《冬蜂紀行日誌》(2008)

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

「一見劇団」(座長・一見好太郎)、ベビーア太郎(9歳)の魅力

2011-01-21 00:00:00 | 日記
2008年1月21日(月)曇
 午後6時から、十条・篠原演芸場で大衆演劇観劇。劇団は「一見劇団」(座長・一見好太郎)座員は、古都乃竜也(座長の実弟)を筆頭に、一見隆夫、紅金之助(17歳)、一見裕介、太紅友希、ベビーア太郎(9歳)、そして日暮里在住の大門力也が友情出演している。芝居も舞踊も「実力」は、平均水準を超えていた。特に、座長の女形舞踊は、上品な「色香」が漂い、関西の里見要次郎、大川良太郎、姫錦之助、都若丸らとは「一味違う」魅力がある。どちらかといえば、関東の紫鳳友也(劇団・美鳳総座長)、澤村蓮(劇団・章劇)と重なる「芸風」と感じたが、将来、それ以上の実力を発揮するかも知れない。所作、表情にコケティッシュな「媚び」がないことが素晴らしい。帰路の電車の中で耳にした、贔屓筋の評価によれば、「何をやっても絵になる」「特に股旅姿がたまらない」「いつも全力で舞台を務める」「何回見ても飽きることがない」ということであった。女形舞踊の上品な「色香」の中に、「太地喜和子」的な雰囲気が加われば、第一人者になれるのではないだろうか。古都乃竜也との相舞踊「北の蛍」は「絵になっていた」が、それ以上の「至芸」にまで高めることを期待する。(その舞台を見ながら、私は鹿島順一の「歌唱・北の蛍」の姿を思い出していた・・・。)芝居では、五木ひろしの「旅鴉」にのり、股旅姿で颯爽と登場する。座長の立ち役(股旅姿)も「絵になっていた」が、渡世人の「やるせなさ」(ニヒリズム)を、より際だたせるために「市川雷蔵」的な雰囲気が加わることを期待する。いずれにせよ、将来、第一人者になる可能性を秘めた座長であることは間違いない。
 座長の「補佐役」・古都乃竜也も「実力者」である。「補佐」とは上役を「助ける」ことだが、そのためには上役以上の「実力」を要求される。古くは梅澤富美男、昨今では、二代目・恋川純、南條影虎、小泉ダイヤを想起する。古都乃竜也もまた、その役割を立派に果たしていると思う。いわば、座長の「引き立て役」だが、その役に徹すれば徹するほど、光り輝く存在になる。そのことを念頭に精進を重ねてもらいたい。一見隆夫、むずかしい役回りを好演、ふっと力を抜いた表情、所作が魅力的である。今後、いぶし銀のような「三枚目」として実力を発揮する可能性を秘めている。
 座員の「舞踊」能力は平均水準以上、中でもベビーア太郎(9歳)の「関東春雨傘」「よさこいソーラン(?)」は、見事な「できばえ」であった。大人顔負けの所作、舞台から客席の空いている桟敷に飛び降りて踊る「演出」など、将来が楽しみである。荒城蘭太郎と肩を並べる日も遠くはないだろう。
 劇団の課題はただ一つ、「音響効果」の工夫である。役者が装用するワイヤレスマイク、舞踊音楽のボリュームが大きすぎる。現在の音量を100とすれば、70程度に絞るべきである。せっかくの舞台が、大きすぎる音響によって「台無し」になってしまうことが残念でたまらない。以下は、その思いを綴った雑文である。

拝啓 大衆演劇「各劇団」座長 様
日頃は、私たち(低所得者)のために「低料金」で「極上」の舞台を御提供いただき、誠にありがとうございます。私自身、昭和47年以来、(断続的ではありますが)大衆演劇の至芸を堪能させていただいております。30年前に比べ、皆様の「実力」は、量的にも、質的にも着実に向上し、正に「隔世の感」があると思います。とりわけ、「照明」、「煙幕」等の舞台効果、化粧、衣装(着付け)の技術の進歩には目を見はります。
 ただ一点だけ、「旧態依然」(もしくは退歩)の状況が感じられますので、その改善について御検討いただければ幸甚に存じます。
 その一点とは、「音響効果」の技術であります。芝居では、ほとんどの役者がワイヤレスマイクを装用しております。観客数が200人を超える場合は「やむを得ない」かも知れません。昔は、たしかに「役者のセリフが聞こえない」という状況もありました。しかし、ワイヤレスマイクを使用することによって、「聞こえすぎる」、「声が大きすぎ、かえって明瞭度が落ちる」(はっきり聞こえない)という問題が生じています。また、役者のセリフは、すべて同一のスピーカーから聞こえてくるので、役者がどこの位置にいても、同じ場所から聞こえてきてしまう(「臨場感に欠ける」)という不自然さが生じます。その他、不要な「摩擦音」、ハウリングで「雰囲気を壊す」場面も、かなり見られました。観客数が数十名の場合、小規模な劇場の場合は、役者の「肉声」の方が「音響効果」を高めると、私は思います。
 さらに、舞踊ショーの「音楽」(テープ、CD、MD等)の音量にも、細心の注意が必要だと思います。音の大きさはせいぜい80デシベル程度を「最大」とすべきで、現状は「痛覚レベル」(90~100デシベル)を超えているように感じます。「適度」で「心地よい」大きさは、「舞台」、「そで」からモニターすることはできません。客席後方から「投光」している照明係の方が、その「大きさ」をモニターすべきだと思います。
 客席の「ざわめき」「私語」が「舞台効果」を妨げる心配はありません。皆様の「実力」は、「音幕(?)」を張らなければならないほど未熟ではないからです。照明、化粧、衣装、煙幕など「視覚的」な効果の「鮮やかさ」にくらべて、その土台となる「聴覚的」な効果について「やや無頓着」(軽視)の傾向が感じられるのです。そのことが残念でたまりません。観客は「美しく、華麗な舞台」を「観たい」のと同様に、あるいは、それ以上に「妙なる音楽の響き」「役者の肉声」に「聴き惚れたい」のです。「騒音」に近い「音楽」や「マイク音」が、それを台無しにしてしまうおそれはないでしょうか。舞踊ショーの役者紹介も、「音楽」の前奏と重なることが多く、はっきり聞き取れないことが多いのです。「劇団」にとって「役者」ひとりひとりは「必要不可欠」であり、役者にとって「芸名」は「命」だと思います。どんなに「端(はした)」であっても、「平等」に紹介する(観客に周知徹底する)気配りが大切だと思います。パチンコ店のBGM、選挙宣伝(連呼)のスピーカー等とは「無縁」の舞台を期待します。
 「大衆演劇」を観るための「必需品」が「防音用耳栓」(私自身、常時装用しています)などという事態に陥らぬよう、よろしく御高配のほどお願い申し上げます。
 末筆ながら、皆様の末永い御活躍と、斯界のますますの御発展をお祈りいたします。
   敬具

<追伸>
 過日、東京・十条篠原演芸場で公演された「近江飛龍劇団」、「恋川純弥劇団」の役者は、芝居の舞台でワイヤレスマイクを使用しませんでした。その御英断に心から拍手を送り、感謝の意を表します。


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