救う融資に明暗 「マイクロクレジット」の未来」、バングラデシュで誕生したMC、ユヌス教授のグラミン銀行。賛否、勉強になった
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●『DAYS JAPAN』(2012 NOV,Vol.9,No.12)についてのつぶやき

2012年10月23日 00時00分28秒 | Weblog


DAYS JAPAN』(2012 NOV,Vol.9,No.12)が到着 / 特集「私たちは子供を守る -原発事故、2年目の夏-」(落合恵子大田昌秀小出裕章中村敦夫矢ケ崎克馬・桑原史成・樋口健二・江成常夫・福島菊次郎・・・)。前泊博盛「オスプレイ配備、県民の声を聴け!」

『DAYS JAPAN』(2012 NOV,Vol.9,No.12)/松田明功氏「チェルノブイリとフクシマ第10回 「たね蒔きジャーナル」打ち切りの意味するもの」。斎藤美奈子さん「OUTLOOK 計器が壊れて暴走する安倍自民党のご乱心」、「あ、あべなの~。マジかよ---!」、同感

『DAYS JAPAN』(2012 NOV,Vol.9,No.12)/表紙の抜けるが素晴らしい、「球美の里に、第4次保養グループとして訪れた福島の子ども。きれいな海でめいっ・・久米島」。「球美の里保養に参加して 保養参加保護者からのコメント」。那須圭子氏「祝島・天空の棚田」

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●『DAYS JAPAN』(2012年8月号)読了

2012年09月04日 00時00分50秒 | Weblog


DAYS JAPAN』(2012年8月号、Vo.9、No.9)、9月に読了。
 「広河隆一責任編集◎世界を視るフォトジャーナリズム月刊誌」。
 2011年3.11以降、読書量激減・・・。『DAYS JAPAN』も貯まってるけれど、取りあえず、表紙に惹かれて、本書から先に「視」了。

 表紙は、ある意味、すごい写真。「関西電力大飯原子力発電所の再稼働に反対して、首相官邸前で行われたデモの空撮写真。2012年6月29日」(Photo by Masaya NODA/JVJA)。酷暑の2か月が過ぎ、全く不要だったことが明らかになっても、まだ稼働は続く。関電社長は稼働を続けたい、と信じられないことを口にするし、首相の「責任」で再稼働を決めたのに、不要だったことが明らかになった今でも、「地元」民を危険にさらした「責任」には知らん顔をしたままです。ましてや、2030年電力シナリオの議論の最中に「原発は単に夏の電力確保のためだけでなく、社会全体の安定と発展のために引き続き重要だ」などと言い出す始末です(『●当該選挙民が責任を持って原発推進議員に落とし前を』)。
 それにしても、毎週これだけ多くの人々が首相官邸を取り囲んでも、また、各所で抗議の声を上げても、原発推進するのですから、首相をはじめとした原発推進議員を含めた原子力ムラ住人にはあきれ果てます。かって彼らに投票してしまった方には、是非、落選させることで選挙民の「責任」を果たしてもらいたいです。
 「とどろく「再稼働反対」の叫び」(写真/野田雅也/JVJA(正しい報道ヘリの会)、小原直史、PANA通信社、pp.6-7)。暗闇の中おびただしい人たちが首相官邸を取り囲んでおり、写真から「「再稼働反対」の声は、地鳴りのように」本当に聞こえてきそうな感じです。
 「TOPICS/福井県 民意ふりきり大飯再稼働」(写真/津田壮章、森祐一、pp.8-9)。市民のバリケードを警察がくずそうとしたり、人々の波を警察や機動隊が押しとどめています。
 「沖縄・球美(くみ)の里オープン」の宣伝と募金協力の呼びかけ(p.11)。

 「無視される犠牲と差別の責任者」(文/大田昌秀、写真/浅見裕子、米空軍/PANA通信社)。オスプレイ配備でまたしても揺れる沖縄。オキナワとフクシマ。広河編集長らの「沖縄・球美(くみ)の里子ども保養プロジェクトについて、久米島出身の大田さんは、「このような心優しく行動力のある人たちの尽力が続く限り、被災地の若い人たちは、沖縄戦の地獄の底から生き延びた沖縄の若人たちが粘り強く平和社会の創出に立ち上がった先例に学び、必ずや被災地の再起に寄与し得ると期待するものである。私たちオキナワの人々は、被災地の方々のご来沖をいつでも心から歓迎する次第である」と。
 「チェルノブイリとフクシマ/第7回 福島の母たちから沖縄・久米島へ」(鈴木薫、p.36)。

 斎藤美奈子さん「OUTLOOK 6・29の伝え方にみる各紙の市民メディア度」(p.37)。ともに「14点」(100点満点)で、5、6位が産経新聞読売新聞なのが、笑える。「産経の基準では原発の何倍もレバ刺しが問題らしい。大丈夫?」、(読売新聞の)「1面の写真が佐渡の「皆で休むトキ」なのも、なんだかマヌケ。市民の集会が怖くてトキが集う光景に逃げたとか」、「レバ刺しやトキでごまかすのはダサいよ」。

 伊原美代子さん「おばあちゃんと猫⑱ スイカと夏のお昼寝」(p.49)。ミサオおばあちゃんチのフクマルの欠伸姿、ほっとして、心が和みます。

 その他、インド(BRICsの一角)、スーダン(ヌバ山岳地帯)、フィリピン(違法金鉱山)。

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