穏やかな年越し。本州方面は大荒れ。
家の中に射し込む陽射しは、暑いくらい。
神棚の清掃、お飾り、カレンダー取替え
が本日の分担。
溜めおいた録画やテレビを見ながら、
のんびりやっています。
通勤文庫は、チラチラ読みなので、記録
出来るほど進んでいませんが、面白そう
です。 . . . 本文を読む
昨夜から10cm程の積雪があった。
妻が ゴミだしのついでに除雪していた。
昼前には雪も止んだので、運動を兼ねて
我が家と通勤路の「除雪」を行った。
年越しの準備は、黒豆と昆布巻き、大根
と人参の線切(ナマス用)は私の担当。
. . . 本文を読む
正月休暇初日、朝から雪模様。
空港周辺の高速が、雪のため見通しが
悪く「閉鎖」されたとラジオの放送。
通勤文庫は、北方謙三の「楊家将上中下」
を読み始める。
声があがった時、騎馬隊は丘の稜線に姿を
現していた。見事な横列である。そのまま
逆落としにかかるが、隊列の乱れはなかった。
丘の下を通過中だった騎馬隊」は、敏速な動き
で小さくかたまった。
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楊業の館は代州の城郭の中にあり . . . 本文を読む
歩道は、相変わらずツルツルの危険状態。
迂回しようにも、安全な歩道は見つからない。
会社は仕事納めです。夕方から事務室の
大掃除。クリーナーの「微粒子」のせいか、鼻が
ムズムズするので「マスク」着用でした。
缶ビールと乾物で「乾杯」して解散。
通勤文庫は、
留守城を守る細川忠興の父、幽斎の友人
三刀屋孝和の言葉
「儂が治部少のために謀るならば、内府が西国に
領地なきゆえ、まずは島津に兵を . . . 本文を読む
天気は快晴。足元は最悪のツルツル歩道。
公園の道も、会社の近くも同じツルツル。
昼間は良いとして、陽が落ちてからは
さらに大変な状態になりそう。
最後の「忘年会」があった。会社から歩いて
10分ほどの鮨屋さんが会場。
ツルツル歩道を避けて、雪のない車道を
歩く方が安全に思え、後から通り過ぎる車を
気にしながら向かった。
通勤文庫は、
7月25日の小山評定。家康は、上方諸大名に
人質に取ら . . . 本文を読む
今朝の通勤路 雪が溶けた水溜り
向こう側は「公園の小道」が続きますが、
舗装面は見えていませんが、かなり、
溶けているせいか、歩き易くなっていました。
通勤文庫「乾坤の夢」
大谷刑部吉継は会津攻めに向かう途中、7月2日
三成から「陰謀」を打ち明けられ、三成の翻意が
望めないと判断し旧友と死ぬ覚悟をきめ、11日に
佐和山城におもむいた。
12日、三奉行は毛利輝元を総大将として上坂を
求めた。
1 . . . 本文を読む
祝日の朝 冬至の翌日のせいか
暗い朝でした。
午前中には 雪も振り出し、本格的な
冬に向かい始めている様子。
今シーズン初回の「排雪」がありましたが、
ショベルカーで一掻きで済む積雪です。
年賀状、宛名印刷を午前から開始し昼過ぎ
までには完了。
通勤文庫「乾坤の夢」は、
慶長5年(1600)4月 家康は、上杉景勝
へ城普請等の詰問のため上洛を要請するが無視。
6月2日 家康は、会津攻めの陣 . . . 本文を読む
昨夜 懇親会の後 向かった駅前
でみたツリーです。
4本のツリーは綺麗でしたが、寒さの
せいもあり、眺めているのは私1人の
ようでした。
今朝の体重、戻ってしまった。一喜一憂
しないことにしているが、落ち込む。
昨夜は、野菜、湯豆腐そして焼き鳥も
少な目を心がけたが、ビール中ジョッキ
1杯の予定を2杯にしたのが敗因。
通勤文庫、
慶長四年(1599)、家康は 接近する
諸大名に盛んに私恩を与 . . . 本文を読む
昨夜は雨でした。
それでも最低気温は零下になるので、
一夜明けた 今朝の通勤路は、化石ではないが
歩行者の足跡が、そのまま凍りついていました。
黒い部分は、全く歩きずらので、端の積雪部分を
歩くことになりました。
通勤文庫「乾坤の夢」は、
家康が、三成と七将の和議を斡旋します。
三成を隠居させ、政治の舞台から遠ざける
ことに成功します。
三成も、上杉景勝、佐竹義宣と協議して
家康攻略を . . . 本文を読む