
瞑想 Meditation は、仏教的には禅定に当たるのでしょう。
この禅定を極めれば、いよいよ悟りの境地に一歩足を踏み入れることになります。
自力門である、栄西や道元は禅の道を説きました。定に入ることにより、涅槃の境地、生前解脱の道に至ることです。更に悟りが進めば、幽体離脱をする方もいるようです。
これには守護霊や指導霊の許可が必要であり、それなりの役割をになっている方に限られているようです。スウェ—デンボルグやエドガ—ケイシ—等が近現代では有名です。
日本人にとっては仏教が馴染んていますので、禅の実践が入りやすいのかなと感じています。
以前高野山の宿坊に泊り、早朝に簡単な禅の指導を住職から頂きました。その時に10人くらいが参加していましたが、八割がたが外国人でした。外国から観光を兼ねて高野山にきているのかと思いますが、禅の心を学びたいといった感じもしました。
今やスピリチュアルの世界では、内観や瞑想が基本になっていますので、実践している人はもしかしたら海外の方が多いのかも知れません。
今迄私の友人・知人において、瞑想や祈りを実践しているといった話は余り聞いた記憶がありません。敢えて他言することなく実践しているのかも知れませんが、その様な話は記憶にありません。
尚片岡鶴太郎さんが瞑想に注力していることを最近知りました。
かなり徹底しているようです。彼はなんでも極める性格の持ち主のようですね。
今私が聞いている瞑想音楽のユ—チュ—ブは、海外発信のものが多く、画面では外国の方々が胡坐をかいて瞑想しているシ—ンが多いです。
後はチベット仏教系のものが私にはしっくりきますので、その動画を良く流しています。後は実践するのみですが・・・・。
今思うことは、禅定により内へ内へ入り込み、宇宙からのエネルギ—を頂き、その力をこの三次元世界へと流していくこと(愛の実践)が、今生きている人間の崇高なる使命であるのではないかと思います。
なかなかそこまでの実践と悟りには、遠いような気もしますが、そこを目指して歩んでいる、歩み続けることがとてもとても大切であるのかなと思います。
✳︎五欲の抑制が出来るようになったら、次に意識すべきは、六大煩悩の滅尽でしょうか。
貪、愼、痴、慢、疑、悪見
を無くすことですね。
これらにとらわれることが無くなれば、かなり進んでいることになります。