ブログを書こうとページを開くと、「gooブログのサービス終了のお知らせ」が表示されているではないか。終わる時期は今年の11月18日だという。このブログを開設する前は、ホームページを自分で作ってせっせと書き込んでいたが、そのうちホームページ自体が人気がなくなったのか、無料だったのが有料のサービスになったのを機会に、このブログに移行した。
が、ブログもそろそろ人気がなくなってきたのか、サービスを終了するというので、また別の手段を考えなくてはならない。大体、最近は長文を読むことが苦手という人も多いし、書く文章はほぼおしゃべりの延長だから、短いセンテンスでしかない。明治時代にそれまで話し言葉と書き言葉が別々だったものを、小説家なんかが言文一致運動を始めた。「話すように書きたい」というのが目標だったが、中には芥川龍之介のように「書くように話したい」という天邪鬼もいたりして、僕なんかは「なるほどなあ」と感心したものだ。
近頃はもっぱらしゃべるようにしか書かなくなっている。そのせいか文字だけでは伝わりにくくなっているので、絵文字だったり文章の終わりに(笑)なんて説明を入れるのが主流だ。直近では書いてから送信するのではなく、書いている文章が同時進行で相手のスマホに表示されたりするらしく、「だったら最初からしゃべれよ」と僕なんかは苦笑してしまうのである。
なんでもかんでもスマホやタブレットでという風潮の中、デジタル先進国のフィンランドでは、世界に先駆け教科書は100%デジタルでタブレットやパソコンを使うようにしたところ、子供たちの理解度が落ちてしまったということで、改めて紙の教科書に戻したそうである。
日本なんかはひと周り遅れているので、これから学校ではタブレットなどの使用がどんどん増えるだろうが、物事を理解するには利便性や効率だけでは測れないものがあるようである。人間は文字を発明した時から、記憶力が低下し続けているという。スマホの登場により、ついに何も記憶しなくてもいい世界を誕生させた。スマホが命の次に大切だという若者が増えるのは仕方がない。なぜなら、手のひらの上に自分の脳みそがあるようなものなのだから。
さて、ブログの終了後、どういうサービスを使えば今までのようにネットを利用することができるだろうか。その辺のところをこれから半年近くかけて考えなければならなくなったのである。
が、ブログもそろそろ人気がなくなってきたのか、サービスを終了するというので、また別の手段を考えなくてはならない。大体、最近は長文を読むことが苦手という人も多いし、書く文章はほぼおしゃべりの延長だから、短いセンテンスでしかない。明治時代にそれまで話し言葉と書き言葉が別々だったものを、小説家なんかが言文一致運動を始めた。「話すように書きたい」というのが目標だったが、中には芥川龍之介のように「書くように話したい」という天邪鬼もいたりして、僕なんかは「なるほどなあ」と感心したものだ。
近頃はもっぱらしゃべるようにしか書かなくなっている。そのせいか文字だけでは伝わりにくくなっているので、絵文字だったり文章の終わりに(笑)なんて説明を入れるのが主流だ。直近では書いてから送信するのではなく、書いている文章が同時進行で相手のスマホに表示されたりするらしく、「だったら最初からしゃべれよ」と僕なんかは苦笑してしまうのである。
なんでもかんでもスマホやタブレットでという風潮の中、デジタル先進国のフィンランドでは、世界に先駆け教科書は100%デジタルでタブレットやパソコンを使うようにしたところ、子供たちの理解度が落ちてしまったということで、改めて紙の教科書に戻したそうである。
日本なんかはひと周り遅れているので、これから学校ではタブレットなどの使用がどんどん増えるだろうが、物事を理解するには利便性や効率だけでは測れないものがあるようである。人間は文字を発明した時から、記憶力が低下し続けているという。スマホの登場により、ついに何も記憶しなくてもいい世界を誕生させた。スマホが命の次に大切だという若者が増えるのは仕方がない。なぜなら、手のひらの上に自分の脳みそがあるようなものなのだから。
さて、ブログの終了後、どういうサービスを使えば今までのようにネットを利用することができるだろうか。その辺のところをこれから半年近くかけて考えなければならなくなったのである。









