阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

長野県の「信濃毎日新聞」は競歩とバドミントンで銅メダルを取った二人の信州人、荒井選手と奥原選手を称える記事を掲載!

2016年08月21日 | 諏訪便り

荒井銅「いやあ良かった」 小布施で見守った親族・町民

荒井選手が3着でゴールし、一斉に立ち上がって喜ぶ町民ら=19日午後11時42分、小布施町の北斎ホール

荒井選手が3着でゴールし、一斉に立ち上がって喜ぶ町民ら=19日午後11時42分、小布施町の北斎ホール

「いやあ、良かった、良かった」。リオデジャネイロ五輪の男子50キロ競歩に出場した長野県上高井郡小布施町出身の荒井広宙(ひろおき)選手(28)が、「失格」を巡る混乱の末、銅メダルをつかんだ20日午前。荒井選手を信じて応援し続けた家族や町民らは、改めて喜びをかみしめた。

 20日昼前、体調に配慮して現地には行かず、地元で応援した荒井選手の父康行さん(67)の町内の自宅を、康行さんのいとこの三田博幸さん(60)=小布施町=が訪ねた。銅メダル獲得を喜び合い、康行さんは「(一時は)頭が真っ白になっちゃったよ」と笑顔を見せた。

 この前夜、町が町内の北斎ホールで開いたパブリックビューイング(PV)には町民ら約400人が集まった。19日午後11時40分すぎ、荒井選手が3着でゴールに入ると一斉に立ち上がり、大歓声と拍手。康行さんも周囲の人たちと抱き合って喜んだ。「広宙のために町が一つになって応援してくれた」と感謝した。

 ところがスナックで知人らと祝杯を挙げていると、報道関係者から「失格」との情報が。20日午前1時すぎ、荒井選手から「父ちゃん、心配しなくていい」と連絡が入ったが、現地にいる荒井選手の兄英之さん(37)からは「失格になって広宙が泣いている」との電話。「天国から地獄に落とされたような」(康行さん)気持ちになった。

 同3時半ごろ、再び荒井選手から電話があった。「父ちゃん、俺、『銅』確定した」。康行さんはすぐ、昨年11月に亡くなった妻であり、荒井選手の母である繁美さんの仏壇に手を合わせた。込み上げる思いを抑えられなかった。

 PV会場で声援を送った市村良三町長も「失格」の情報にいったんは気落ちしたものの、銅メダルが確定して迎えた20日朝の電話取材には一転、「すごくうれしい。町を元気付けてくれた」。荒井選手が帰国したら、歓迎会を開催したいと語った。

(8月20日)

輝く銅みんなの希望 奥原、目標決め必ず成長 挑戦は続く

バドミントン女子シングルスで銅メダルを獲得し、表彰式で笑顔の奥原希望(右)=リオデジャネイロ(共同)

バドミントン女子シングルスで銅メダルを獲得し、表彰式で笑顔の奥原希望

 「目標を達成するためにやるべきことを常に考えている」。相手選手の負傷棄権により、19日(日本時間19日夜)の3位決定戦を待たずして、リオ五輪バドミントンシングルスで日本勢初の銅メダルを獲得した奥原希望(のぞみ)選手(21)。競技を始めた小学生の頃から明確な目標設定の習慣を身に付けていたことが大躍進の秘密だ。

 大宮東高(埼玉)時代に監督として指導した大高史夫さん(65)には忘れられない光景がある。入学早々、奥原選手に目標を聞くと「1年で埼玉を制し、2年でインターハイ(全国高校総体)優勝。3年で全日本(総合選手権)を取る」ときっぱり。

 埼玉は何人もの五輪選手を輩出した「バドミントン王国」。15歳の強気な発言に、大高さんは「なめるな」と憤った。

 ところが奥原選手は体育館の照明を強制的に消すまで猛練習。宣言通りに1年で埼玉県大会を制すると、2年でインターハイ優勝。そのまま、その年の全日本総合選手権を大会史上最年少16歳8カ月で制覇した。大高さんは「バドミントンに懸ける情熱が違った」。

 高校時代の下宿部屋には目標や格言を書いた紙がびっしりと貼ってあった。その部屋を見た父圭永(きよなが)さん(57)は「まだ、やっていたのか」と驚いたという。

 その原点は、圭永さんに由来する。大町北高バドミントン部の副顧問だった圭永さんは、小学1年の時に競技を始めた奥原選手を厳しく指導し、奥原選手が涙を流すことは日常茶飯事。そんな時は「本人に言うよりも言いたいことを紙に書き、それを見て、何かを感じてくれれば」と格言などを家の壁に貼り始めた。

 「練習は裏切らない」

 「トップになればなるほど、能力差よりも心の持ちようが勝敗を決める」

 子どもたちにも毎年の目標を書かせて壁に貼って意識させた。それがいつしか奥原選手自身の習慣となり、苦難を乗り越えるエネルギーになった。

 高校3年から両膝を相次いでけがした奥原選手は競技人生の岐路に立たされた。そんな時、たまたま高校の保健体育の授業で配られた将来の目標設定用紙が目に留まった。「人生」「スポーツ」の目標を1年ごとに書き込む用紙に「これは良い」と復活の道筋を書き込み、部屋に貼った。

 目標が決まれば前進あるのみ。けがから復帰後、海外勢に圧倒されることもあったが、敗戦を糧に強くなった。ロブ、ドライブ、ドロップ…。代表の佐藤翔治コーチ(33)は「敗戦で見つかった課題は、帰国後に必ず克服した。そこが他の選手との違い。次に会う時には確実にうまくなっていた」と振り返る。

 奥原選手は「練習するのか、休むのかなど一日の中にある小さな選択も目的意識を持って一つ一つ決断している。何となく行動したことはない」と言い切る。16年の目標欄には、設定通りたどり着いた「オリンピックのメダル獲得」と書かれていた。

 ただ、今回は相手選手の棄権という結果でのメダル獲得。「4年後は表彰台の頂点に立ちたい」と新たな目標を掲げていた。

(8月20日)

WIKIPEDIAから一部引用・・

長野県大町市出身。尊敬するアスリートはフィギュアスケート浅田真央[1]

小・中学校

小学校2年生の時、父親と姉、兄の影響を受けてバドミントンを始める。小学校6年生時にはANAアジアユースジャパン、U13で優勝、全国小学生ABC大会で2位、全国小学生バドミントン選手権大会で女子シングルスベスト8に進出。

大町市立仁科台中学校に進学後は、全日本ジュニアバドミントン選手権大会にて中学1年次には新人部門でシングルスベスト8、中学2年次には新人部門でシングルス優勝、中学3年次ではジュニア部門でシングルス2位。

頑張った二人は信州出身の人だったよと阿智胡地亭は興奮して家族に伝えた。が、「ああそうなんだ・・」としか返ってこなかった。

それでもめげずに、家族の中でたった一人身体的には100%信州人の阿智胡地亭はここ神戸の地でにんまりと信州人の頑張りに祝杯を上げた(笑)

 


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