3月7日金曜日です。
ライブ情報です↓
■5月4日(日) 12:00~ 新冠町 阿部卓馬 とっておきの♪Spring ライブ in cafe ゆるり(ランチ付き!)
■5月23日(金) 札幌市 cube garden ほしのしほ 活動10周年&ニューシングルリリース記念ワンマン企画 2025『つながる絆 コンサート』
■5月31日(土) 新ひだか町静内KAVACH
詳しくは→ライブ・メディア情報を!
さて今日はテーマブログということで、これまで3回にわたって「回転と循環」というテーマで、「回転と循環」の記事では物理的なあらゆるものは回転している、非物理的な、例えば人間の活動も時間という軸でみたら日々回転しているのではないか?という問いから、「回転と循環②」では人間を中心に回転しているものとして仏教的な視点から「身口意」の三業、「回転と循環③」ではインド哲学の視点から「プルシャとプラクリティ」「3つのグナ」について考察してみました。
今回はその中心にはいったい何があるのか?について考察してみたいと思います。
普通に考えれば「私」がいます。
仏教的には「自我」「自己」「無我」など言われていますが、こちらのサイト「ネオ仏法」では、「無我とは釈迦は主張していない」「我(=アートマン)なるものは変化しつつ持続する」としていて、この理解が確かに近いように思います(アートマン自体は不変?かな?)。
前回記事のサーンキャ哲学的には、本来は純粋意識としてのプルシャだが、そのプルシャが3つのグナの性質に支配されている心を構成するプラクリティを「私」と見誤っている状態、と言えるかもしれません。
ということで、人間の純粋本質=アートマン=プルシャ=真我=直霊(なおひ 昨日の記事「川面凡児」から)=不変、という理解で良いのかな?(言葉上の話ですが)
ここで本記事のタイトルにしました「メタ認知」ということが出てきます。
一般的に「メタ認知」とは、「自分の認知を認知すること」「高次元あるいは俯瞰して自分自身を認知する」ということだそうです。
こちらのサイトがまとまっていたのでリンクを↓
識学総研 メタ認知とは?その能力が高い人の特徴や鍛え方をわかりやすく解説! https://souken.shikigaku.jp/13491/
私たちは普段、五感を使って様々なことを認知し、思考し言葉を喋り行動し、時にポジティブな感情やネガティブな感情を感じ、体の快感や痛みを感じ、等々の世界とのやり取りを四六時中行っています。
さて、これらのことそれぞれは、「私」ではなく「私のもの」として認知されるでしょう。
例えば「思考」であれば、「今私は〇〇と考えている」と認知されます。これは「思考」自体は「私」ではなく「私の思考」として認知できるということです。
他のものに関しても、「私の発する言葉」「私の体」「私の感情」「私の痛み」と表現され、どれも「私」そのものではない、と言えるかと思います。
これがいわゆる「メタ認知」ということで、これらのことを客観的に認知する能力とされています。
ただし、仏教やヨーガなどで悟りを得た状態は、更にこの「メタ認知」している「私」を含めた世界すべてを「メタ認知」する?ような超越した意識状態であると考えられます。
では「私」はいったい何なのか???
それが、名付けるとすれば先のアートマンであったりプルシャであったり真我であったり、の純粋意識ということなのかもしれません。
このあたりはインド哲学における「不二一元論」が、徹底的に「私」というものを知識として追求していき本当の私を悟ることで解脱を目指す哲学論で、自分も興味をそそられてたくさん文献を読み漁りました(難解過ぎて結局理解できてませんが(笑))。
ということで、「私=純粋意識」を中心に、その時々で様々な思考や行動や感情や知覚が、「私」に報告され、メタ認知により冷静に認知できる場合もありますが、ほとんどの場合それらに翻弄されている、という見方が出来るかと思います。
ここでは簡単のため、潜在意識や無意識については取り上げないこととします(普通の人は表層レベルの認知で、潜在意識を意識的に直接認知できないので)。
長くなったのでこの辺で。次回に続きます。
ライブ情報です↓
■5月4日(日) 12:00~ 新冠町 阿部卓馬 とっておきの♪Spring ライブ in cafe ゆるり(ランチ付き!)
■5月23日(金) 札幌市 cube garden ほしのしほ 活動10周年&ニューシングルリリース記念ワンマン企画 2025『つながる絆 コンサート』
■5月31日(土) 新ひだか町静内KAVACH
詳しくは→ライブ・メディア情報を!
さて今日はテーマブログということで、これまで3回にわたって「回転と循環」というテーマで、「回転と循環」の記事では物理的なあらゆるものは回転している、非物理的な、例えば人間の活動も時間という軸でみたら日々回転しているのではないか?という問いから、「回転と循環②」では人間を中心に回転しているものとして仏教的な視点から「身口意」の三業、「回転と循環③」ではインド哲学の視点から「プルシャとプラクリティ」「3つのグナ」について考察してみました。
今回はその中心にはいったい何があるのか?について考察してみたいと思います。
普通に考えれば「私」がいます。
仏教的には「自我」「自己」「無我」など言われていますが、こちらのサイト「ネオ仏法」では、「無我とは釈迦は主張していない」「我(=アートマン)なるものは変化しつつ持続する」としていて、この理解が確かに近いように思います(アートマン自体は不変?かな?)。
前回記事のサーンキャ哲学的には、本来は純粋意識としてのプルシャだが、そのプルシャが3つのグナの性質に支配されている心を構成するプラクリティを「私」と見誤っている状態、と言えるかもしれません。
ということで、人間の純粋本質=アートマン=プルシャ=真我=直霊(なおひ 昨日の記事「川面凡児」から)=不変、という理解で良いのかな?(言葉上の話ですが)
ここで本記事のタイトルにしました「メタ認知」ということが出てきます。
一般的に「メタ認知」とは、「自分の認知を認知すること」「高次元あるいは俯瞰して自分自身を認知する」ということだそうです。
こちらのサイトがまとまっていたのでリンクを↓
識学総研 メタ認知とは?その能力が高い人の特徴や鍛え方をわかりやすく解説! https://souken.shikigaku.jp/13491/
私たちは普段、五感を使って様々なことを認知し、思考し言葉を喋り行動し、時にポジティブな感情やネガティブな感情を感じ、体の快感や痛みを感じ、等々の世界とのやり取りを四六時中行っています。
さて、これらのことそれぞれは、「私」ではなく「私のもの」として認知されるでしょう。
例えば「思考」であれば、「今私は〇〇と考えている」と認知されます。これは「思考」自体は「私」ではなく「私の思考」として認知できるということです。
他のものに関しても、「私の発する言葉」「私の体」「私の感情」「私の痛み」と表現され、どれも「私」そのものではない、と言えるかと思います。
これがいわゆる「メタ認知」ということで、これらのことを客観的に認知する能力とされています。
ただし、仏教やヨーガなどで悟りを得た状態は、更にこの「メタ認知」している「私」を含めた世界すべてを「メタ認知」する?ような超越した意識状態であると考えられます。
では「私」はいったい何なのか???
それが、名付けるとすれば先のアートマンであったりプルシャであったり真我であったり、の純粋意識ということなのかもしれません。
このあたりはインド哲学における「不二一元論」が、徹底的に「私」というものを知識として追求していき本当の私を悟ることで解脱を目指す哲学論で、自分も興味をそそられてたくさん文献を読み漁りました(難解過ぎて結局理解できてませんが(笑))。
ということで、「私=純粋意識」を中心に、その時々で様々な思考や行動や感情や知覚が、「私」に報告され、メタ認知により冷静に認知できる場合もありますが、ほとんどの場合それらに翻弄されている、という見方が出来るかと思います。
ここでは簡単のため、潜在意識や無意識については取り上げないこととします(普通の人は表層レベルの認知で、潜在意識を意識的に直接認知できないので)。
長くなったのでこの辺で。次回に続きます。


逆に悩んでいるときは、俯瞰するといいかもしれませんね・・😌
矢作直樹氏が常々おっしゃっている「中今に生きる」今に集中する生き方をしてると、俯瞰してる暇がないかも🤣
おっしゃる通りでポジティブなときはいらないんじゃない?っていうメタ認知ですが、どうやらメタ認知にもカラー、のようなものがありそうな気配があるんですよね。ただ無表情的な感じでメタ認知するのではなくて、メタ認知そのものにも何がしかの傾向が出てしまう…例えば、「あ、不安に感じてるな、まったくもう…」みたいなネガ寄りのメタ認知とか、逆もしかりで「喜んでるね、良いね!」みたいな。この辺りはもっと深く考察してみたいところですね。
矢作さんの存在は知っていますが著作等はまだ読んだことないですね。いつか読んでみたいと思います(^^)