新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2017年3度目の関西旅行記 #2-9

2017-12-14 23:04:19 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2017年3度目の関西旅行記 #2-8」のつづきです。

海軍記念館は、っつうか、舞鶴自衛隊関連施設全体で東郷平八郎色が濃かったわけでして、こんな展示までありました。

何かの帳簿なんですが、これはなんと、東郷元帥が舞鶴に住んでいた頃の所得税課税台帳

説明書きによると、

東郷中将(当時)の年収は、明治35(1902)年には4,500円だったものが、翌明治36(1903)年には、現在の価値にして5,000万円相当だという8,300円へと80%以上ジャンプアップしています。
これは、東郷中将が1903年10月に常備艦隊司令長官、さらに同年12月には第一艦隊兼連合艦隊司令長官へと「栄転したことが影響しているのでしょうか?

それにしても、当時の高級軍人って高給取りだったんですなぁ…
もっとも、

明治40年、高野五十六(山本五十六)当時少尉の年収430

だそうですから、格差デカかったということなのでしょう。

また、年収8,300円に対して所得税が166円だったということは、実効税率はたったの2%
今からするととんでもない低税率だったんですなぁ…
ここで、明治35(1902)年度の租税収入の内訳を調べてみました。
すると、こんな結果が出ました。

酒税:38.6%、地租:28.2%、関税:8.4%、所得税:4.5%…

あれまぁ~ ですよね。
ちなみに2015年度の租税収入内訳は、国・地方合計で、

所得税・個人住民税:30.6%、消費税:22.6%、法人税:19.8%、
固定資産税:8.7%、酒税:1.4%

と、激変しています。
明治期は、土地以外の資産を持って稼いでいる人たち、最近聞かなくなったいわゆる「資本家」にとってはウハウハの時代だったんろうな…。

それはともかく、個人の課税台帳晒すなんて、大丈夫?

   

東郷元帥といえば、旗鑑 三笠の艦上で日本海海戦の指揮をとる東郷大将(当時)を描いたを思い浮かべるのですが、この2種類あるって知っていましたか? (私は知りませんでした)
よく知られているのが、横須賀の三笠艦内に展示されているこちら(B図)で、

もう1枚が、こちら(A図)

どちらも東城鉦太郎画伯による作品で、この2枚を比較するパネルが展示されていました。

これによると、先に描かれた(1906年)のはに載せた作品(A図)で、このオリジナルは、

築地海軍記念館に展示中、関東大震災焼失。各方面からの熱心な要望で大正15(1926)年東城画伯が再び「三笠」に赴き再製したのがB図で、Bの原画は横須賀市・記念艦「三笠」の艦内にある。現在各方面に出ているのは大半がBの再製図である。

だそうで、記録をもとに、オリジナル(A図)再製画(B図)を比較した表が示されていまして、

これによれば、結論は、

最初に書いたAの方がBより当時の状況に近い

だそうです。

ところで、今年5月鹿児島旅行のとき、加治屋町の鹿児島中央高校の校地で「東郷平八郎誕生地」の碑と説明パネルを拝見しましたなぁ~ (記事はこちら)

   

さて、舞鶴地方総監部大講堂(旧海軍機関学校大講堂)は、

なんとなく学校の体育館のようでした。
でも、この建物は「#2-7」で書いたように、

昭和8(1933)年、海軍機関学校の当時の関係者が、昭和天皇の行幸のため約3カ月の突貫工事で建設したものです。

なわけで、その行幸時の写真が展示されていました。

この講堂のステージ中央に立つのは、いかにも昭和天皇(当時32歳)だ

こんな風にして海軍記念館の見物を終えた私は、再びの中に歩き出したのでありました。

つづき:2017/12/17 2017年3度目の関西旅行記 #2-10

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