アロハなひととき

気になる印刷ショップの社長のアロハな日々。

来年もがんばりましょう

2013-12-30 15:07:12 | 日記
とうとう今年も終わりとなった。いろいろあったが時間が早く過ぎる。

先月 上野の東京芸大 大学美術館で開かれた「国宝 興福寺仏頭展」に行ってきた。



山田寺仏頭に会うのも3回目か。実は以前この仏頭に、私が「似ている?」と言われたことがあり、そこから気になって

見に行ったことから、グッとはまりこんでしまった経緯がある。

建造されたのは天武14年(685年)。朝鮮の仏師に頼らないメイドインジャパンといわれているらしい?。

飛鳥地方、今の奈良県桜井市にあった山田寺の講堂の本尊として造られた薬師如来である。

山田寺の開基は蘇我一族の蘇我倉山田石川麻呂。謀反を疑われ、自害した後に無実と分かった悲劇の人物だ、その追善のために造られたとされる薬師如来が

仏頭に姿を変え、今に至るわけだが…。

藤原氏の氏寺として大きな権勢を誇った興福寺の東金堂が鎌倉時代の治承4年(1180年)の兵火で焼け落ち、堂内の仏像も失われた。

この焼き打ちで興福寺全体が甚大な被害を受けたが、藤原氏の絶大な財力でたちまち復興が成り、約5年後に東金堂は建て直された。

しかし、本尊の再興は難航を重ねた。奈良の仏師と京都の仏師の対立が原因ともいわれ、ピカピカのお堂はできたのに主役の本尊不在という事態に業を煮やした

堂衆(僧兵)たちが、秀麗名高い山田寺の薬師如来「本尊奪取」という略奪に出た。

ようするに持って来ちゃったのだ。そして藤原氏の力でおとがめなしだったそうだ。

室町時代の応永18年(1411年)の雷火でその東金堂も焼け落ち、山田寺の薬師如来は頭が落ち、胴体は溶けたといわれている。


その後500年たって、昭和12年東金堂の改修作業のさなかに本尊の台座の中から仏像の頭が見つかり、興福寺は大騒ぎになった。

故にこの仏頭は「興福寺仏頭」とも「山田寺仏頭」ともいわれて、ドラマチックな物語をはらんでいる。




仏頭の眼差しは、まさに慈愛を感じさせる。哀しみと慈しみが混じって彼方をみているようだ。

ということで、仏頭にブルースとソウルを感じて、来年もがんばるとしよう。