新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2017年3度目の関西旅行記 #2-14

2017-12-31 18:09:27 | 旅行記

久しぶりに「2017年3度目の関西旅行記」「#2-13」のつづきです。

海上自衛隊北吸桟橋には、陸上での物資の運搬に使用されていると思われる「車両」が何台も置かれていました。

」

って、俗にいう「リヤカー」です

護衛艦と違って「車籍番号」が書かれていないようで、北吸桟橋共用のものかと思いきや、

こちらのリヤカーには、しっかと「まつゆき」と書かれておりまして、

右側に写っているDD-130「まつゆき」専用リヤカーであることが示されています。
ちなみに「まつゆき」のリヤカーひっくり返っているのは、邪険に扱われているのではなく、四方にあおりがつけられているこのリヤカーの荷台雨水が溜まらないようにするためと推察いたします。

それにしても、最新鋭レーダー兵装を誇る護衛艦隊リヤカーを使っているとは思いもよりませんでした。

もっとも、Wikipediaは、リヤカー欠点2点載せておりまして、

  • 急坂に弱い(上り坂・下り坂とも)。
  • 自動車などの往来が激しい場所の移動では、機動性の違いによる交通事故や交通渋滞が懸念される。

だとか。
でも、この欠点は、使われるのが北吸桟橋の敷地内に限れば、まったく問題はありませんで、

  • 人力によれば、燃料代などの経費が掛からない修理・整備も簡便で維持費も掛からない
  • 機動性に富み、小回りが利く。普通の体格の人間であれば、荷物運搬時の牽引でも取り扱いに特段の訓練を要さない
  • 頑丈な作りのリヤカーで平坦な舗装道路上であれば、最大1トンの荷物が運搬可能である(通常のリヤカーの積載荷重は350kg)

という利点のみが生きるわけですな
そして、Wikipediaには、

「海上自衛隊護衛艦『ひゅうが』のヘリ格納庫で使われているアルミ製折りたたみ式リヤカーの写真が載っておりました

   

ところで、北吸桟橋に停泊している艦船は、同じ艦隊を構成しているのかと思ったら、ちょいと違っておりまして、主要艦に限れば、こんな風な構成になっているのだとか。

3護衛隊群 第3護衛隊 (機動運用部隊)
  DDH-181 ひゅうが、DDG-175 みょうこう、DDG-177 あたご、
  DD-188 ふゆづき

第14護衛隊 (地方配備部隊)
  DD-130 まつゆき、DD-151 あさぎり、DE-232 せんだい

第1海上補給隊
  AOE-425 ましゅ

舞鶴地方隊 舞鶴警備隊 第2ミサイル艇隊
  PG-824 はやぶさ、PG-828 うみたか

こんな感じで海上自衛隊北吸桟橋の見学を終了したのですが、、、そういえば、イージス艦みょうこう」「あたご」不在でした…。
両艦とも、日本海で任務についていたのでしょうかねえ…

   

ということで、北吸桟橋から東舞鶴駅に向けて歩き出しました。
採ったルートは、大半が歩行者専用道路になっているこちら

このルート、遊歩道ということに加えて、眺めからしてもいわくありげ

そして、古いれんが造りトンネルまであるのですから…

雰囲気からも気がついた人もいらっしゃるでしょうが、これは旧国鉄 中舞鶴線廃線跡です。
東舞鶴駅=北吸駅=中舞鶴駅3.4kmを結ぶ短い路線で、R27(丹後街道)の南側を通っていたことが、赤レンガパークで展示されていたジオラマから判ります。

もともと軍港引き込み線として敷設された路線だそうで、この辺りもいかにも舞鶴らしい…

かつては舞鶴鎮守府海軍工廠へのヒト・モノのメインルートとして活躍したものの、戦後は自動車交通の発達で利用者が減少し、1972年廃線になったとか。

それにしても、廃線跡のトンネルって風情があります

こうして東舞鶴駅前まで戻った私は、なんば行きのバスに乗るまでの時間調整かたがたイタリアン昼食を摂りました。

隣の席にシニア世代ご夫婦が座ったのですが、このお父さんが、出されたピッツァを懸命にスマホ撮影 しようとしたのですが、スマホでの撮影に慣れていないのか、たまたまご本人が不調だったのか、なかなか撮れずに苦労していました。

写真なんかよりも、早く食べないとピッツァが冷めちゃうよ、と口出ししたくてたまりませんでした

こうして東舞鶴有意義なときを過ごした私は、予定どおりやって来た高速バスに乗り込み、大阪へと向かったのでありました。

【追記】諸事情により旧国鉄 中舞鶴線のことを追記します。

Wikipediaには、

京都府舞鶴市にある舞鶴線東舞鶴駅からスイッチバックして入線し、同市の中舞鶴駅までを結ぶ路線であった。中舞鶴線の建設目的は、舞鶴鎮守府の兵員ならびに軍需資材の輸送を主な使命とし、舞鶴港線とともに国策として建設され、1919年(大正8年)に鉄道院線として営業を開始した。
戦後も特殊貨物輸送で賑わいを見せたが、その後に国道27号が整備され、輸送量は減少、国鉄も鉄道の使命は終わったものとし、1972年(昭和47年)廃止された。廃止当時の営業係数は934だった。

と書かれていまして、この「東舞鶴駅からスイッチバックして入線」がよく判らない…
昔(1917年発行)の地図を見ると、

東舞鶴駅(旧・新米鶴駅)から西舞鶴駅方向に向かって400~500m進んだ地点でスイッチバックしたと考えられるのですが、わずか3駅、3.4kmしかない路線にしてはかなりムダの多いルートに見えます。急カーブになったとしても、東舞鶴駅から直接軍港・海軍工廠方面に向かうようにすればよかったのに…
もっとも、東舞鶴駅に停車する必要のない貨物列車の場合は、このルートが合理的ではありますな

そんなことを考えたあと、終点中舞鶴駅と唯一の途中駅・北吸駅(旧・東門駅)がどこにあったのか調べてみました。

まずは舞鶴市役所最寄り」だったという北吸駅はといいますと、あれま、上に載せた案内地図「現在地」と表示されている辺り、まさしくその下に載せた写真を撮った辺りだったそうな。とても駅があったとは思えない「狭さ」ですが、「1面1線」のホームしかない駅(JR相模線・厚木駅みたいな感じか?)だったそうですから、こんなものかもしれません

一方、終点の中舞鶴駅は、赤レンガパークにあったジオラマを見ると、

こちらも「1面1線」だったそうですが、側線がいくつもあって駅っぽい雰囲気が漂っています。
そして、その位置はといいますと、私が「東郷邸」を見学(記事はこちら)するべくR27から右折した「中総合会館前」交差点の付近だったそうです。

私が撮った写真では、奥に見える歩道橋の辺り。

「SLがあるなぁ」程度にしか思わなかったのが残念です。もっと予習しておけば良かった…

と反省の弁を以て追記を終了します。(2018/01/01 07:57)

つづき:2018/01/01 2017年3度目の関西旅行記 #2-15

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