いちやらっかのあめ まんじょうりゅうすいかんばし
今日は父方の本家の祖母と伯父の法要でした。
祖母は三十三回忌、伯父は二十三回忌、
菩提寺は当家のお墓がある同じお寺さんです。
父の名代で参列しましたが、中には20年ぶりに会う従妹もあって、
時間の流れの中にも変わらないみなさんの笑顔にほっとしました。
表題の禅の言葉は読経の後の説法で方丈さんからいただいたもの。
夜降った雨に散らされてしまった花が、流されて街中を花の香りで満たす、
という意味だそうです。
花を散らした雨を不愉快に、残念に思うかもしれないけれど、
一方では花の咲いていなかった場所にまで香りが満たされる。
物事はこのように、ふたつの面を持ちバランスを保っているので、
よくないことだけを想い悩まず良いことも考えるようにすると、
心は穏やかに整っていくのではないか、というお話でした。
昨日、母は残数のあった私鉄のプリペイドカードをなくしてしまい、
とても悔しく情けない思いでいたそうです。
帰りの車の中で方丈さんの話を持ち出し、
拾った人は助かったでしょうから、施したつもりになろうと(笑)
お気に入りのせっけんやさんの、店主さんを指して、
「昨日を引きずらない、VIVIDな感性の人」と形容した方がいました。
「昨日を引きずらない」こういうことでもあるかな、と思います。
車の中から見える桜の木の根っこに、蕾を見つけた母は、
この数輪の桜を愛おしく健気に思ったそうです。
きれいに咲こう、立派に咲こうなんて思いはなくて、
時が来ればただ花を咲かせるということ。
私は母が、この花に気づき感じたことがうれしく思いました。
*余談*
今日知ったのですが、
菩提寺は開山400年を数え、
その記念に山門を新しくしたのだそうです。
旧山門にあった龍の彫刻が飾られているのですが、
昔この付近一体が干ばつに見舞われたとき、
さては龍が水を飲んでしまうのだろうと、
この龍の喉に杭を刺したところ、雨が降ったそう。
小さなお寺に伝わる伝説に、古の人びとの息遣いを感じました。