「平日の上野で美術館・博物館をハシゴ #1」のつづき、「ゴッホ展 巡り行く日本の夢」の見聞録です。
聖職者になるつもりだったファン・ゴッホ、その夢が破れて、今度は画家になろうと決心したのが1880年(27歳)のとき、そして、大志をいだいて(?) 花の都・パリに出てきたのは1886年(33歳)のときだったといいますから、「中央画壇」にファン・ゴッホが加わるのは結構遅かったんですな。
古い話ですが、学校の教科書にファン・ゴッホの「馬鈴薯を食べる人たち」が載っていて、その暗さにあへぇ~となった記憶があります。
また、2000年に、知人からいただいたチケットで劇団民藝の「炎の人」(主演は故・大滝秀治さん)を観たときも、そのひたすら暗く、地べたを這いずり回るようなファン・ゴッホの描き方にあへぇ~となりました。
私がファン・ゴッホに抱く、絵具自体が輝き、夜空さえも光に満ちているイメージとはかなり違う。
左に載せたのは、今回出展されていない「星月夜」(1889)の部分ですが、この色遣い、このタッチ、これぞファン・ゴッホ と思う私です。
さて、ファン・ゴッホがパリに出てきた1880年代末というのは、印象派の爛熟期であり、また、ジャポニスムの最盛期ともいってよい時期で、ファン・ゴッホはこの両者の洗礼を受けたのは必然だったのかもしれません。
ファン・ゴッホは画商サミュエル・ビングの店の屋根裏で、大量の浮世絵を観て「日本」に開眼、浮世絵を買い集めて展覧会まで開くようになります。
さらに、1888年2月には「日本」を求めて南仏のアルルに移住してしまうのですから気合いが入っています。
でも、なぜファン・ゴッホが、アルルに「日本」を見出そうとしたのかがよく判りません。
萩原朔太郎ばりに「じゃぽんへ行きたしと思へどもじゃぽんはあまりに遠し」ということもあるでしょうけれど、地中海性気候の南仏って、湿潤で四季が明瞭な日本とはかなり違う環境だとおもうのですけど…
ところが、ファン・ゴッホがアルルに到着した日は記録的な寒さで、雪景色が広がっていたのだそうな。
ファン・ゴッホの
雪の中で雪のように光った空を背景に白い山頂を見せた風景は、まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった
という手紙からは、「やはり俺の見立は正しかった」とはしゃぐ彼の様子が目に浮かぶようです
さらに、
ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい
とまで言い切って(書き切って)いるのですから、「おめでたい」とさえ思います。
もっとも、ここまで来れば、ファン・ゴッホの頭の中に存在する「日本」は現実の日本とは別のものになっていて、現実の日本はどうでも良い(1889年には大日本帝国憲法が公布され、日本は富国強兵の真っ盛り)とまで思っていたのかもしれません。
舞い上がる気持ちを胸にアルルにやって来たファン・ゴッホは、同年10月には、念願だったポール・ゴーギャンとの共同生活を始めました。
もっとも、
日本の芸術家たちがお互い同士作品交換していたことにぼくは前々から心を打たれてきた。これら彼らがお互いに愛し合い、助け合っていて、彼らの間にはある種の調和が支配していたということの証拠だ。もちろん彼らはまさしく兄弟のような生活の中で暮らしたのであり、陰謀の中で生きたのではない。(……)また、日本人はごくわずかな金しか稼がず、素朴な労働者のような生活をしていたようだ。
という「誤解」あるいは「美化しすぎた日本」を現実のものにするのは難しいわけで、ほんの1ヶ月で、両者の「性分の不一致」(ゴーギャンの手紙)が明らかになります。
そして、12月の「耳切り事件」(ファン・ゴッホが切り落としたのは耳たぶらしい)を契機にゴーギャンはパリに戻り、共同生活はあっさりと終了しまいました。
精神に異常を来していたファン・ゴッホは精神病院への入院・退院を繰り返しながらも制作を続け、1890年7月、胸の銃創が原因で死去。
この銃創が、自殺を図ったものなのか、事故なのか明らかではないらしいのですが、それにしても、南仏にやって来てから亡くなるまでわずか2年半とは…
そして、その2年半の間に描かれた作品の質・量には唖然としてしまいます。
上に載せた「オリーブ園」(1889年)なんて、良いなぁ~
ゴーギャンとの共同生活が破綻した後には、ファン・ゴッホの手紙に日本についての記述がほとんどなくなったそうですが、日本や日本美術に対する思いは残っていたようで、下に載せた「渓谷(レ・ペイルレ)」なんかは、
歌川広重の「五十三次名所図会/四十九 坂の下 岩窟の観音」を彷彿させます。
この渓谷を目の当たりにしたファン・ゴッホの脳裏には、広重の作品がよみがえったんじゃなかろうか…
「日本マニア」だったファン・ゴッホは、結局、日本に来ることなく世を去ったわけですが、実際に明治初年の日本にやって来たらどんな印象を持ったのだろうか? なんて考えてしまいます。
平屋建ての木造民家が並ぶ様子や、まだ和服姿が多い通行人に「浮世絵のとおりだ」と感激するか、「文明開化」と称して外観だけ西洋化にひた走る風景や人びとのありさまに幻滅するか…
タイムスリップを扱う映画・ドラマ・小説は少なくないけれど、同時代に遙か遠い地に移動してしまう作品にはお目にかかったことがありません。
精神病院に入院中のファン・ゴッホがまどろむうち、同時代の日本に瞬時移動する作品なんて面白そう…
そんなことを考えたゴッホ展の「第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム」でした。
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