夕方犬を散歩させていたら、時々顔を会わすオッチャンと出くわした。以前は犬を飼っていたが、死んでしまった後は、ひとりで歩いている。「暖かくっていいねえ」「もう雪は降らないんでしょうね」と時候の挨拶をすると、「うちの庭の隅のフキノトウが顔を出したよ」と教えてくれた。この前、ハウス栽培のフキノトウを食ったが、フキノトウ独特の風味は少なかった。いよいよフキノトウが地面から顔を出したとなると、こうしちゃおれないのだ。
と、昨日は張り切っていたのに、今朝の散歩ではすっかりそのことを忘れていて、フキノトウの群生地を通りながら、全然思い出さなかった。家に帰って「しまったぁ〜」と叫ぶ始末である。歳を取ると、物忘れが激しくて困る。
今年は東日本大震災から10年になる。僕が初めて福島にやってきたのが、震災後の6月だったから、それから10年近くが経ったということだ。来た当初は、まだまだあちこちで倒壊したり傾いたりした家屋が多く、屋根にビニールシートを被せた家も数多く見られた。
近くには原発事故による避難で、仮設住宅があちこちにあり、モニタリングポストがあったり、除染のための土壌の除去作業が行われていたりで、物騒な雰囲気が漂っていた。放射線の影響で、地の農作物や魚介類も口にすることはできずにいた。山菜やジビエなどは、今持って販売禁止である。
10年も経つと、さすがに危機意識は薄くなる。柿の実がなれば干し柿にするし、梅がなれば梅干しを作る。フキノトウが顔を出せば、天ぷらにするのを楽しみにしている。放射線は減ったとは言え、なくなったわけではないだろうが、年に一回、少しだけ口にするなら、目に見えて体に変調はきたさないだろうとタカをくくっている。
震災直後は、甲状腺ガンのおそれのある子供たちが福島県で数多く見つかったとニュースになった。チェルノブイリの原発事故では、たくさんの子供たちが甲状腺ガンになったという報告があったので、福島でもかと心配した。
が、その後、放射線による健康被害は、廃炉作業をする人たちを除けば、重大なニュースにはならずにいる。国連の調査でも、当初心配した放射線による被害はほとんどなかったという結果が出ている。これは実際に住んで、肌で感じている結果と同じである。
事故直後、甲状腺ガンのおそれのある子供たちがたくさん見つかったというのは、診断する機械の精度が過剰に高すぎたため、発病のおそれのないガン細胞まで発見したからだと説明している。
が、健康被害はガンだけではない。それ以上に問題なのは、故郷を失い、人々との繋がりを切られた人たちの心のあり様のほうが問題だ。地震の被害からも津波の被害からも免れながら、その後、自殺する人が絶えない。福島県の肥満率と喫煙率は、全国でもトップクラスというのも、もしかしたら震災とは無関係ではないのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます