2月21日金曜日です。
ライブ情報です↓
■5月4日(日) 12:00~ 新冠町 阿部卓馬 とっておきの♪Spring ライブ in cafe ゆるり(ランチ付き!)
■5月23日(金) 札幌市 cube garden ほしのしほ 活動10周年&ニューシングルリリース記念ワンマン企画 2025『つながる絆 コンサート』
詳しくは→ライブ・メディア情報を!
前回の記事「#45 回転と循環」では、この世界のものは物理的に回転と循環を繰り返している様子がたくさん見られ、また生命の活動においても時間軸で見ると回転あるいは循環のように繰り返している、という考察をしてみました。
それを受けて、
あらゆるものが回転・循環しているこの世界というのは、いったい何なんでしょうか?
回転しているということは、中心があると思いますが、それは何なんでしょうか?
という問いを提示しました。
前者の「この世界はいったい何なのか?」という問いは結論を急がずに、まずは後者の「回転しているということは、中心があると思いますが、それは何なのか?」という問いについて考察を進めたいと思います。
■三業(身・口・意)
三業 Wikipedia
インド哲学や仏教において、その教義の中で重要視される業(カルマ=「行為」の意)ですが、仏教では人間の活動において主に3つの業を示しています。
それぞれ身業(体の動作に伴う行為)、口業(発する言葉)、意業(思うこと、想念、心)の3つです。
人間の生命は基本的にこの3つが活発に活動することで、毎日が繰り返されそれがそのまま一生になる、ということは何となくでもご理解いただけるかと思います。
この定義の段階では、これらのカルマには善悪の区別はなく、そういうものだと理解しておくことにしましょう。
さて、私たちの生活では時の流れとともにこの3つが次から次へと現れては消えていく、そんな繰り返しを過ごしています。
ここで、これらの3つの業を時間的な回転あるいは循環ととらえて、その中心には何があるのか?考察してみたいと思います。
一個人について単純に考えれば、その中心には「私」または「自我(個我)」というものが据えられるかと思います。
この「私」の中身はと言えば、身口意の三業の習慣的な傾向、と言えるかと思います。
流れとしては、自分から起こる能動の場合は、意(思い)が起こり、口(言葉)を発したり、あるいはすぐに身(行為・行動)を起こす。
知覚からくる受動の場合は、意(思い)が起こるのみか、それに付随する口(言葉)や身(行動)が起こる場合もあるでしょう。
意(こころ)の動きに関して言えば、更に詳しく五蘊(ごうん。色・受・想・行・識。般若心経でおなじみ)など突っ込んで考えることも出来ますが、ここではそこまでしないでいきます。
この三業の習慣的な傾向の中身は、これまでの人生における経験・記憶・観念や信念の蓄積、となるでしょう。
ただ、基本的な習慣は変わらないとしても、ロボットのように常にワンパターンの傾向とならないのは、皆さんも実体験としてあると思います。
色々と考えを巡らせたのですが、これらの三業の習慣にプラスされる要素として、「気分・機嫌」というものが入ってくるように感じました。
自分の経験上でも、気分が良いときには能動的な活動では心は軽くプラス思考、言葉も前向きなものが多く、行動にも速やかに移ることが出来る、と感じますし、皆さんにも共感していただけるかと思います。
また、受動的な知覚においても、心や言葉は自分・他者に対してもリラックスして受容的、行為においても表情は穏やかで協力的・丁寧なものになるかと思います。
一方、気分が悪いときには能動的な活動では心は重くマイナス思考、言葉も後ろ向きで行動も腰が重く能率も悪くなる。
また、受動的な知覚においては、心や言葉は否定的・悲観的・攻撃的・排他的で不満・悪口も多くなり、行動においては消極的・怒り・乱暴・倦怠・非協力的など、不善と思われる活動が増えます。
よって、個人の三業の傾向には、気分が良いときと悪いときのそれぞれのパターンが内包されている、ということが言えるかもしれません。
人間がより良く活動する上で、この「気分・機嫌」というものがとても重要なファクターになるような気がしています。
ドイツの詩人・劇作家・政治家など多才であった偉人・ゲーテは、
「人間の最大の罪は不機嫌である。」
と残したほどで、機嫌というのはとても重要な要素であるということを示唆しています。
しかし、この「気分・機嫌」というものが何とも捉えがたく、またちょっとしたことでコロコロと変わってしまう取り扱いづらい側面があるもので、これについては改めて深掘りしてみたいと思います。
ここで余談ですが、ごく最近X(旧ツイッター)などで大炎上している箱根の居酒屋と旅館についてみてみましょう。
YouTubeも↓
配信許可もらった居酒屋の口コミ荒らされてトラブル沙汰…脅迫されました
ニコ生配信者が一人旅で箱根の旅館に泊まり、勧められた居酒屋でカレーそばを注文したものの1時間経っても出てこず、配信で少しそのことに触れたら店主がブチギレ。
配信中だったため大炎上、といった話なんですが。
このケースもひとたびの不機嫌が起こす決定的な事態の良い例です。
さらに踏み込んだ見方をすれば、この配信者の方にしてみたらこの居酒屋での出来事は面白くないことだったかもしれませんが、大炎上してくれたおかげで世間の耳目を集めることになり、その落ち着いた対応を見てファンになった方も少なからずいることを考えると、「禍を転じて福と為す」という結果にも見えます。
逆に居酒屋の店主・旅館の方にしてみれば、たったひとたびの不機嫌(まぁもともとそういう人だったのかもしれませんが)でお店の評判を最低まで下げてしまい、これから肩身の狭い思いをする羽目になってしまった。
まぁ、このような形でしか自分の悪業に気づけなかった、とも言えるのかもしれません。天の采配は絶妙です。
ちょっと長くなったので今日はこの辺で。
次回に続きます。
ライブ情報です↓
■5月4日(日) 12:00~ 新冠町 阿部卓馬 とっておきの♪Spring ライブ in cafe ゆるり(ランチ付き!)
■5月23日(金) 札幌市 cube garden ほしのしほ 活動10周年&ニューシングルリリース記念ワンマン企画 2025『つながる絆 コンサート』
詳しくは→ライブ・メディア情報を!
前回の記事「#45 回転と循環」では、この世界のものは物理的に回転と循環を繰り返している様子がたくさん見られ、また生命の活動においても時間軸で見ると回転あるいは循環のように繰り返している、という考察をしてみました。
それを受けて、
あらゆるものが回転・循環しているこの世界というのは、いったい何なんでしょうか?
回転しているということは、中心があると思いますが、それは何なんでしょうか?
という問いを提示しました。
前者の「この世界はいったい何なのか?」という問いは結論を急がずに、まずは後者の「回転しているということは、中心があると思いますが、それは何なのか?」という問いについて考察を進めたいと思います。
■三業(身・口・意)
三業 Wikipedia
インド哲学や仏教において、その教義の中で重要視される業(カルマ=「行為」の意)ですが、仏教では人間の活動において主に3つの業を示しています。
それぞれ身業(体の動作に伴う行為)、口業(発する言葉)、意業(思うこと、想念、心)の3つです。
人間の生命は基本的にこの3つが活発に活動することで、毎日が繰り返されそれがそのまま一生になる、ということは何となくでもご理解いただけるかと思います。
この定義の段階では、これらのカルマには善悪の区別はなく、そういうものだと理解しておくことにしましょう。
さて、私たちの生活では時の流れとともにこの3つが次から次へと現れては消えていく、そんな繰り返しを過ごしています。
ここで、これらの3つの業を時間的な回転あるいは循環ととらえて、その中心には何があるのか?考察してみたいと思います。
一個人について単純に考えれば、その中心には「私」または「自我(個我)」というものが据えられるかと思います。
この「私」の中身はと言えば、身口意の三業の習慣的な傾向、と言えるかと思います。
流れとしては、自分から起こる能動の場合は、意(思い)が起こり、口(言葉)を発したり、あるいはすぐに身(行為・行動)を起こす。
知覚からくる受動の場合は、意(思い)が起こるのみか、それに付随する口(言葉)や身(行動)が起こる場合もあるでしょう。
意(こころ)の動きに関して言えば、更に詳しく五蘊(ごうん。色・受・想・行・識。般若心経でおなじみ)など突っ込んで考えることも出来ますが、ここではそこまでしないでいきます。
この三業の習慣的な傾向の中身は、これまでの人生における経験・記憶・観念や信念の蓄積、となるでしょう。
ただ、基本的な習慣は変わらないとしても、ロボットのように常にワンパターンの傾向とならないのは、皆さんも実体験としてあると思います。
色々と考えを巡らせたのですが、これらの三業の習慣にプラスされる要素として、「気分・機嫌」というものが入ってくるように感じました。
自分の経験上でも、気分が良いときには能動的な活動では心は軽くプラス思考、言葉も前向きなものが多く、行動にも速やかに移ることが出来る、と感じますし、皆さんにも共感していただけるかと思います。
また、受動的な知覚においても、心や言葉は自分・他者に対してもリラックスして受容的、行為においても表情は穏やかで協力的・丁寧なものになるかと思います。
一方、気分が悪いときには能動的な活動では心は重くマイナス思考、言葉も後ろ向きで行動も腰が重く能率も悪くなる。
また、受動的な知覚においては、心や言葉は否定的・悲観的・攻撃的・排他的で不満・悪口も多くなり、行動においては消極的・怒り・乱暴・倦怠・非協力的など、不善と思われる活動が増えます。
よって、個人の三業の傾向には、気分が良いときと悪いときのそれぞれのパターンが内包されている、ということが言えるかもしれません。
人間がより良く活動する上で、この「気分・機嫌」というものがとても重要なファクターになるような気がしています。
ドイツの詩人・劇作家・政治家など多才であった偉人・ゲーテは、
「人間の最大の罪は不機嫌である。」
と残したほどで、機嫌というのはとても重要な要素であるということを示唆しています。
しかし、この「気分・機嫌」というものが何とも捉えがたく、またちょっとしたことでコロコロと変わってしまう取り扱いづらい側面があるもので、これについては改めて深掘りしてみたいと思います。
ここで余談ですが、ごく最近X(旧ツイッター)などで大炎上している箱根の居酒屋と旅館についてみてみましょう。
ニコ生主が箱根でソロ旅行を行う↓旅館に宿泊するも、周囲に飲食店が少なかったため旅館の勧めで地元の居酒屋へ↓カレー蕎麦を注文するも、1時間待っても出てこず「注文忘れられたかな…」とボソッと呟く↓ボヤきを聞いた居酒屋店主がブチギレなぜかニコ生主が怒られる理不尽展開に↓視聴者が… pic.twitter.com/0IX791fKXz
— 滝沢ガレソ (@tkzwgrs) February 19, 2025
YouTubeも↓
配信許可もらった居酒屋の口コミ荒らされてトラブル沙汰…脅迫されました
ニコ生配信者が一人旅で箱根の旅館に泊まり、勧められた居酒屋でカレーそばを注文したものの1時間経っても出てこず、配信で少しそのことに触れたら店主がブチギレ。
配信中だったため大炎上、といった話なんですが。
このケースもひとたびの不機嫌が起こす決定的な事態の良い例です。
さらに踏み込んだ見方をすれば、この配信者の方にしてみたらこの居酒屋での出来事は面白くないことだったかもしれませんが、大炎上してくれたおかげで世間の耳目を集めることになり、その落ち着いた対応を見てファンになった方も少なからずいることを考えると、「禍を転じて福と為す」という結果にも見えます。
逆に居酒屋の店主・旅館の方にしてみれば、たったひとたびの不機嫌(まぁもともとそういう人だったのかもしれませんが)でお店の評判を最低まで下げてしまい、これから肩身の狭い思いをする羽目になってしまった。
まぁ、このような形でしか自分の悪業に気づけなかった、とも言えるのかもしれません。天の采配は絶妙です。
ちょっと長くなったので今日はこの辺で。
次回に続きます。


これは、それぞれが学ぶ為の出会いだったのかもしれません🤔
カルマの解消⁉️
xのコメント欄は、店主に批判的な意見が多いようですが、アナログ世代の私は、SNSでつぶやく前に、「カレーうどんまだですか〜?」と聞くと思います😂
おっしゃる通りでカルマの清算というか発動というか、といった感じでしょうかネ(^^)
確かに配信者側も、なかなかのコミュニケーション不足がありますが、この出来事も両方そろって初めて起こったことなんだと思います。