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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

存在とは知覚である

2024-11-25 11:44:42 | 日記
 さくら剛さんの「君たちはどの主義で生きるか」という本を読んでいる。副題に「バカバカしい例え話でめぐる世の中の主義・思想」とあるように、専門の学者ではない著者が、哲学や思想を可能な限りわかりやすく紹介したものである。

 相対主義やら功利主義やら人格主義やら利己主義やら利他主義といった哲学、社会主義やら資本主義やら自由主義やら民主主義やらポピュリズムやらといった政治思想を紹介している。なんとなく耳にはしているが、それがどういうものかははっきり知らずに毎日を漫然を暮らしているので、なんとなくでも区別がつけばいいなあと思って読み始めたのだ。

 で、経験主義者の「存在とは、知覚である」という言葉が紹介されている。簡単に言うなら、人間、知らないものについては存在しないことになっている、ということだ。「イギリスの保険会社がスマートフォンの表面の汚染度を調査したところ、平均して便座の10倍という数値だったそうです。我々の持っているスマホは、おおむね便座の10倍汚いんです」ということだって、知らないということでばい菌なんて存在しないことになっているのだ。

 知らなければ存在しないし、知ってしまうと存在してしまうということは、考えてみれば当たり前のことだが、困ったことに「本来は架空のものであっても、それを本物だと認識すれば、それは認識者の世界では本物になってしまう」から厄介だ。それが「予言の自己実現」を可能としてしまう。かつてオイルショックの時には、石油の値段が上がるとトイレットペーパーが買えなくなるらしいという噂が広まると、本当かどうかは疑わしいが店に走ることになる。今年も米の値段が上がると、たちまち米騒動が起こったのは記憶に新しい。

 「予言の自己実現」というのが厄介なのは、たとえば結婚式で分かれる切れるといった言葉を使うと、それが予言になってしまうかもしれないと禁句となることである。だから、実現させたくないことは、口に出さないようにする。戦時中に「戦争に負けるかも」と言えば、本当に戦争に負けるかもしれないので、誰ひとり言い出せなかったのである。知らないフリをしていれば、そんなことにならないと自分に言い聞かせているに違いない。
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