「#36 広島の銘酒 賀茂泉の話」 2003.9.23記
ある日の夕飯に日本酒の一合瓶が一本出てきた。ラベルを見ると「賀茂泉」とある。知らない銘柄だ。
次女が大学に行きはじめて半年ほどたった頃だった。
このお酒はどうしたの?と聞くと「ビジュアルデザイン学科の同じクラスの子から貰った」と言う。
そう言えば、その女友達はマンションに下宿をしていて、
次女はそこに仲間と時々遊びに行くようになったと聞いていた。そんなある日、母が持ってきたからと
言って彼女が一本ずつ一合瓶を渡してくれたのだそうだ。
女の子のお母さんが娘の下宿に日本酒を持ってくるって面白いねと言うと、その子は広島の西条って
言う所から来ていて、実家がそのお酒を造っているって云ってたと言う。それはいい友達ができたね、
これからもどんどん貰って来てよと軽口を叩きながら飲んだら、辛口でおいしかった。
それから半年した頃、転勤辞令が出てボクは広島の中国支社勤務になった。
そして2ヶ月ほどたった頃大阪支社のある営業部から連絡があり、排水装置だったかのPRに、
西条の賀茂泉酒造に行くので同行して欲しいと言ってきた。
「西条の賀茂泉」?なんか聞いたことがあるなと思った。夜、家に電話して確認したら
「そう、お父さんが飲んだのは賀茂泉だよ」と次女が言った。
翌日、広島の夜の繁華街である「流川」の酒屋で聞くと、良く知られて有名なのは賀茂鶴ですが、
知る人ぞ知るで、結構酒飲みや酒好きにフアンが多い
広島の地酒ブランドですと言うことだった。
JRの西条駅で降りて10分も歩くと「賀茂泉」の工場につく。西条は灘、伏見と並ぶ
日本三大銘醸地と言われているのははじめて知った。
杜氏の増田さんと面談した。肩書きは常務取締役だった。仕事の話が済んで雑談になったとき、
信州上諏訪に宮坂醸造という会社があって「真澄」という酒を出しています。
ご存知でしょうか?と聞いてみた。「協会7号酵母」の蔵元でしょう、杜氏なら誰でも知っていますよと言われた。
この7号酵母は戦後まもなく宮坂醸造の酒蔵から発見され、
非常に質がいいのでかなりの全国の造り酒屋に移植されているという話を教えてもらった。
その後、あつかましい話ではあったが思い切って、かくかくしかじかでこちらの経営者のお嬢さんと
思われる方から頂いたお酒を、半年ほど前に家で飲ませてもらいました、お礼を申し上げたいので
ご紹介いただけませんかとお願いしてみた。増田常務はきさくに専務を呼んできてくれた。
専務に挨拶をしたが、突然わが子のことを持ち出されたゆえか、さすがにちょっと戸惑われていた。
それでも帰り際に流川の夜のマップを持ってきて、
この印をつけた店ならいつでも「賀茂泉」を飲んでもらえますと教えてくれた。
あまり関西ではみかけない「真澄」が、どういうワケか広島ではあちこちの店においてあるし、
勿論「賀茂泉」はあるしで、広島で日本酒を飲む場合はこのどちらかを良く飲んだものだ。
また東京や大阪からの出張者に広島の地酒で何がおいしいと聞かれたら、娘さんのご縁もあって、
躊躇なく皆さんに「賀茂泉」をすすめた。
もっとも時々、広島へ賃貸のワンルームの部屋の掃除に来る相方は、ほんの一口か二口しか飲めないのに、
マンションの近くの酒屋で試飲した同じ西条の「白牡丹」がお気に入りで、帰ったあとの冷蔵庫の甘い
一合壜を片付けるのはボクの役目だった。
「#40 溜池の人とサヨナラを」2003.11.25作成。メールマガジン発信
その1
25年お店やってきて結局借金しか残らないんだから、私ってお人よしなんだよね。
でも、まっいいか、いろんな人とお会いできてそれなりに私も楽しかったし。
この店私40で始めたんだよ。この頃なんか疲れた気がする。もうやめようかなって近頃時々思う、
とママが言った。今年の7月始めのことだった。
学校の先輩に連れられて、店に初めて来たのは昭和53年の秋だった。店が開店して半年後くらいだったらしい。
東京勤務になって4年目だった。同窓の集まりの後、同じ会社に勤務していた先輩二人がそれぞれ別の時に、
連れてきてくれたからその会社が使っていた店かもしれない。
何回かこの店で先輩たちに飲ませてもらったが、当時は貿易部に所属していて、赤坂国際ビルにあった商社に
月に何回か仕事で行っていた。
商社から歩いて10分ほどのこの店に、打合せが遅くなると、いつの頃からか寄るようになった。
勤務先がある神田美土代町周辺の麻雀屋や居酒屋には職場の仲間と毎晩のように行っていたが、
カウンターのあるスナックは他に行ったことがなかったし知らなかった。
店から地下鉄千代田線の国会議事堂前駅までも歩いて10分程で、地下鉄に乗れば会社のアパートがある南柏まで
一本で帰れたのも理由の一つだった。
一人で飲みに行くのもサラリーマンになって初めてだった。自分より年配の客ばかりの店でずっと小さくなって座って飲んでいた。
あるとき客が少なくてママと長く話をしたとき、彼女が三重県の松阪出身だと知ってこちらも四日市に住んでいたことを言い、
東京の悪口や、いややっぱり東京は凄くて面白いねなどといろいろ話をしたことから、夜遅くなって彼女が酔うと
説教をされることになってしまった。
アナタはねえ、もっと自分の思ったことを先輩にもいいなさいよ。ただニヤニヤ笑いながらハイハイ人の言うことだけ聞いて
ここにいても仕方ないでしょ。キミはなんかじれったいよ、顔には言いたいことが出てるんだから。
言われても自分でも自覚していることだから腹は立たなかった。そのうち社内の飲み会の後などに仲間とも行くようになり、
結局昭和62年に大阪に転勤するまでの9年間、年に3、4回顔を出していた。
そして大阪から出張で東京に宿泊したある日、2年ぶりに店に顔を出すとちょっと待ってねと言いながら椅子に乗って、
高いところの棚を探し埃だらけのボトルを見つけて出してきた。
たしかウイスキーのお湯割りに丁子を入れるのよねと言って、女の子にそう指示した。そして新しい名刺を頂戴と言われて出すと、
それを見て、良かったね、こんな肩書きがついたんだと喜んでくれた。
この商売をやってるとね、自分の為でもあるんだけど店の永いお客さんがだんだん上がっていくのを見るのが本当に嬉しいのよ。
特にキミはへらへらしてるだけでどうなるか心配だったから。
それから10年ほど毎月のように大阪から東京への出張があったが、店には年に1,2回くらい寄った。ボトルはだんだん素早く出てくるようになった。
最初はクラシックしか流していなかった店にもそのうちカラオケセットが入り、客はますます年配者が増え、客の数も少しづつ減っていった。
そしてママはいつも酔っ払っているようになった。ただよく変わっていた女の子は、落ち着いた四十代の人が定着するようになっていた。
一人客が多い店で、皆大体たまたま隣に座った客と話すのだが、あるとき隣の席の客にママが、清家さんと名前を呼んで話をしているので、
もしかしたら宇和島のご出身ですかと話しかけてみた。
その65,6才に見える客は、良くご存知ですね、退職して今大分に住んでいますがもともと宇和島ですと言う。
清家姓の出身地はほぼ100%宇和島だ。東京や大阪の新規引き合い先で、お客さんと初めて名刺を交わすとき空気がほぐれるのは、
その苗字で出身地を当てて苗字の話をするときだ。
彼はH製作所に勤務した人で今回は同期会のため上京して何年かぶりにこの店に寄ったと言う。Sが今苦労していましてと言われるので
もしかして社長のSさんのことですかと聞くと彼も同期なんですという。
広い畑で野菜や果物をもう何年も作っているという彼は良く陽に焼けて健康そうだった。
こうして昔のお客様に寄っていただくのは本当に嬉しい。皆さん退職するとき部下に律儀に店を引き継いで下さるけどやっぱり好みが違うんだよね。
これってしょうがないわよねとママが口をはさんだ。
続く
(続きを書くつもりでしたが、書かないままになりました。これで店に顔を出すのは最後になるだろうと言う出張の夜、ママさんにその旨を伝え、
長いお付き合いのお礼を言い、お互い別れの挨拶を交わして店を去りました。その後のママさんと店のことは知りません。)
* 阿智胡地亭便り#37、#38、#39はメール送信したあと削除してしまったので残念ながら本文も残っていません。
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゛賀茂泉”の話、なるほど、なるほどと改めて経緯が
分かりました。
゛縁は異なもの味なもの″ですね。
いつもご感想をありがとうございます。サラリーマン
にとってはお店のママさんも人生の先生の一人になる
ことがありました。2005年ごろまでは確かに記憶力は
あったかもしれませんが、今はもう霧の中のことで
書き留めてあったことだけ懐かしく思い出します。
阿智胡地亭便りを愛読していただきありがとうござい
ます。賀茂泉さんとのご縁は本当に不思議なことで、
世間は狭いと実感することの多い中の一つです。