《冬蜂紀行日誌》(2008)

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

テレビドラマ「だいすき」と「僕の歩く道」感想

2011-01-29 00:00:00 | 日記
2008年1月24日(木) 晴
   午後10時から、テレビドラマ「だいすき」(TBS)視聴。知的障害の女性がシングルマザー(相手の男性は事故死)として「子育て」に取り組む筋立てだが、ドラマの設定自体に無理があるようだ。知的障害の程度が「中度」の場合には、周囲のサポートが不可欠だが、女性の母親、兄は当然としても、「養護施設」で育った正体不明の女性が、家族の中に闖入し、その支援を担うという設定は「非現実的」ではないか。かたや知的障害、かたや情緒障害(虚言癖)、その両者が「世間」の無理解・偏見と闘い、相互の絆を強く結び合い、「子育て」の最も必要な「愛」(「だいすき」という心情)とは何かを問いかける、といったモチーフが「見え見え」のように感じた。しかし、シングルマザーの娘役・「ひまわり」を演じた子役の演技は光っていた。周囲のサポートが不十分のまま育てられれば、どのような表情、言動が生じるかを「目の当たり」に見せてくれたような気がする。今後の展開を見守りたい。以下は、一昨年視聴したテレビドラマの感想文(「フジテレビ」宛)である。

<「僕の歩く道」感想>
 テレビドラマ「僕の歩く道」が終わりましたので、その感想を述べてみたいと思います。
昨年11月の中旬に、私はこのドラマの感想を東京新聞の<反響欄>に投稿しました。次のような内容です。 
<「僕」を含めた登場人物全員が、相互の関わりを通して「どのように変化(成長)するか。特に、「僕」の血族である兄、妹、親族である義姉、甥、また他人ではあるが、障害児の父であった「古賀」という人物の「変化」に私は注目している。「僕」の存在が、彼らの視野を広げ、豊かな感性を育む役割を果たすことは間違いない。そのことが、また「僕」の成長を保障するのだと思う。「古賀」は別れた「我が子」にどのような姿で再会するだろうか。> 結果は、趣旨を妨げない程度に省略された文章で掲載されましたが、その後のドラマの展開にどのような影響を与えたかはわかりません。しかし、回が進むにつれて、視聴率が向上し最終回の頃にはベスト5にランキングされたことは事実です。電車の中で、若者同士の会話を耳にしました。一人の女子学生が黄色いジャンパーを着ていたのです。「よく、私のことを見つけられたじゃない」もう一人の学生が言いました。「だって、そのジャンパー、目立つんだもん」「ああ、これね。ほら『僕の歩く道』って見てる?クサナギ君が着てるのと同じ色」「見てないなあ」「そう?私、ずーっと見てるの。障害者の話なの」「フーン・・・。じゃあ、見てみようかな」なるほど、そんな形でドラマの人気が高まっているのかと、少しうれしくなりました。
 さて、「僕」を含めた登場人物全員が、相互の関わりを通して「どのように変化(成長)するか、という視点は「最終回」に集約されていたと思います。「僕」を含めた、ほとんどの登場人物が変化(成長)したように感じます。ドラマは専門家の医事監修を経ているので極端な「ハッピーエンド」でなかったことにも好感がもてました。
 「僕」との関わりを通して、最も変化の大きかった人物は、義姉、甥、動物園長だったように思います。彼らは「僕」にとって「いわば他人」であり、また「自閉症」という障害について、最も「無知」「誤解」していた人物だったかも知れません。義姉は自分の教育方針を改め、甥は「あこがれ」の気持ちで「僕」を見つめ、動物園長は「動物愛護」にもとづいた動物園経営の理念に目覚めました。それが「僕」の果たした大きな「役割」だと思います。
 一方、最も変化の小さかった人物は、幼友達の「都古ちゃん」、ロードバイクの友人でした。彼らは、
当初から「僕」の理解者であり、「自閉症」というレッテルで「僕」を見ていなかったことが共通しています。つまり、「変化」する必要がなかった人物です。「都古ちゃん」は、「僕」の進路について、家族に立ち入ってまで「グループホームでの自立」を進言しています。また、ロードバイクの友人は、「僕」のレース参加を支援しましたが、兄からの伴走依頼を、こともなげに断りました。いずれも、「僕」の「実力」を理解し、可能性を信じていたからではないでしょうか。二人は、正に「教員」の役割を果たしていたのだと思います。 
では、「僕」の血族、兄、妹、母の変化はどのようなものだったでしょうか。つねに、「苦しみ」を伴った変化でした。妹は、「僕」の主治医の前で、母に甘えられなかった過去を告白し、号泣しました。兄もまた、「なぜ『僕』のような弟をもたなければならなかったか。自分だけがイヤな思いをさせられなければならないか」を、苦しみ続けました。今でも、親亡き後の「僕」をどうするか、という問題に直面しています。しかし、彼らは、「行ったり来たり」ではあるけれど、確実に変化(成長)している「僕」の姿を感じ始めたのではないでしょうか。いずれにせよ、昔のように「僕」を助ける必要が「減りつつある」ことを確信し始めたことは間違いありません。
 当然のこととはいえ、最も苦しんだのは母でした。「僕」を生んだのは自分であり、「僕」を最も愛していたからです。「できることが多いのがよくて、少ないのが悪いってわけじゃないの。できることを一生懸命やればいい」。「僕」が母から教えられた言葉です。この言葉は、人間を「減点法」(100点満点主義)ではなく、「加点法」(学習は0点から出発する)で評価することが大切であることを語っています。正に、「教育の基本」だと思います。母にとっては、「僕」を育てる「葛藤」を通して、つまり「僕」の存在から「学んだ」唯一の鉄則だったのではないでしょうか。
ロードレース大会で、「僕」はゴール寸前、トンビを追いかけて横道にそれました。兄は驚いて「僕」を追いかけようとします。そんな兄に向かって母は叫びました。「待って!」とっさの判断でした。そして自分自身に言い聞かせるように、つぶやきます。「・・・待ちましょう」。このこともまた、「教育の基本」だと思います。その結果、「僕」はトンビの飛翔する姿を初めて目にすることができたのでした。「僕」は、「自立」(グループホームでの生活)を決意します。ドラマとはいえ「お見事」というほかありません。母は、苦しみに苦しみ抜いた結果、「僕」の成長を確信できるまでに「変化」したのだと思います。
 「僕」自身の「変化」(成長)は数え切れないほどあります。「できる仕事」がふえ、人間(特に「都古」)の表情に注目するようになりました。しかし、最も確実な「変化」は、毎日投函する「都古ちゃんへ」という手紙だと思います。当初は、決まったように「三行」で終わっていましたが、最終回の頃になると「四行」に増えています。伝えたい内容(心の世界)が豊かになったためではないでしょうか。「自閉症」の問題の一つとして「コミュニケーションの障害」が挙げられています。(私自身は「感覚過敏」が本質的な問題だと考えていますが・・・)だとすれば、「僕」は、様々な経験、人との「関わり」を通して「コミュニケーションの障害」を克服しはじめたとは考えられないでしょうか。
 我が子が「自閉症」だった父、「古賀」もまた、「僕」の「変化」(成長)から、多くのことを学んだに違いありません。当初、凍りついたような彼の表情は、明らかに変化しています。まずは「我が子」との再会を果たし、「これからは自分の番だ」という自立支援への決意がうかがわれました。
 最後に、(損な役回りとはいえ)「全く変化しない」人物がいました。「都古ちゃん」から離婚を言い渡された配偶者です。ドラマの中では「少数派」かも知れません。しかし、現実の社会では、「多数派」に逆転します。ドラマほど甘くはないと思います。この現実こそが私たちの大きな課題です。とはいえ、当初、閑散としていた動物園の入場者が増加し始めたように、現実の「視聴率」も向上しました。私が電車の中で出会った「若者たち」の存在も現実です。今後の「社会の変化」に期待したいと思います。(2006.12.23)

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