阿部ブログ

日々思うこと

「光明の入口」に勇気づけられ、田川健三の「新約聖書 訳と註」の訳業に感動する〜

2018年05月22日 | 雑感
新幹線の移動などで、暇な時、スマホに格納してあるKindle版の「光明の入口」を訓むのが半ば習慣化している。他には内藤湖南の著作も入っており「弘法大師の文藝」も良いのだが、デフォルトで飛ばし読みするのは、ヨンジン・テンジン・ナムダク・リンポチェの「光明の入口」なのだ。

    

リンポチェは、ブッダの悟りについて「苦しみは浄化可能だということ」だと言う。心の穢を浄化することが出来れば、それこそ本当の喜びであり、まぎれもない幸福なのだ、と説く。
また、この先、どれくらいの人生がのこされているのか、それは誰にも分からない。せっかくの人生のかけがえのなさに気づいても、もう多くの時間は取り返しがつかない。そうだ、もう自分に残された時間はそうあるまい。
しかし、リンポチェは、「だが、今まであなたが善行や功徳をどのくらい積んできたのか、ということは知ることができる」と言う。
それは、「ブッダの教えに出会い、その教えを修業できていることこそ、今まであなたが生きてきた人生がもたらした良い結果」だと、成る程。
それから、カルマの教えを説くのだ。これは、個人的に腹落ちする教えで、ユダヤ教やキリスト教などの、所謂「神」なるものを持ち出す宗教を信ずる事はできない。小室直樹が、日本人は、聖書の奇跡を信ずる事はできないだろうと書いていたが、将にその通りだ。最近は、国際政治を真に理解するには宗教を知る必要があると言われており、旧約聖書や新約聖書などを読んでいるが、まあ、時間の無駄だと感ずることが多い。

ちょっと脇道にそれるが、田川健三の「新約聖書の訳と註」は、読めばわかるが、異教徒のワタクシでも大いなる訳業で大業であることは容易に理解できる。素晴らしい仕事だ!
特に最終巻である「ヨハネの黙示録」は、大部で中身も濃く読み抜くには、それ相応の時間と忍耐を要するが、所々にある「付論」はきちんと読んだ方がよい。
248頁の「オリーブ油と葡萄酒、ローマ帝国の保護主義的減反政策。レナック説について」
393頁の「熱心派の籠城」
433頁の「神は王? 政治の言語と宗教の言語」
513頁の「新約における非人称三人称複数について」
52良いの「ローマ帝国の貨幣経済、黙示録とマルクス」この付論は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官を思い起こさせるような記述で驚かされる。必読ですよ。
534頁の「皇帝礼拝という歴史的幽霊」
651頁の「再生のネロの伝説」
これらの論考は圧巻。キリスト教徒でなくても一読の価値はあります。

            

さて、リンポチェは、人身を得る貴重さ、無情や死は誰にでもやってくる必然などを説く。そして懺悔しろと言う。そして供養を積めと。またどうせ輪廻転生して生まれ変わるのだから、あらゆる生き物を慈しむ慈悲心を培えと。今ある生に、感謝と祈りと供養を忘れるな、と言うことだ。
そして神道もリンポチェが言う浄化の重要性を強調する。つまり大祓詞の「天津祝詞祓清太祝詞秘辞」にある罪と咎と穢を清めることであり、ブッダの悟りは前述のように「苦しみは浄化」可能であると言うこと。そしてこれが今のワタクシの福音であるのです。

※過去ブログ:「四川チベットの宗教と地域社会