おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

旅のヒント

2018-04-20 11:52:24 | 福島

 芭蕉さんもそうであったように、春という季節は気持ちもそぞろになり、尻の下がムズムズし始め、空を流れる白い雲ばかり眺めて暮らすようになると、漂泊の思いが強くなる。かつては旅といえば若者の代名詞みたいなもので、目的地を持たないバックパッカーがあちこちをうろついていた。

 最近の若者は旅と言っても、お年寄りのツアー旅行のように、観光名所やインスタ映えするような場所ばかりに出かけたがるばかりで、若い頃の特権であるアウトサイダーとして世の中を見て回るというような動機は薄くなっている気がする。

 ところが、年配の人たちの旅行熱というのは、よほど時間を持て余しているのか、昔とは比べものにならないくらい盛り上がっている。

 僕が旅行した経験でも、日本全国の道の駅は車中泊をする年配の人たちで溢れかえっていて、旅行者とわかるとすぐに寄って来ては、自分の車と旅行の自慢が始まるのである。車で一日に移動できる距離というのは大差がないから、いく先々でこういった人たちと再三顔をあわせるというのはしょっちゅうだった。近頃は、車中泊のための雑誌も出て、どういう車を買って、どういう改造をすれば快適な旅行ができるかなんて記事が氾濫している。でも、旅行なんてのはそもそも人によって目的も違うのだから、千差万別が当たり前で、そういう雑誌が創刊されること自体、ツアー旅行と同じようにオリジナリティーが不足しているのかもしれない。

 定年退職したら日本中を旅行してみたいという人は結構多い。キャンピングカーやハイエースのような大型のバンを買って改造したいというような話も聞くが、僕の経験から言えば、旅行で一番ストレスが溜まるのは機動力のなさである。出雲大社の駐車場で、列車のようなキャンピングハウスを牽引した人に出会ったが、満車の駐車場に止めるだけで、1時間はかかっていたのを見ていると、きっと二度と旅行には出ないだろうなと考えてしまう。

 城下町や山村や漁村では、大きな車はストレスの塊となる。地元の人間はほとんど軽自動車で移動しているが、普通車でも狭くて大変な道というのは日本中にある。自分の理想のスタイルで旅行したいというのは、机上の空論に終わってしまうのである。

 もうひとつ旅行をしていて大切だと思うのは、ただ漠然とあちこちを見て回るのではなく、自分なりに形の残る目的を持つべきである。訪れた場所で俳句を詠むとかスケッチをするとか、写真作品を作るつもりでカメラをかまえるとか、とにかく旅行記を書くくらいの意気込みはあったほうがいい。旅行後、ひとわたり知り合いに土産話をしてお終いでは、その旅行が空虚な時間を浪費しただけの中身の薄いものになりがちだからである。

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