ゴルフの空(GET Golf Academy 主宰 松村公美子のブログです)

ゴルフレッスンのこと、スイング理論(ゴルフスイング体操)のこと、日常でのこと、色々、時々、書いています

65年後に伝えるゴルフとは…

2010年08月16日 | ゴルフ理論…私の見解
昨日のブログに、「8月15日は、日本人にとって、過去から繋がる今と、未来に繋がるこれからを考えてみる日」なんて書いた。

だったら、私は、”未来につながるこれからをどう考えるか?”と、また、考えてみた。

プライベートなことは別として(笑)、仕事に対して、ゴルフを伝える立場として…。
ゴルフの何を伝えるか?
ゴルフの何を教えるか?
今、レッスンをしていること、今、伝えたいと思っていること。
これらのうちで、何が要って、何が要らないのか?

要らないと思うものは削除し、要ると思えるものは残して行きたい。

要ると思えるものは、さらに、これから、また65年の歳月が流れたとしても、ゴルフを楽しむなら、多分、変わらずに要ると思えるもの。
それは、何か?

先ず、スイングに関しては…。
65年経っても、人間の骨の形や筋肉の付き方は、そう変わらないだろうから、”これ”を考えた上でのゴルフスイングの追求は、要ると思える。

クラブに関しては…。
65年後のクラブが、どのように進化しているかは、ちょっと想像できない(苦笑)。
私がゴルフをはじめた25年くらい前からのクラブの進化を考えても、パーシモン→メタル→チタン→(ヘッドの大型化を可能にした)軽量チタン、と変わって来た。
クラブが進化するのと共に、やはり打ちやすくなったし、飛ぶようになった。
これから、65年後までには、また、新たな素材のヘッドが開発されるだろうとは思う。
だけど、それがどんなクラブなのかは、分からない。
今では展示物としてしかお目にかかれなくなった、ヒッコリーのクラブなんかを見ると、「こんなクラブで、よくゴルフをしていたものだ…ボール、飛んだのかな?」って思う。
現在のクラブも、65年経てば、「よく、こんなクラブで…」なんて思われてしまうのだろうか?
だから、クラブに関しては、その時代、その時代で、ご自身の気に入ったクラブを使ってもらえれば良いかな…って思う。
65年後には、ドライバーの飛距離300ヤードが”当たり前”になっていたりして?(苦笑)。

ウエアに関しては…。
これこそ、流行りすたりが有る(笑)。
自分なりのポリシーに合ったウエアを着ていれば良いと思う。
ただし、日本ではジーンズは今のところNG。
下着に見えるようなウエアや、だらしなく見えるウエアもNG。
ゴルフ場に来場する際には、ジャケット着用が、現在の”定番”。
65年後、果たして、ウエアに関しての規制は緩和されているだろうか?

ルールに関しては…。
4年に1度、オリンピックの年に見直されているので、徐々に変わる部分も有ると思う。
だけど、OBが1ペナとか、池に入れば1ペナなどの基本的なところは、変わらないと思う。

エチケットやマナーに関して…。
これは、ゴルフの精神を考えるなら、65年経っても、変わらないと思う。
ゴルフにも歴史が有るが、その根底に流れ続けて来ている”ゴルフを楽しむ際の心構え”のようなものは、65年後までも受け継いで行かなくてはいけないと思う。
これを変えたら、ゆがんだゴルフになりそうだし、この部分に関しては、変えてはいけないと思う。

ゴルフをしていて良かったなと思うことに関して…。
これは、人それぞれ、どんな風にゴルフに取り組み、ゴルフを楽しんでいるかによっても変わると思うので、その人なりに良かったなと思うことを、後世に伝えて行って頂ければ…と思う。
「いくつになっても健康でいられるのは、ゴルフのおかげ」
「ゴルフは審判のいない、自己申告のスポーツ。だからこそ、”ここ”から学べたことが有った」
「”スロープレー厳禁”から、学べたことが有った」
「ゴルフと向き合うことで、自分の性格とも向き合うことが出来た」
「ゴルフをしていたことで、人生を学んだ。順風に進める時もあるし、そうでないときも有る。一度、歯車が狂い出したら、何をやっても噛み合わない時もある。だけど、それを止められるのは、結局、自分だと思う」
「どんなことがあっても挫けずに、窮地に陥ったとしても、短気を起こさずに乗り越えて、とにかく前を向いて進まないといけないと、ゴルフが教えてくれた」
などなど、なんでも…。
”ゴルフ哲学”は、教えられるもの、押しつけられるものではなくて、気付き、学び取って行くものだと思うから。
どれくらい多くのことを学び取れるかも、人それぞれだと思うから。
ただ、友達と一緒に遊べて楽しいだけに留まらず、スコアを良くすることだけに意識を向けずに、ゴルフをすることで色んなことを学び取ろうとする気持ちでゴルフに取り組んでみて下さいねとだけは、私から、65年後の人達に”遺言”のように(笑)伝えたい。

…と、これらのことを書き挙げてみると、おのずと、要るもの、要らないものが見えて来るような気がする。
そして、現在を生きている私に出来ることは、65年後でも要るものを追求して行くこと、65年後でも変わっていないであろうものは何かを考えながら進んで行くことなんじゃないかと思った。

人間一人の力は小さい。
一人の力で、出来得ることなんて、たかがしれている。
だけど、65年経っても変わらないものを大切と考えて進んで行く自分でいたいなって…。

そんな風に思った8月16日なのでした。

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