AB隊長の山日記

へろへろ山登りの記録

鉢形城址(弱点をどうやって克服?の巻)

2017-07-31 | 城の旅
鉢形城の弱点は南側が台地で続いており要害が少ないため攻めやすいと言う事。

諏訪神社の馬出が最前線。

さて、どうやって防御をしているのでしょうか。

諏訪神社はほぼ三の曲輪の西端となります。

三の曲輪の桝形虎口と諏訪神社馬出の前が大手となります。



筋違いに大きな堀が築かれております。

堀は深くそして深くきっと水が張ってあったものと思われます。

そして、当然土塁が高く伸びていたことでしょう



そして、逸見曲輪に入ると外部沿いには大きな池があります。

幅は40mくらいあるでしょうか。

この堀が東の要害である深沢川まで続いているのです。



そうです。南側の防御は大きな水堀と土塁で固まてありました。

同じ写真ですが、池の中には弁天社のあった島がありますよ。

北条氏の城には池に島を造るのが多く見受けられます。



馬出から続く、次の堀と土塁の跡。

林のあたりが深沢川です。



堀の中には畝が見えます。

この畝は山中城の畝と同じ役割なのでしょうか。いつ造られたかは知りません。



二の曲輪に接続している馬出と手前の堀。



石積見されていて、堅牢に作られてますね。

大きな堀の後ろに平らな曲輪があり、多くの人を入れて守ったのでしょうね。



左が三の曲輪。右が二の曲輪。

写真を撮っている位置も本来は堀と土塁があったのでしょう。



堀はもっと深く、土塁はもっと高く、むき出しの土。

攻めにくかったと思いますね。





なかなかの機能美ですよね。



馬出。



4方向ともに堀と崖に囲まれています。

守るときは守り、優勢となれば飛び出していったのでしょう。





大きな堀の排水路。深沢川に流れています。

ここで堀の水位を調整していたのでしょう。



深沢川の急な崖。



二の曲輪と本曲輪の境の馬出まで戻ります。

ここの土塁は立派ですね。



昔もここに橋が架かっていたのでしょう。



橋から川の崖を見上げます。



複雑な地形です。



外曲輪に登ってゆきましょう。



振り返ってみると土塁が割れているので、もしかしたら門構えがあったかも。

想像するのが楽しいですね。



外曲輪に戻ってきました。

右側が歴史館。



駐車場に戻って本日の鉢形城の見学を終了いたしました。



いやいや。なかなか。

鉢形城に初めて来たのは、東武鉄道の外秩父七峰縦走ハイキングのゴールになってたため。

その時はそれほど城に興味も無く、通り過ぎてしまいました。

関東には北条氏の築いた城が多く残っていますが、さすがの北条氏。

いい城ですね。


それでは、また今度。







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