阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

コロンビア大氷原へ   カナダあちこち・その10

2007年01月14日 | イタリア/カナダ旅行
2003年10月11日晴れ/雪
ホテルを出てクロウフット氷河やスノーバード氷河を車窓から見ながらアイスフィールドセンターで乗り合いバスに乗り換えました。中継地でバスをおりて雪上車に乗り換えてコロンビア大氷原に行きました。もうあと数日で今シーズンの観光はクローズと言うぎりぎりに間に合いました。

カラーフィルムの撮影でしたが、零度以下の温度でモノクロのようになっています。




バンフの町に開拓時代からの伝統のカナダ騎馬警官の像がありました。
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ムムリクさんのART日記ご紹介

2007年01月12日 | 音楽・絵画・映画・文芸
画家のムムリクさんが「ムムリクのART日記」を12月24日から書かれています。

ムムリクさんのHP(クリック)から入ってください。

こんな素晴らしい絵をぞくぞくWEB上で見てもいいのかなあと恐ろしくもあり、また嬉しくなります。
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冬の陽を受けて

2007年01月12日 | 花・草・木・生き物
冬スミレの花はムラサキの色が濃くなり、蝋梅も黄色が、

そしてもう一つ咲いたアロエの紅い色も濃くなりました。
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京浜急行の夕方のダイヤ

2007年01月10日 | 東京あちこち

長らくお世話になった大切な先輩が急に亡くなられ、千葉県南柏の告別式に参列しました。

式場で久しぶりにお会いした旧知の方々とも別れ、亡くなられた興津さんとのほぼ40年近い年月を思い返しながら品川駅経由羽田空港に向かいました。

朝の東京への交通手段は多少遅れても欠航はない新幹線にし、夕方の帰神は羽田・神戸空港間の普通チケット1万円に惹かれてスカイマークを選択しました。

京浜急行のホームに分単位で入構する電車を見て、おもわず掲示板を見上げ、ラッシュの緊密なダイヤ構成に驚きました。

いったんことがあれば平常ダイヤに戻すのは神技でないと出来ないのでは?

JR側の品川駅コンコースでは商売上手のJR東海が物産展をやってました。

JR各社が固定資産税を優遇してもらい、本来は国民共有の構内でいろんな商売するのを見るのは民業を圧迫していて愉快なものではありません。
 

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今年も初詣は「弓弦羽神社」へ

2007年01月05日 | 身辺あれこれ
茨城県から2度目の神戸に引越して今年で20年目になります。この神社の初詣も19回目になりました。振る舞い酒の樽ですが4日にお参りしたので空き樽で“祭りの後”でした。

弓弦羽神社は灘五郷のうちの「御影郷」の氏神・産土神なので毎年氏子である酒造会社の全国ブランドの酒樽が奉納されています。

この鳥居も阪神淡路大震災で崩れ落ちましたが今は新しくなりました。

この参道は震災の時JR住吉駅と阪急御影駅を結ぶ近道として沢山の人が毎日毎日水や食料を詰めたリュックを背負って往来した場所です。私も家をキャラバンシューズで出てこの近道を歩いて駅に向かい、大阪の会社についてから靴を履き替えたものです。

本殿は木々に囲まれたなかなか美しい神社建築の建物で、隣の香雪美術館の森とあわせ阪急電車が御影駅に近づくと緑がきれいです。

境内にはまだ生田神社や湊川神社には出店できないテキヤの若手がやっているお店が出ていました。ある年屋台の中から「Yちゃんおめでとう」と大声で長女の名前が呼ばれて彼女がびっくりしたら、中学時代の同級の子がたこ焼きを焼いていました。たこ焼きを買って確か随分おまけしてくれたと思います。 

去年のお札や破魔矢を燃やすために大きな火が焚かれていました。

地霊である神社の神様にこの一年の一家の無病息災の御礼を申し上げました。
神様には願い事をするのではなく、見守ってくださる御礼を述べるものと聞いているので心から感謝を込めて二礼二拍一礼しました。
心がけが良かったのか今年も御神籤は大吉でした。
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餘部鉄橋

2007年01月04日 | ゲストルーム
新年に神戸市灘区にお住まいのK・O先輩から頂いたメールに嬉しい画像が添付されていました。

「ところで、昨秋、餘部鉄橋に行ってきました。
今年、コンクリの橋になるとか新聞で知り、急に行きたくなりました。
この写真の光景は、もう見納めです」とのことです。

O先輩、貴重な画像を有り難うございました。素晴らしいアングルで撮影されましたね。
学生時代にこの鉄橋の上を走る列車に乗ったような記憶があるのですが往時茫々ではあります。


参考;兵庫県香住町(現、香美町)から兵庫県浜坂町(現、新温泉町)付近の日本海沿いは厳しい山岳地形であり、当初より線路の敷設については必然的に山間部を通す必要があった。

しかし、余部集落付近については、特に地形の特殊性から、集落を見下ろす形で京都方面、鳥取方面より伸びてきた線路を、集落を跨ぐ形で繋がねばならず、当時の鉄道院技師、古川晴一により、アメリカ人技師の意見を取り入れてトレッスル橋と呼ばれる方式にて建設が始まった。橋脚の鋼材は、アメリカンブリッジ社のペンコイド工場より九州の門司港経由にて余部沖に運ばれ、1910年(明治43年)8月に陸揚げされた。完成までには33万円を超える巨額と、延べ25万人を超える人員を投入し、また大変危険な工事であったため、作業員には2万円もの保険が掛けられていた。

この橋の建設は山陰本線建設において西隣の桃観トンネル(桃観峠大隧道)に次ぐ難工事であり、この橋と桃観トンネルの完成により京都駅から出雲今市駅(現・出雲市駅)までが全通となった。完成より90年を超えた現在でも、トレッスル橋としては国内最大であり、初期の鉄道建築としても、高い存在意義を有している。

1911年(明治44年)、「鉄道唱歌」に倣って作成された「山陰鉄道唱歌」(作詞:岩田勝市、作曲:田村虎蔵)では、「山より山にかけ渡し み空の虹か桟(かけはし)か 百有余尺の中空に 雲をつらぬく鉄の橋」と歌われた。

1927年3月7日の北丹後地震では橋桁が落下し、山陰本線が一時不通となっている。

この記事はこちらからの引用です。詳細は引用先でお読みください。
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縄文時代のイノシシ土偶

2007年01月03日 | SNS・既存メディアからの引用記事
「岩木山ろくの発掘調査で、一九六〇(昭和三十五)年に同市の十腰内猿沢遺跡から出土した獣型土偶一基。イノシシを表現した高さ九・七センチ、長さ一七・一センチの縄文時代後期のものとみられ、鼻の形状や背中の毛などが表現されている写実的な土偶。縄文の人にとって、イノシシがなじみ深い動物だったことがうかがえる。」とWEB新聞報道からです。
☆そんな昔から土着の日本人はこの島でイノシシと共生していたようですね。
私の住む六甲山麓の街区には今も夜な夜な家族で散歩するイノシシファミリー
がおります。これは辛好の今年のマスコットの「イノ」です。

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犬もオセチを・・

2007年01月02日 | 身辺あれこれ
当然のように今年も食べましたもん。
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恭賀新年

2007年01月01日 | 身辺あれこれ
零時を期して神戸港に停泊中の全ての船舶が新年を祝う汽笛を
ボーッと鳴らして新しい年が明けました。
近くのお寺からの除夜の鐘と船の汽笛が不思議な共鳴をして聞こえています。

今年もどうぞよろしくお願いします。
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