まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

タちゃんのこと

2012-11-07 13:56:12 | 想い

昨日の記事のなかで、チラっと登場していいた、タちゃん

彼とは、もう何年も会っていないんですけど
私は、彼のことで、何回か記事を書いています

最近、以前は訪れなかった方たちも、訪れてくれているので
ちょっと、タちゃんについて、紹介しておこうと思います

どうも、ここにupする以前に、他にも記事にしたことがあったようですが‥
たぶん、リンクで飛んでいけると思います。
よかったら、タちゃんについて、皆さん、知ってください

2009年11月4日

今年も、いくつかおめでとうメールをいただき
本当に嬉しかったのですが

実は、誕生日の日付に変わる直前に、
去年、おめでとうメールのことで記事にもした(詳細は、コチラ
タちゃんが『非常に危険な状態』だというメールが入りました。

タちゃんの疾患は先天性の『筋ジストロイフィー』。
進行性の病気です。

先天性ということは、つまりきょうだいで発症することが多いようで。
私が勤めていた養護学校で私が知っているだけでも、
タちゃん兄弟を含め、同じ疾患を持つきょうだいを6組知っています。

改めて調べてみると、
日本では保因者は80人に1人、発生率は出生26000人に1人
‥らしいです。
ものっすごく珍しい病気ではないと思います。
ただ。
身近なところでこの病気の患者さんと接したことがない、
という人が多いのだと思います。


養護学校の子どもたちは、皆、究極の個性(障害とも言う)の持ち主なので
あの子たちについて、具体的なことを書くと
個人が特定されそうな気がして、今まであまり書きたくなかったんですけど。


この記事を読んだ皆さんにも、
是非ぜひ、見ず知らずの青年であるタちゃんの回復を祈ってほしくて‥
こんなことを書いています。


去年の私の誕生日には、嬉しいメールをくれたタちゃんでしたが、
今年は‥。
タちゃんの目を見れば、
こちらの話していることが全部わかっていることが、
はっきり伝わってきたけど、
全く話もできず、首も動かせない様子で。

それでも、「頑張って治さなアカンでっ」と言うと、
しっかり「はい」と答えてくれました。
お母さんも「いやぁ、ちゃんと『はい』言えるやん!?」と
ちょっとビックリされてました。

免疫力の低下した人ばかりが居る病棟とのことで、
最初は基本的には家族しか面会できない、と言われたのですが。
短時間だけど面会させてもらえて、ほんとによかったです。


毎日、同じことばかり注意させてくれる小学生どもに
イライライライラしている私ですが

毎朝、「行ってきまーす!!」と
自分の足で元気に学校に行ってくれるってことは、
全然『当たり前』のことと違うんやな、
ものすごく有難く幸せなことなんやなと、
再認識したのでありました。


どうか皆さん、タちゃんの回復を、一緒に祈ってください。
お願いします

 

2009年11月17日

先日、がんばれ!タちゃん!で、
多くの皆さんに回復のお祈りをお願いしたタちゃんですが

先週の土曜日、近況のお知らせをもらいました

 一昨日より昨日、昨日より今日と、確実に良くなってきています。
 2週間前のことを思えば、ウソのようです。
 毎日のリハビリは、スパルタですが、
 タ、本当によくついて行っています。

とのことで


回復しか信じていなかったですが、それでも。
2週間前とは別人のよう、と聞くと、心底ホッとします

まだ、本人はメールのやりとり等は難しいようなので、
お母さんとメールをやりとりしたのですが

私がお見舞いにと持っていった、
写真集でもあり詩集でもあり‥の本。
お母さんが読んで聞かせると
(「本の読み聞かせなんて、20年ぶり!?」だったそうです
好きな詩がある、と、うんうんと頷いてきいていてくれたそうです

「『まだ、明日なら通じると思うから』とのことやし、
 会うことでタちゃんのパワーになると思うから、
 ぜひ、会いに行ってあげて。」と
別の先生からメールをもらったから、
あの日、会いに行くことにした訳で。

実のところは、顔を見て、声をかけるだけでも、
タちゃんに気持ちは通じるし、
パワーを送ることもできると思ったんだけれど
何か、目に見える形を残して帰りたくて、いっそいで選んだ本でした。

題名は『朝はくる』かなんか、そんな題だったと思います。
(何度もアマゾンで検索するのですが見つかりません


それが、多少なりとも役立ったか気に入ってもらえたかで、
本当に、ほんとうに、嬉しいです

こういう、ちょっとした(本との)『出会い』。
間違いなく、「導いてもらってる」のだと痛感します

最近、いろいろと調べていて、とても印象深い話を見つけました
曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、
あるお話なんだそうですが、「だいじょうぶの小石」というお話です。

 仕事がら病院に出入りを許されているある方は、
 掌に入るくらいの小さな小石をもっていて、
 これから手術を受けようとしている人に、その小石を握らせてあげるのです。
 その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と書いてあります。
 なので、それを握らせてもらった人は、
 「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう。」
 と喜びます。
 すると、その方は、
 「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、
  どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ。」
 とおっしゃるのです。

‥というお話です。

このへん、いわゆる現世利益を一切保証しないあたり、
カトリックの教えと、非常に似通っていると思います



今回は、私が願ったとおりの『だいじょうぶ』でした
でも。
仮にそうではなかったとしても。
それでどんなに辛い思いをしようとも、
神は、(長い目で見れば)悪いようには決してなさらない、という信頼。
そして、その事態を受け入れる覚悟。
それらを持って初めて、
自分の『望み』ってものを口にすることができるんやろうな
‥そんなふうに思います。

タちゃんの回復を、心から感謝するとともに‥
【私は「欲しいもの」を願うけれど、神は「要るもの」を下さるのです】
このことも、しっかり、心に刻んでおこうと思います



本当に、タちゃんはじめ、彼らとの付き合いの中では、
いつも、大切なこと、忘れそうになっていたことに、
いっぱい気づかされたり、教えられたりします

改めて、乙武洋匡さんの名言が胸を衝きます。
『障害は不便ではありますが、不幸ではありません。』
この言葉が実感として感じられないことは、
人間としてとても不幸なことだと、私は思います

 

2009年11月19日

突然ですが

「美味しいものを全く食べられない生活」って、想像つきます
私は食いしん坊なので、考えられません

風邪なんかで食欲がなくなったあと、回復してきて、
好きなものを食べられたりしたら‥
あ~~好きなものを「美味しいっ」って食べられるのって、
なんて幸せなんだろう~
っとか思います


‥何で、いきなりこんなこと書いてるかと言いますと

先日から何回かお話しているタちゃんは、
今まで、食事というものを摂ったことがないのです
小学2年のタちゃんは、
「お茶とかは飲めるんだけど、何回やってみても、
 食べ物は飲み込めなかったんだ~」と言っていました。
‥それ以上は、本人にも、お母さんにも、詳しい事情をきいたことはありません。

恐らく、筋力の問題で嚥下(飲み込むこと)に問題があるんでしょうね。

出会ったときのタちゃんは、
胃までのびている鼻孔から外へ出してあるチューブを
『食事』の時以外は邪魔にならないよう、
おでこにいつもテープでくるくると止めている‥
それが、タちゃんの『トレードマーク』でした。

その後、その経管(兼経口)栄養剤を
少しずつ自分の力で口から「飲んで」摂取するようになったので、
『トレードマーク』だったチューブはなくなったんですけどね

でもやっぱり
タちゃんは「食事をしないひと」な訳で。
皆が集まる時には、
それぞれが「自分たちだけ食べたり飲んだりして悪いね。」と
何となく、タちゃんに気遣いを見せます

でもこれは。
タちゃんの気持ちを詳しく聞いたこともないんですけど。
私たちが単に「可哀想」と片付ける話じゃないと思うんです。

生まれてこのかた、一度も歩いたことのない彼らに
「一回くらい思い切り走ってみたいでしょう?」なんて
言葉をかけるのは、歩くこと走ることが「普通」な者の奢りでしかない
‥そんな気がします
それと同じように、簡単にタちゃんのことを「可哀想」と言ってしまうのも、
何だか違う気がするのです

それでもやっぱり!!

今まで、どんな気持ちで周りのひとの食事の風景を眺めてきたのかな‥
と考えると。
とにかく、想像するのもおこがましい気がして
頭が下がる思いにしかなりません。


ホントに、タちゃんは、よく頑張ってきた。
今も、休まず頑張り続けていて、本当にエラいよ!!!

(ここで、念のために言っておきますが
 記事にはしてないけど、同じように頑張っている、
 それぞれに、それぞれの「弱点」「障害」などを持っている、
 Tくんとか、Cちゃんとか、Sちゃんとか、Mちゃんとか‥
 いっぱい、いっぱいいて、タちゃんは「その中の一人」なのです)
 

そう思うと
去年の私の誕生日にタちゃんがくれた

『人間がこの世に生を受けた日を記念日にして、皆で祝い慶ぶ‥。
 ちょっとしたことですが、意外と重くていい日なんですよね。』

この、メールでの一言。(詳しくは、コチラをどうぞ)

タちゃんが『最近なんだかしみじみ思います(笑)』
と、そんなことを想っているという、そのあたりが‥。
ものすごく、心に沁みいってきます


あぁ
この間も書いたように、養護学校の子どもたちは、皆、それぞれに
究極の個性(障害とも言う)の持ち主なので
こんなに具体的なことを書くと、
あのタちゃん以外の、誰の話でもありえなくなってきてるんですけど

この記事を読んだ誰かの、
『自分の場所で、自分自身の道を歩き続けるための力』
になるんやないかと思って、書いちゃいました

私たちが思っている『普通』は、全然当たり前なものじゃないっ!!

そう感じ、
今、自分が与えられているものに、
感謝の気持ちを豊かに持つことができるひとが、
一人でも増えていくことを願いつつ‥

タちゃんの順調な回復を祈りたいと思います

 

2009年12月9日

最近、がんばれ!タちゃん!がんばった!タちゃん!
そして、当たり前?の3回にわたって、
イロイロ書いてきたタちゃんですが

今日、ついに!!
 『御陰様で経過は良好で、来週には退院できそうです』
とのメールを、本人からもらいました

 『いただいた本、読み返し読み返し、すごい励まされています。』
とのこと


その本の題名は『いつか、晴れる日』

(先日、うろ覚えで書いたのは、全然違う題名でした
 アマゾンなんかで見つかるわけないやんね

そのとき、先の見えない暗闇の中にいるようなタちゃんに
何かエールになるようなものを贈りたくて
本屋さんで、いろいろな写真集や詩集を見ていると。

パラパラとページをめくると、ため息が出そうな
きれいな写真ばかり


私がこの本をタちゃんに!!と決めたのは
写真と共に一言ずつ語られる詩が、私がタちゃんに送りたい言葉を
うまく代弁してくれているように思えたから。

 悲しいときやつらい時は、
 それがいつおわるだろうなんて、思えない
 だけど 雨のように、嵐のように、それは必ず、いつか終わる


 ずっと同じ痛みの中にいるようでも 
 暗闇のかたすみ、見えないくらいかすかに
 ほの白い光が射し込んでいる


 なにもできなくても 輝かなくても
 見えないうちは 見つめつづける
 きこえない間は 耳をすます
 「そのとき」がくるまで、しずかに待ちつづける

たとえば、こんな詩の言葉が、
それぞれの言葉にぴったりな、海や空、雲の写真と一緒に
ゆっくり語られている‥そんな本です


私自身にも、すごく元気をくれそうな気がして、
そして、この本を傍に置くことで、
自分の日常の中で、タちゃんのがんばりを思い起こして
もっともっとがんばれそうな気がして

先日、記事にしたあと、どうしてもあの本が自分にも欲しくなって
実は発作的に
「確か、あの店にはもう一冊同じ本があったはず!!」と、
ただそれだけのために、京都のカナート洛北まで行ってきました


‥それで今日、こんな記事かいてます

タちゃんが、どのあたりを気に入って、
何度も読み返してくれたのかは、きいていませんが
やはり、こういう言葉には、があるのだと思います


 いまはわかってもらえなくても、
 いつか、伝わるかもしれない

 なにもできてないけど
 なにかしたいという気持ちは、このまま持ち続けていこう

私は、ココが、一番好きです



きっと、この記事を読んでくださったあなた自身が、
強く、幸せに生きていくために‥

タちゃんの存在を知ってもらうことは、
とても意味があるんじゃないかな?なんて思います