O's Note

いつまで続くか、この駄文

新聞ネタ2題

2007-03-30 21:13:37 | 多分駄文
 今朝、新聞を読んでいたら、「これ、絶対ブログネタ」と思ったのがありました。
 一つはこれ。ちなみに我が家では道新と日経を取っています。この新聞は取っていませんが、詳しく出ているので紹介します。
 気になったのが、白石真澄氏の発言。
 議論していないのだから会議全体の問題ではなく、白石氏の個人的意見なんでしょうが、ちょっとやり過ぎ(いい過ぎ)じゃないでしょうかね。
 道徳教育を徳育といわせるのもどうかと思いますが(道徳でなぜ悪い?)、それを評価するっていうのは、いただけませんね。価値観にかかわる内容だけに、教師の思想信条に左右される可能性大だと思います。道徳教育に反対はしませんが(むしろ賛成)、それは教科の別枠で取りあげるべきじゃないかと思いますが・・・。

 そしてもう一つは笑っちゃった話題。こちらは日経。
 「助教授、来月から『准教授』に」というのがタイトル。
 一般的には、教授、助教授、講師というのがなじみがあるでしょう。ところが、文科省の方針で、次年度から教授、准教授、助教、助手という制度に変わります。助教授から准教授というのは、名前からしてカッコイイ変更(本当はそんな名称の問題ではないのですが)。講師という名称は、制度上は無くなります(でも、置いといても問題はありません)。助教は、従来の助教授または助手の新しい名前ということになりますが、助教授から助教になることはないでしょうから、実際には助教=従来の助手ということになるでしょう(助教は講義が担当できる助手です)。
 日経の記事も、その制度変更について紹介しているのですが、その紹介の仕方が笑わせてくれます。

 「教授の職務を助ける職」というのが従来の助教授の定義。だが、実際には教授を上回る実績を上げるケースもある。

 国立大学法人や理系学部でどのように扱っているのかはわかりませんが、私立文系出身の小生から見れば、助教授が「教授の職務を助ける職」という意識はありませんでした。あくまでも、講師から始まり、実績を積んで助教授になり、さらに実績を積んで教授になるという「階段」として考えていました。
 そう考えれば、「教授を上回る実績を上げるケース」というのは、決して問題なのではなく、力がある研究者は、教授よりも成果を上げるのは当たり前。教育者としての教員を考えても、教授の手助けをしているのではなく、一人の専門家として講義を担当しているのであり、決して教授の手助けをするために講義を展開しているのではありません。
 このように見れば、ごく限られた理系分野の旧態依然とした制度(これも実態がどうかはわかりませんが)を打破するために制度変更が行われたと思われるわけで、文系を主体とする私立大学には、あまり意味がある変更とは思えません。
 でも、この変更はかなりの強制力を持っており、もし変更をしない場合には、著しいペナルティ(補助金が交付されない等)があって、こんなことのために学生さんの教育環境が影響を受けるのは忍びないわけで、各大学とも、次年度は助教授から准教授に「名称」変更するのでしょう。かくいう勤務先も変更いたしました。

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