映画備忘録

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ダークナイト

2015-01-19 23:47:30 | 映画
「ダークナイト」



クリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズの第二作目。
バットマンシリーズは昔一回通して観たきりですが、今回はなぜかいきなり二作目から感想を。


このバットマンシリーズほど、アメコミの立ち位置を代えた作品はないのではないだろうか。

スパイダーマンやXメンなど、アメコミ作品を映画化する流れは以前からあった。
しかし、それらはよくも悪くもアメコミの枠をでることなく想像の範疇内であったように思う。

別にスパイダーマンが悪いとは言わないが、個人的にはそんなに好きではなかった。
というか、そもそもアメコミに対して思い入れもなければ知識もないし、ましてや観たいなんていう気持ちはまったくなかった。
大方の日本人のアメコミに対する印象は大体こんな感じではなかっただろうか。


しかしである。

そのアメコミという、硬く、一部の人のみを受け入れていた枠をこのダークナイトは見事にぶっ壊してくれたのだ。
これをきっかけにアメコミは一部のフリークだけが観るものではなく、様々な世代の目に触れ語り合うものとなっていく。


第一作目のバットマンビギンズですでに従来の作品とは一線を画していたが、このダークナイトでそれを確固たるものとしたのだ。


この作品が、大多数の人々に受け入れられるに至った要因は幾つかあると思う。


ひとつはクリストファー・ノーラン監督の綿密なストーリー。
メメントやインセプションに代表される彼の作品は複雑なストーリーを紡ぎ出すのに定評がある。

今回も原作とオリジナリティの絶妙なバランスを保ちつつ、見応えのある作品を作り出した。

一作目のバットマンビギンズにおいて、主人子ウェインがなぜバットマンになったのか。
そして、彼がバットマンになり得る強さをなぜ手にいれることができたのか。
バットマンの成り立ちに重点を置き、しっかりと描くことによってキャラクターの厚みが増し、物語にも深みがでてきている。


そして、もうひとつ。
なんといってもジョーカー、ヒース・レジャーの怪演である。

あの眩いまでの悪魔的なカリスマ性、絶対的な存在感はどこからくるのか。

何度観てもブロークバックマウンテンで素朴な青年を演じたヒース・レジャーと同一人物とは信じられない。

彼も若くして亡くなってしまったので、出演作品はそれほど多くない。
その中で彼の代表作となったのは言うまでもない。
(故人としてオスカー助演男優賞をとっていることからもそれは明らかなわけだが。)

今までのジョーカーを演じてきた俳優には申し訳ないが、歴代のそれが文字通り道化にみえてしかたないほどである。

ヒース・レジャーの夭逝も相まって、このジョーカーの演技は後世まで語られることとなるだろう。
もう完全に主演のクリスチャン・ベールを喰ってしまっている。


そう、この映画はもはやヒース・レジャー演じるジョーカーの映画と化しているのだ。


ジョーカーの唇をぴちゃぴちゃとならす仕草。

狂気をはらんだ笑い声。
(本編を通して、どんな状況でも爆笑しているのだ。
取り調べ室でボコボコに殴られようが、最後の高層ビルから落ちようがである。)


自らの裂けた口のエピソード。



どれもとっても鬼気迫るものがある。


その中で、注目したのは裂けた口についてのエピソードを語るところ。

これが毎回違うのである。

酒に酔った父親に切られたと言ったかと思えば、今度は妻のために自ら裂いたと言う。

一体何が真実なのか。

人は、自分が理解できないものに恐怖を感じるが、まさにその象徴かのようなジョーカー。

ジョーカーをあそこまで駆り立てる狂気の根源がなんなのか。
結局、それが言及されることはない。
その、人間性を感じさせない謎の部分もまたジョーカーの存在を際立たせている。



ゴッサムシティーに現れた、絶対的な悪、ジョーカー。
彼の狙いは、ゴッサムシティーの正義の象徴であり、希望の光でもあるハービー・デントを悪の道に堕とすこと。
結果としてジョーカーの目論みは成功し、ハービー・デントは殺人犯になってしまう。

その点において、バットマンはジョーカーを捕まえこそしたものの、敗北したのである。
しかし、彼はゴッサムシティーの希望の光を絶やさないために、みずからハービー・デントの罪を被り姿を消すのだった・・・



というところで、ダークナイトライジングに続いていきます。
正直、三部作の完結編であるダークナイトライジングよりもこちらの方が面白いと思いますが。。


アメコミと思って敬遠している方は是非食わず嫌いせずに、一度観てください。
アメコミに対する先入観を全部吹っ飛ばしてくれます。



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