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おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

意味不明な日本国憲法

2025-04-11 12:10:11 | 日記
 この前から「ことばの番人」(髙橋秀実著)を読んでいる。髙橋さんの本は、クスッと笑わせながら、実はかなり深いところを指摘していたりして、好きな作家のひとりとして何冊も読んでいる。今回の本は、言葉の番人としての校正についてレポートしたものである。

 僕は昔、アルバイトで1年間だけ新聞の校閲をやったことがある。校正と校閲、何が違うのかと思っていたら、原文とゲラ原稿を突き合わせ、一字一句原稿と入力(昔は職人が字母という活字をひとつずつ並べていた)した文字に、間違いがないかをチェックするのが校正、文字だけでなく文章の中身が事実に反してないかまで調べるのが校閲ということになるらしい。

 簡単に言えば、校正は何が書いてあるかわからなくても字面だけチェックし、校閲は何が書いてあるのか理解した上でチェックするということになるのだろう。どちらも誤植と呼べるものだが、校閲をやりすぎると、作家が書いたものなのか、校閲する人間が書いたものなのかわからなくなってしまうのである。

 で、「ことばの番人」の最後の方で「日本誤植憲法」という章が出てくる。法律には誤植はつきもので、その辺の本よりよほど多いらしい。最近のネットニュースの記事も誤植だらけだが、同じくらい法律は訂正がつきものらしい。

 文章があれば必ず間違いがあると思っていたほうがいいようで、日本国憲法も誤植だらけというのは制定当時から言われていたという。というのも、日本国憲法のオリジナルはマッカーサーが英語で書き、それを日本側が日本語の憲法に書き換え、その後再び英語に訳した上で、アメリカのチェックを受けていたのである。

 そうしたやり取りを繰り返した結果、当然のように伝言ゲームみたいに少しずつ中身が変化し、本来の意味合いが歪んだり、反対の意味になったり、おかしな日本語になったりと問題だらけなのだそうだ。それだけでも、憲法の改正はやらなければならないのだが、憲法を書き換えるというのは憲法改正になるため、国民投票やらいろんなことがまとわりついていて、おかしな憲法はおかしな憲法のままありがたがられている、ということになっている。

 昔、江戸幕府を作った徳川家康は外国に国を開こうとして、日本のあちこちの港を外に開いた。ところが、家康の死後、なぜだか日本は鎖国の道をたどり、家康さんが定めたことだからと江戸幕府が滅びるまで、勘違いしたまま鎖国政策は続けられたのである。

 「日本国憲法」を図書館で借りて読んだことがある。戦後すぐの憲法だっただけに、参議院のことが前提になっていなかったり、公衆衛生はあっても環境のことが触れられていなかったりと、今すぐでも変えないといけない項目がかなりある。

 そんな中、憲法を読んだ時から、意味がいまいちわからなかったのが第25条にある「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」である。よく読むと、これでは「すべての国民は、最低限度の生活を送る権利があるんだよ」と言っているのと同じである。これは僕が天邪鬼な読み方をしているのではなく、昭和21年の国会でも議論になっている。これでは「国民が貧乏で暮らす権利を持って居る」(帝国憲法改正案特別委員会)ことになり、「貧乏権」にすり替わっているのである。

 日本語は立派で偉そうな表現をするほど、間違いやすいらしい。
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